9月24日(金)
(東京都港区六本木1-6)
「小説家永井荷風が、大正九年に木造洋風二階建の偏奇館を新築し、二十五年ほど独居自適の生活を送りましたが、昭和二十年三月十日の空襲で焼失しました。荷風はここで『雨潚潚(あめしょうしょう)』『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』などの名作を書いています。偏奇館というのは、ペンキ塗りの洋館をもじったままですが、軽佻浮薄な日本近代を憎み、市井に隠れて、滅びゆく江戸情緒に郷愁をみいだすといった、当時の荷風の心境・作風とよく合致したものといえます。
冀(ねが)くば来りてわが門を敲(たた)くことなかれ
われ一人住むといへど
幾歳月(いくとしつき)の過ぎ来(こ)しかた
思い出の夢のかずかず限り知られず
『偏奇館吟章より』
平成十四年十二月 港区教育委員会」(碑文より)
(東京都港区六本木1-6)
「小説家永井荷風が、大正九年に木造洋風二階建の偏奇館を新築し、二十五年ほど独居自適の生活を送りましたが、昭和二十年三月十日の空襲で焼失しました。荷風はここで『雨潚潚(あめしょうしょう)』『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』などの名作を書いています。偏奇館というのは、ペンキ塗りの洋館をもじったままですが、軽佻浮薄な日本近代を憎み、市井に隠れて、滅びゆく江戸情緒に郷愁をみいだすといった、当時の荷風の心境・作風とよく合致したものといえます。
冀(ねが)くば来りてわが門を敲(たた)くことなかれ
われ一人住むといへど
幾歳月(いくとしつき)の過ぎ来(こ)しかた
思い出の夢のかずかず限り知られず
『偏奇館吟章より』
平成十四年十二月 港区教育委員会」(碑文より)