美しい大分

大分に暮らし,その美しさに気づかされ 癒される日常を、折々綴り,残してみたいと思っています。

母さんと暮らして

2019年04月23日 | 母さんと暮らして
四月十日 母が亡くなりました。
ふた七日が過ぎました。

このページは
これから先、ちょっと泣きごとだったり、母への思いを書き足していくことになるかも知れませんし、何も書く事はないかも知れません。
どうぞスルーして下さい。




手向けられた と言うには豪華な百合の花
美しさ華やかさ、良い香りに癒されています。
花を大切に育て愛おしんだ母の周りを飾り
私たちをも慰めてくれます。
今日で平成が終わります。 4月30日


***



母が植えた石楠花が まだ咲き始めでした。
そしてやはり母が植えた牡丹はほんのりピンクをのぞかせた蕾。
母と一緒に石楠花の花と、牡丹の枝を空におくりました。

*

遺影に「お母さん お母さん」
と、実は朗らかに話しかける。
ふと もう母には言えないんだと気づき 悲しみが湧いてくる。 もっともっといっぱい話し続けたかった。
言えない事が悲しいって事は、言えていた時がすごく幸せだったっていう事にも気づく。
そして泣きながら 「お母さんありがとうね」って写真に伝え る。 4.23.

*




ご飯がなかなか食べられなくなって
何か好みの口当たりの良いものをと、買ったゼリーが冷蔵庫から出てきた。
お母さん 食べてもらえないまま逝っちゃった。
賞味期限9月 常温保存
お供えします。 4.25

*







母が亡くなって、鮮明に私の中に沸いた思い。
時間が過ぎるにつれてだんだん頭の中で曖昧にうすれていく気がする。
それで、書き留めておきたい。色々。


数日前に聞いた事。
自然死の場合
死期が近づいて来て、3ヶ月程前になるとだんだんご飯をたべれなくなると言う。
お水も口にする量が減っていく。
そして呼吸が乱れるようになり血圧や心拍数の変化も現れる。

ものを身体に入れない傾向が続き
息を引き取ると、直後に体内の色んなものを排出するのだそうだ。
人は自分で、自分の身体を綺麗にして亡くなっていくそうだ。

思えば、母の様子もそんなだった。

*
*

最後の入院となった、1月末頃だったろうか?
先生から、「厳しい事を言うようですが、年齢からして今後食事を自分でとっていただくのは難しい。」と伝えられた。
でも、もう死期が迫っていると言う直接的な言葉は無く、私はまだどこか、回復の希望を持っていたようにも思う。

そんな中、病状が改善したとの事で
1か月以上続いた点滴から、食事に切り替えてもらえる日が来た。
妹は、「3月24日の誕生日を迎えさせてやりたい」と言い、
私は、食べるようになりさえすれば又元気を取り戻せる!って、勇気付けられた。

母は、食べなかった。
無理もない、1ヶ月以上も食べ物を口にしていなかったのだから。そう思った。
もう固形物は口に出来ないけど、母の好きだったイチゴ、ぜんざい、甘酒などにとろみを付けて
少しでも食べられはしないかと、届けた。
2、3日は、全然食べなかったものの少しずつだけど、飲み込めるようにはなっていった。

毎日完食とはいかなかったので、点滴一本をもらっていた。
願い続けた、しっかりご飯食べて元気になるって事は最後まで叶わなかった。

最終的に、点滴を外して特養に戻り
その日はしっかりご飯を食べて
家族は喜んだけれど
2日目には、酸素量の低下、そしてわずか3日目に息を引き取ってしまった。

亡くなってから思う。
母は、もうちょっとだけ 早くいってしまいたかったのではないかと。
亡くなる前 数日間の姿を思うとかわいそうでならない。

*

友人が教えてくれた。
たくさん涙を流して送ってあげると、天国に行けるって。
女々しいのは嫌だけど、もう 泣くのを我慢しない。母と自分の為に泣く。

一つだけ、はっきりしておく。
母を看取ったことについて後悔や悔み事は何一つないと言う事。
今は、特に外出もせず亡くなった母と共に過ごすある意味幸せな時間でもある。 4.26


*
*


今日は4月30日、
平成が終わります。

母が息を引き取った特別養護老人ホームの事を
忘れないうちに書いておきたいと思っていますが
時間が経つにつれてその強い思いが
薄くなっている様な気もします。






四十九日を経て
初盆の法要も済ませました。
初盆の法要は、母の実家である国東市で、
やはり初盆を迎えた親戚と合同で執り行われました。

自宅で母の為に準備した祭壇を片付けました。


(8月23日)
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ランチ 「和花」

2019年04月07日 | 日記

大分市ふじが丘、住宅地の中にある「和花 わばな」で
お野菜中心のいただきやすいお昼でした。



デザートの黒糖ゼリーも私の口には合って
ご馳走さま。



この時期のお出かけはランチだけでは終わりません。市内どこも桜の花盛り。
行きも帰りも寄り道です。
行きは、豊後国分寺跡の桜を、
帰りは豊後一の宮、西寒田神社 参道の並木の桜を観て帰りました。







もう、モミジの若葉は眩しく、藤棚の藤も蕾が膨らんでいました。








西寒田神社⛩



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『看取り 』 ということ

2019年04月02日 | 母さんと暮らして

母は、3月24日、98歳の誕生日を迎えました。




しかし、この一年足らずのうちに入院を3度もしてしまいました。
そして今も入院中です。
何度も諦めかけた病状も『だいぶ回復している』との事で、この先 母の余生…というようなものをどう選んで決めていくのか、先生から問いかけがありました。


1ヶ月近くも、結論を出すことが出来ませんでしたが、先日やっと決めたのです。


『看取り』
という覚悟を持って 特別養護老人ホームに戻る事(今後、身体に不調が起こっても積極的な治療はしません)。

いつも強く元気だった母は、入院しても何度となく蘇り私達兄弟を喜ばせてきました。
元気だった母を見てきた私は、
母は以前のように元気になれるのではないかと希望を捨てる事が出来なかったのです。

母は、十分に長生きしたけれど、
看取りに入るってどういう事なのか?
何か、又身体に不調が起こっても治療は続けて欲しい。
積極的な治療をしないで見守るだけって…
どういう事?
治療するという事以外の選択肢は無いように思えていました。
しかし反面、私自身は自然死…枯れて亡くなっていく という事に憧れと言うか、そうある方がいいなって言う気持ちも持っていました。

そうでありながらも、母には点滴をし、不調があればある程度の治療もして治してほしいと願ったのです。


先生のお話は十分に聞きました。
入院生活か、老健か、特養に戻るか。

そして、先日特養の方と私、妹とで話をし
結果、決める事が出来ました。

妹と、遠くに住む弟達も同意してくれ決めました。
たどり着くのに時間がかかりました。
今後、特養の方に大変なお世話をお掛けすることにもなります。

「きれいごと」なのかも知れませんが、
枯れて行くのを見守るっていうこと。

「それは大変な事で、辛いことです」特養の方からはそんな風にも伝えられました。



特養に戻れば又元気を取り戻して、これからまだまだ一緒に居られるのではないか?なんて
希望をもったりもしますが… それはわかりません。


私自身はこれを決めてから 返って心が軽くなった気もしています。
もっともっと、頑張って頑張ってと、母にとって幸せかどうか分からなくなる願いを 願い続けることが私自身本当にきつかったのかも知れません。

でも、これから先も、少しでも元気で少しでも幸せに少しでも長く一緒に居たい願いは同じです。
お母さん!ほがらかに過ごそうね。








母が植えた石楠花に今年初めての花が咲きました。


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