大倉草紙

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【京都】 滝口寺

2008年08月01日 19時57分25秒 | 旅 - 京都府
6月21日(土)
当日の行程:(阪急電鉄・嵐山駅)…(自転車) → 【清涼寺】【大覚寺】【直指庵】【仏野念仏寺】【祇王寺】【滝口寺】【二尊院】【落柿舎】【常寂光寺】【野宮神社】【天龍寺】


          
                滝口寺の山門

滝口寺は、祇王寺のすぐ隣にある。
かつては、往生院三宝寺と称していたらしい。
明治維新で廃寺となり、その後、祇王寺の再建に続いて再建された。
その際に、佐佐木信綱氏が「滝口入道」の話に因んで「滝口寺」と名付けたとのこと。


   
                  本堂

『平家物語』の惟盛高野の巻には、滝口入道と横笛の悲恋物語が挿入されている。
滝口入道とは、平重盛に仕えていた滝口の武士・斉藤時頼のこと。
建礼門院の女官・横笛に恋心を抱き、横笛を妻として迎えたいと思った時頼が、そのことで父に叱責され、出家したのが滝口寺である。
時頼の出家を知った横笛は滝口寺を訪れるが、滝口入道(時頼)は「そのような人はいない」と横笛を追い返してしまう。
そして、滝口入道は深草を訪れた際に、横笛は尼になり、その後まもなく亡くなったと知るのである。

本堂には、滝口入道と横笛の木像が並んで祀られている。
静かで、風通しの良い本堂は気持ちよく、縁側にずっと佇んでいたいと思った。
帰ってきてから、高山樗牛の『滝口入道』を読む。


          
               平家の供養塔

本堂の庭には、平家の供養塔が建っている。
写真の右側奥に見えるのが供養塔。


   
                  小松堂

小松堂には、平重盛を祀っている。


   
      新田義貞首塚             勾当内侍供養塔

山門を入ったところには、新田義貞の首塚がある。
越前藤島(福井県)で戦死した新田義貞の首は、後に京の三条河原で晒された。
妻・勾当内侍(こうとうのないし)は、その首を持ち帰り、髪をおろして尼となる。
首塚の傍らには、この地で新田義貞の菩提を弔った勾当内侍の供養塔もあった。

以前、群馬県の太田駅前で新田義貞と脇屋義助の銅像を見かけたことを思い出した。
あのとき、もっといろんなものを見て回っていればよかったのにな、と思う。


          
               滝口寺の御朱印

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