中学生の時には、天文クラブには入っていなかったが、同じ趣味を持つ者同士は引かれるのだろうか、望遠鏡を持っている友人が二人いた。それぞれの望遠鏡は、V社6cm屈折経緯台と、デパートから購入した10cm反射経緯台だった。V社の望遠鏡を持っていたのは大学助教授の息子で、親の理解もあるのだろう、すんなり買ってもらったようだった。席が近く、よく話をしていたのだが、越境入学だったのか、ずいぶん遠くから通っており、実物を見せてもらう機会は無かった。もう一人は、小遣いを貯めて買ったと聞いた。比較的家が近かったので、望遠鏡を前にいろいろ話をした記憶がある。望遠鏡は、中学生でも容易に扱えるF8位の物だったと思う。メーカー名は判らなかったが、鏡筒の奥底の鏡が怪しく光っているのが印象的だった。あの頃、筒内気流を防ぐために、筒先にラップをかけると良いという都市伝説があり、どうなんだろうなどと話をしたのを憶えている。また、D社に問い合わせ、赤道儀を購入したのだが、鏡筒バンドの寸法が合わずがっかりしていたのは、本当に気の毒だった。
その頃は今と違って、複数の会社から小口径反射が販売されており、その中の売れ筋の一つが、エイコーの9cm反射経緯台だった。独特の斜鏡支持金具を持つもので、惑星観測家だった小石川の初めての望遠鏡としても、知られていた。この望遠鏡は、懐かしいと感じられる方も多いのではないかと思う。以下に、格納状況や鏡筒の細部などについて紹介する。
外箱である。9cmではなく、3.5インチと表示されている。
三脚と鏡筒が見える。望遠鏡の型式は、STH1650型である。定価16,500円とあるから、型番は定価と連動しているようだ。また、印刷物の隅に書いてある数字やその価格から、昭和45年頃の製品と思われる。
鏡筒は、整形された発泡スチロールに収まっている。
鏡筒の外観である。蓋や鏡筒前後のリング及びファインダー脚の塗装は、チリメン塗装である。
斜鏡支持金具が円形をしており、他に類を見ないものである。
少し斜めから見たもので、斜鏡関係の各接続部の様子が判る。
赤矢印は、斜鏡支持金具の取付部の補強板である。
ファインダー脚は、指で回す二本のネジで着脱ができる。
ファインダーを外したところであるが、指で回すネジの中間に、プラスネジが見える。これは、ファインダー脚を取り付ける際に、裏にナットを入れなくても済むように設けられた、裏板をとめているものである。先の斜鏡支持金具の補強板と併せ、細かなところにも気を使っているのが判る。
主鏡側である。底の部分の塗装は、ちりめん塗装ではなく、光沢のあるもので、仕上げに統一性は取られていないようだ。
接眼鏡の一つはH20である。バレルの側面にH.20mmと表示されているのは、珍しいものだ。先端にはサングラスが、装着されている。
天文ガイドに連載されていた ' 天体望遠鏡をテストする ' に、同じ斜鏡支持金物を有するダウエル90mm反射経緯台が取り上げられている(1968年12月号)。その中で、筆者の富田弘一郎は「この望遠鏡の最大の特徴がこの斜鏡支持部です。他社製品は3本の吊棒で、鏡筒からささえていますが、これは写真のように板金を丸めて作った支持具で、この程度の反射用としてはたいへんけっこうです。この構造のものはディフラクションの出方が3本支柱の場合と違って、二重星の観測などにはたいへん有効なことがあります。」と述べている。このことから、同じ機構を有するエイコーの9cmも素性の良い望遠鏡だったということが判る。
昔の天文ガイドの ' わたしの愛機のコーナー ' には、このエイコー9cmを始めとする小口径反射は毎月のように紹介されていた。これは、鏡筒が軽量でシンプルなので、天文少年が実際にいろいろ触って楽しむことのできる対象だったからなのではないかと考えている。夜は星を見て楽しむ、そして昼間は触って楽しむ。現代にも、そのようなものがあればと思う。