星渚
2020-06-24 | 日記
藤田久仁子の歌集 ”星渚”(平成元年8月24日発行 短歌新聞社) です。著者は、日本人女性としてただ一人の新星発見者でした。歌集から、新星発見に関係したものを、いくつかご紹介します。
昭和17年11月11日東京都大田区の自宅にて船尾座新星発見す
「新星の青き光は靴下を編みふける少女のわれを打ちにき」
「息荒く宇宙駆け来し新星PUPPIS(ノヴァ・パピス)の光は射抜くわれの額を」
「新星の未知の光を額に受け立ちすくみゐしわれ十八歳」
当日早朝ハイキングに出発す
「電車より視線一途に見つづけし新星は夜明けの光にまぎる」
東京天文台神田茂先生
「二十億の人に先がけ新星を見ましたねと祝ぎ賜ひたり」
「巻紙に候文にてしたためし賞状開くに一メートルあり」
「天文の師は「二十億の人類」と言いましぬ戦時に敵味方なく」
この本は、古本屋から入手しましたが、その中に、”女たちはいま 「星を歌う」”(朝日新聞川崎版 1989年10月8日)という新聞の切り抜きが入っていました。ここにも、著者に関する興味深い記述があります。
・・・「十一歳上の長兄から星の見方を教わったんです。まず北斗七星から。五年生の時に望遠鏡も買いました。口径六センチ、倍率七十倍。月面の海や火口がよく見えてうれしかったわ」。月刊誌「科学画報」と「全天星図」(村上忠敬著)を手がかりに、ひとつひとつの星を照らしあわせては覚えた。「輝きの違うそれぞれの星を、星座で確認するのが、それは楽しいの」 新星発見は、「あるはずのない所にギラギラと瞬く星が・・・・」。藤田さんは、まず双眼鏡で、次いで望遠鏡で、全天星図で確認。興奮をおさえながら、星の文学者で有名な故野尻抱影さんに手紙で報告した。野尻さんから、「女性の発見者は珍しい。小生もだいぶコーフンしています」というはがきが来た。第一発見者だった。・・・
星の配列を記憶していた、とても熱心な天文少女だったことが判ります。また、東京の空に、新星を発見したということも、今となっては驚きです。
現代でも同じくらい星に興味がある少年少女はいると思うのですが、いかんせん、夜空が明るくなりすぎました。
なお、とも座新星の発見の経緯については、次のHPに詳しく記載されています。
http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1943/pdf/194301.pdf
先日、朝に新聞を取りに玄関を開けると、青空に明るいものが輝いていたので、超新星かと慌てました。双眼鏡を取り出し見てみると、何かを吊り下げた気球であることが判り、少しがっかりしました。(アンテナの上方やや左です。)