昔の望遠鏡で見ています

昔の望遠鏡による天体観望と、その鏡景写真についてご紹介します

西村15cm反射経緯台 各部詳細

2019-02-28 | 天体望遠鏡

  西村15cm反経の接眼部で、二段ドローチューブ仕様です。黒い接眼鏡は光軸修正用のものです。

 

  

  鏡筒内の様子です。主鏡は口径15cm、F8ですので、斜鏡は小さいのが判ります。月・惑星に有利な、眼視用望遠鏡です。

 

  

  主鏡用窓です。清掃する際や、筒内気流を減らすため、うちわで扇いだりする時に、開けて使います。

 

 

 経緯台部です。青色のメタリック塗装が、格好良いです。木製の水平微動用つまみも、今となっては、めずらしいものです。

 

 上下微動棹の保持部です。棹はステンレス製のしっかりしたものです。保持部は、鋳物でできています。

 

 

  猫足の三脚部です。この曲線が、この望遠鏡の特徴の一つだと思います。黒い三脚板は当初木製でしたが、めくれてしまいましたので、アルミに替えています。

  この望遠鏡は昭和50年頃のもので、30年以上前に友人に譲ってもらいました。クラッシックな風貌が魅力的な、日本を代表する昔の天体望遠鏡だと思います。


五藤 ウラノス号 合番(その2)

2019-02-26 | ウラノス号

  天下の五藤光学ウラノス号に施された合番についての、続編です。3本のウラノス号の鏡筒について、それぞれ古い順に、3号機、4号機黒、4号機灰(後に金色に塗装)と呼ぶことにします。合番の刻印があるのは、先の2種類だけで、最も新しいものには、見られないことが判りました。なお、木箱の銘板から、4号機黒は昭和20年代後半と見られますので、合番はおおよそ30年代になると施されなくなったとも考えられます。

  3号機の鏡筒です。鏡筒受けに隠れる部分ですが、こんな所にも施されています。右側に見えるのは、旧M5ネジです

 

 同じく3号機のラックピニオン部のカバーと上下微動棹の先端キャップにある合番です。微動棹の先端には、特にキャップなど機能的には不要だと思いますが、丁寧な仕事というか、職人のこだわりというか、本当に手の込んだ仕事がなされているのが、判ります。

  ただ、よく見ると2の刻印が上下逆になっています。製作過程の管理のためのもので、後世の私たちが観察するなどということは、想像していなかったでしょうね。

 

  4号機黒の上下微動棹の先端キャップと、鏡筒取付部への合番の様子です。キャップへのたどたどしい刻印が、ほほえましいです。

  4号機灰(後に金色に塗装)のラックピニオン部の様子です。ここには、合番は見られません。タカハシのファインダーをバンドを使用して取り付けています。

  この灰色の塗り残し部分ですが、最初は興醒めな所だと思っていましたが、最近は望遠鏡のたどってきた歴史が刻まれている、遺跡のような気がしてきています。また、この灰色ですが昔の工場にあった、いわゆる機械色ですので、高度成長期が始まった頃の社会の影響を受けているのかもしれません。高級感は、その前の黒色塗装の方が断然ありますが、望遠鏡の置かれた立場が、それを許されなかったのでしょうか。それとも、これが最先端の色合いだったのでしょうか?


五藤ウラノス号ほか ロンキーテスト

2019-02-23 | ウラノス号

 

 五藤光学のウラノス号を、ロンキーテストした際の画像(以下ロンキー像)です。ロンキーテストは、望遠鏡の光学的精度を求める際に利用されるものです。使用した道具は、機会があって専門の方に譲って頂きました。ロンキースクリーンは、インチ100本、平面反射鏡を利用し、ダブルパス方式にて使用しています。縞は、まっすぐな方が良いのですが、完全無欠のものは存在しませんので、許容値があり、その際の縞の曲がりは、F15の望遠鏡で約1/8、F8で約1/15までと言われています(Fは口径と焦点距離の比です)。ここで、ご覧頂くものは、吟味して撮影していませんので、参考程度としてご覧下さい。ウラノスのロンキー像を見ると、このレンズはアクロマートですので、左右に色収差は若干見られますが、縞模様はほぼまっすぐに見えます。60年くらい前の望遠鏡ですが、大変立派だと思います。

 

 

  五藤テレパック50AL鏡筒のロンキー像です。バカちょんカメラでの撮影ですので、うまく撮れていませんが、ほぼまっすぐのようです。なお、全体的な左右への傾きは、カメラの構え方によるものですので、光学的精度には無関係です。

