大倉草紙

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【奈良】 元興寺・元興寺塔址

2008年11月04日 06時17分50秒 | 旅 - 奈良県
7月12日(土)
当日の行程:(近鉄・奈良駅) → 【国宝 法隆寺金堂展(奈良国立博物館)】【志賀直哉旧居】【新薬師寺】【元興寺】 → 【元興寺塔阯】 → (近鉄・奈良駅~西ノ京駅) → 【薬師寺】


【元興寺】

元興寺には、5月にもいちど訪れている(参考:5月13日のブログ)。
前回、触れていないことを中心に記したい。


   
                極楽堂(国宝)

極楽堂の前には、蓮の鉢が並んでいた。

   


   
    元興寺講堂跡礎石          小子房(極楽院旧庫裏)

元興寺講堂跡礎石(奈良時代)は、平成10年(1998)、境内西側の中新屋町で発掘された。
出土場所や礎石の規模から、元興寺の講堂に使用されていたものと考えられている。
創建当初の講堂は、間口11間で、本尊・丈六薬師如来坐像、脇侍2躯、等身十二神将が安置されていたといわれる。


   

訪れたときには、桔梗が美しく咲いていた。

          

手水舎にも、さりげなく桔梗の花が添えられている。


   
                  石仏

禅室(国宝)の傍には、石仏が並ぶ。
毎年8月23~24日には、「地蔵会万燈供養」が営まれる。
願い事を書いたお灯明が、石仏の前に灯されるそうだ。


   
                 かえる石

かえる石は、江戸時代の奇石を集めた「雲根誌」に載っている石だそうだ。
河内の在所の川縁にあった殺生石を、秀吉が気に入り、大坂場内に移したものだと伝わる。
大阪城落城の折には、この蛙石の下に淀君の亡骸を埋めたという説もあり、そのため、淀君の霊がこもっているともいわれているらしい。
落城後は、大坂城のお堀端乾櫓に向う隅に移されたが、その頃から、蛙石から堀に入水する人々が続いたり、堀に身投げした人が必ずこの蛙石の基に帰ってきたりと不思議なことが続いたそうだ。
縁あって、昭和31年(1956)、元興寺に安置されるようになったとのこと。
かえる石の上には、かえるの置物があった。


          
               元興寺の御朱印



【元興寺塔址】

元興寺塔址は、元興寺から南へ、ほんの数分歩いたところにある。
元興寺五重塔は、創建以来約1200年間この地に建っていたが、安政6年(1859)に焼失。
現在は、仮堂と塔址が残っている。


          
                   門


   
                   仮堂


   
                  仏足石


          
                 塔址の碑


   
                   塔址

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