大倉草紙

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【兵庫】 生野銀山

2009年05月10日 20時00分00秒 | 旅 - 兵庫県
5月6日(水)
当日の行程:(車) → 【黒田與一郎・中島太郎兵衛顕彰之碑】 → 【平野國臣捕縛地】 → 【養父神社】 → 【大川藤蔵捕縛地】 → 【山口西念寺】 → 【山口護国神社】【生野銀山】【井筒屋】 → 【生野書院】 → 【延應寺】【息継ぎ井戸】 → 【花岳寺】【大石神社】 → 【大石良雄宅跡の長屋門】【赤穂城跡】 → 【赤穂市立歴史博物館】 

生野銀山を見に行く。
前日、大山から急いで生野に向かったが、ほんの数分の差で閉館になってしまっていた。
近くには竹田城もある。
雲海に浮かびあがる幻想的なその城の姿を写真で見て、ぜひとも訪れてみたいと思ったが、大山で足を挫いてしまったので今回は諦める。
あぁ、残念だ。

生野銀山に話を戻そう。
この銀山は、大同2年(807)に開坑され、天文11年(1542)に山名祐豊によって本格的な採掘が始まった。
織田・豊臣による支配の後、江戸時代には「銀山奉行」が設置される。
明治元年(1868)に政府直轄運営、明治22年(1889)に皇室財産となり、明治29年(1896)には三菱合資会社に払下げられ、昭和48年(1973)まで採掘が続けられる。
開坑から閉山までの約1200年間に掘り進められた坑道の長さは350キロメートル以上、深さは1000メートルに及ぶという。


菊の門
御料局生野支局だったことを示す菊の御紋が入っている。


代官所門


吹屋資料館
江戸時代には、製錬を「吹屋」と呼んでいたそうだ。
ここでは、銀を製錬する各工程が電動人形によって再現されている。


鉱山資料館には、生野銀山の歴史を知ることのできる様ざまな資料が並んでいる。


観光坑道入口(金香瀬坑口)
ここから入って、「金香瀬本坑」 → 「慶寿ひ(金へんに通)坑道」 → 「大丸ひ(金へんに通)坑道」 → 「滝間歩坑道」の約1000メートルを歩く。
坑道内には、江戸時代の採掘の様子と近代の採掘の様子が、それぞれ人形によって再現されている。


江戸時代、坑夫は「下財(げざい)」と呼ばれていた。
サザエに菜種油を入れて、灯りにしていたそうだ。


狸掘
坑夫がノミ1本で掘り進んだ狸掘があちこちにある。


近代の採掘現場の再現。


発破作業の様子


馬蹄形鋼枠二枚合掌
馬蹄に形が似ていることから、その名前が付いたそうだ。


観光坑道出口(滝間歩坑口)


観音岩
平成20年(2008)に発見された。
観音様の横顔が見える。


当日の歩数:12,151歩

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