 

  ニコン8cmのロンキー像です。先の撮影と、写っている本数が違いますが、これは撮影時の拡大率の違いによるものです。色収差が少し認められますが、縞模様はほぼまっすぐで、綺麗です。

 

  タカハシのFC100のロンキー像です。ほぼ完璧と言って良いのではないかと思います。(この望遠鏡のみF8で、他はF15です。)

 これらを見ると、ニコン・五藤・タカハシの御三家のものは、昔からしっかり調整されているようです。

 

  不良な鏡筒(8cmF15)のロンキー像です。大きく曲がっていますが、調整が悪いのか、あるいはレンズそのものが不良なのでしょう。天体望遠鏡は、繊細な機械ですので、品質管理はしっかり行ってもらいたいものです。

  今回撮影したロンキー像は、室内で撮影するものですので、星の見えない時にも行うことのできる、楽しみの一つです。※星を実際に使う方法もありますが、許容される縞の曲がりは、ダブルパス方式の1/2になります。


ライカと望遠鏡

2019-02-19 | 鏡景写真とは

 

 

 旧仙台市天文台の41cm反射望遠鏡です。当初は西村製でしたが、昭和53年の宮城県沖地震の際に壊れて三鷹製に更新され、その後お役ご免となり、現在は新天文台のホールに飾られています。 古スコファンには、西村だったらもっと良かったのですが、これも充分魅力的です。

 さて、流行語だった”老人力”を作った赤瀬川原平は、いわゆるライカ病に感染していましたが、同じ感染者達の不思議な生態についても観察していました。彼らは、フィルムを入れていないカメラを持ち歩き、「フィルムは入っていないので、シャッターを切ってもらっても大丈夫です。」と言って、自分のライカを自慢していました。写真を撮る道具なのに、フィルムを入れないで持ち歩くという、ライカ病の不思議さが述べられています。

 望遠鏡も、星を見る道具ですが、それ以上の存在意義があればこそ、新天文台ホールの一等地に、飾られているのだと思います。それはきっと、実際に見られなくても、”星を愛するものにとって、無くてはならないもの”になっているからでしょう。

 ずっと星を見ることを趣味としてきました。また、この趣味には、本当に助けられました。どんな時でも、リラックスさせてくれます。その間、道具である望遠鏡も、心の奥底に住み続けていたのだと思います。すっかり星と切り離す事のできない存在になっていました。その結果、鏡景写真と名付け、望遠鏡そのものの姿を追い求めることになったことは、ライカ病にも通じるのではと思います。このことは、いささか普通の状態ではありませんが、心のおもむくまま取り組んでいきたいと思います。


ウラノスの接眼部

2019-02-16 | ウラノス号

 

 五藤光学のウラノス号の鏡筒を3本比較し、仕様の変遷を見てみることにします。まず、黒色の4号機の接眼部です。上下微動棹の鏡筒への取り付け位置が、右側の真横であることが、判ります。3号機は右下になります。この分類は、児玉氏によるもので、五藤光学のドームなびの「星夜の逸品」に詳しく紹介されています。わずかに見えるドローチューブはつや消しで、接眼鏡アダプターはスリ割り式となっています。

 

 微動つまみは右側だけで、その部分を反対側から撮影した画像です。後の五藤光学の鏡筒に採用されている、ラックピニオンの圧力調整用のエキセン環(偏心環)は、採用されていません。

 

 

 左側の黒色の鏡筒は3号機で、ドロチューブはメッキ面で、エキセン環なしで接眼アダプターはスリ割り式です。右側は、もと灰色だったものを金色に塗ったもので、一部塗り残しが見えます。ドロチューブはつや消しで、エキセン環あり、接眼アダプターは、チャック式です(チャック式アダプターについては、別に紹介しています)。

 その後に製作されたテレパックでは、接眼アダプターは安価なスリ割り式ですが、ドロチューブはつや消し、エキセン環を使用しており、仕様的には灰色の4号機の流れを汲んでいることから、これら3本の製造順は、黒3号機、黒4号機、灰(画像では金)4号機になるのではないかと思われます。

 昔の天文ファンが憧れたウラノス号で、ウラノス(天王星)を見たことがあります。星の先輩達への想いをはせながら、金属とガラスで出来た昔の望遠鏡で星を見ることは、興味深い追体験でもありました。