goo blog サービス終了のお知らせ 

大倉草紙

旅の記録 食の記録 日々の記録

【京都】 琵琶湖疎水記念館

2010年01月20日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
12月27日(日)
当日の行程:【高瀬川一之船入】【島津創業記念資料館】【大文字山】【琵琶湖疎水記念館】【豊国廟】 


琵琶湖疏水記念館に行く。
気にはなっていたのだけれど、関西在住中に行けなかった場所のうちのひとつ。


記念館の入り口に置かれた自販機には、「京の水道 疏水物語」というお水が並んでいる。
1本100円。


東京遷都後の衰退した京都の復興させようと、琵琶湖疏水の建設が始まったらしい。
開国後の日本は盲目的と言えるほどまでに焦っていたが、遷都後の京都も焦っていた、と思う。
平安神宮建立での町おこしや、内国勧業博覧会のことなどを考える。
京都は、焦らずに、そのままでいいのに……と粗野な関東人は思う。
だが、人口は激減し、産業は衰退し……京都の人だって生活しているのだ。
焦るのも仕方ない。

疏水記念館の話に戻ろう。

館内には、琵琶湖疏水の計画と建設に関する資料や、復元模型が展示されている。
琵琶湖疏水の水は、水道用水の確保や船での交通のためだけでなく、水力発電にも利用されているらしい。
水力発電の仕組みをうまく説明できない私。
帰宅後調べたら、自転車の電灯にたとえたうまい説明があった。
自転車のペダルにあたるのが水車、ペダルを踏むのは人の足にあたるのが高い位置にある水。
足でペダルを踏むとチェーンとタイヤが回って電灯が点くけれど、水力発電の場合は、水を落として水車が回ると発電機が回り出すという仕組み。


インクライン


台車
インクラインは、高低差が大きな場所で、貨車を使って船を引き上げるための線路。
船は、「船受枠」という台車にのせられて移動していたそうだ。
琵琶湖疏水のインクラインが運用されていたのは明治24年(1891)から昭和23年(1948)まで(その後、昭和26年に、砂を積んだ30石船が通るのに使われたが)。
陸運の発展が原因で、衰退していったらしい。

移動にはどのくらいの時間がかかったのか、興味深い。
大津~蹴上間の上りには約2時間20分、下りには約1時間20分を要したとのこと。
さて現在は?
ルートにもよるけれど、20~30分前後で移動できるようになった。

役割を終えたインクラインだが、春には桜を楽しむ人で賑わうようだ。

【京都】 島津創業記念資料館

2010年01月18日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
12月27日(日)
当日の行程:【高瀬川一之船入】【島津創業記念資料館】【大文字山】【琵琶湖疎水記念館】【豊国廟】 


2002年にノーベル賞を受賞した田中耕一氏が勤務することでも知られる島津製作所。
その島津製作所の創業記念資料館が、京都の木屋町通ある。


資料館の建つ場所は、島津製作所創業之地。

館内には、様ざまな理化学器機や標本が並ぶ。
中には、手に取ってその仕組みを学べるようになっているものもあり、なるほど、これなら子どもや私のように理化学音痴でも楽しめるな、と感心する。
創業者である島津源蔵(初代)と息子の梅次郎(二代目島津源蔵)の伝記を漫画にしたものが置かれていた。
初代と二代目島津源蔵のスゴさと、島津製作所の魅力がコンパクトにまとまっている。


庭に建つ創業者・島津源蔵の像


島津製作所の社章は、「丸に十の字」。
なので、てっきり島津家と血縁があるのだと思っていた。
だが、そうではないらしい。
島津製作所の創業者島津源蔵の祖先・井上惣兵衛尉茂一は、関ケ原の合戦に敗れて引きあげる際に海難に遭った島津義弘を助け、その功により島津の姓と十の字の家紋を用いることを許されたのだという。

それから、島津って、"SHIMAZU"ではなくて"SHIMADZU"なんだ、というのも発見。

【東京】 川喜田半泥子のすべて展 (松屋銀座)

2010年01月16日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
1月9日
当日の行程: (東京メトロ・根津駅) → 【絹谷幸二 生命の軌跡(東京藝術大学美術館)】 → (東京メトロ・上野駅~日本橋駅) → 【北大路魯山人展(日本橋高島屋)】 → (東京メトロ・日本橋駅~銀座駅) → 【川喜田半泥子のすべて展(松屋銀座)】


「昭和の光悦」と呼ばれる川喜田半泥子の作品を観に行く。
実業家であり、百五銀行頭取などを務める傍ら、写真、陶芸、書、絵画、建築等々の芸術にも才能を発揮した半泥子。
実に楽しみながら創っているなあ、と作品から伝わってくる。


綾部黒茶碗 銘『黒香』


粉引茶碗 銘『雪の曙』


志野茶碗 銘『赤不動』

作品が素晴らしいというだけではなく、いずれも、その銘がしっくりくるのだ。
ユーモアもある。
銘『ねこなんちゅ』という茶碗が展示されている。
これは、美濃の陶芸家・荒川豊蔵の窯を訪ねた際に制作したもの。
窯の近くで見つけた天正の黄瀬戸小皿を底にして、千歳山の土で焼成した胴部を呼継している。
実に味のある、へんてこりんな外観だ。
皆、この茶碗を見ては、「珍ワン(碗)、珍ワン」と言ったそうな。
そこで半泥子は、「猫に見せたら何と言う」と洒落て銘じたという。

そのユーモアは、書の分野でも生かされている。
"How are you?" を漢字で表した「波和遊」、同様に、"I'm glad to see you."が「愛夢倶楽通志友」になったり。


半泥子は寅年生まれ。
虎の絵の展示もあるが、「非猫」には見えない。
これなら飼えるなあ。

【東京】 北大路魯山人展 (日本橋高島屋)

2010年01月15日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
1月9日(土)
当日の行程: (東京メトロ・根津駅) → 【絹谷幸二 生命の軌跡(東京藝術大学美術館)】 → (東京メトロ・上野駅~日本橋駅) → 【北大路魯山人展(日本橋高島屋)】 → (東京メトロ・日本橋駅~銀座駅) → 【川喜田半泥子のすべて展(松屋銀座)】


2009年は魯山人没後50年、そして2010年は日本・ポルトガル修好150周年。
それを記念しての展覧会だという。
何のことかと思ったら、魯山人70歳の時、当時パナマ船籍のアンドレ・ディロン号の船室を飾るために制作した壁画がポルトガルで見つかり、それが里帰りしているというのだ。


壁画『桜』


壁画『富士』

うーん、壁画のほうはそれほどでも……という感じ。
焼き物のほうは、さすがに見応えがある。


『色絵九谷風福字小向付』


『色絵椿紋大鉢』


『赤絵九谷風双魚飾皿』


『織部鱗紋俎板鉢』
「星岡茶寮」で使われていた食器も展示されている。
実際にお料理を盛った時の写真がパネルになっているのがよかった。

【東京】 特別展 江戸の粋・明治の技 柴田是真の漆 × 絵 (三井記念美術館)

2010年01月12日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
12月12日(土)
当日の行程:(東京メトロ・日本橋駅) → 【安井曾太郎の肖像画(ブリヂストン美術館)】【特別展 江戸の粋・明治の技 柴田是真の漆 × 絵(三井記念美術館)】 → (東京メトロ・日本橋駅~神田駅…JR・神田駅~お茶の水駅) → 【大名と領地 お殿様のお引っ越し(明治大学博物館)】 → (東京メトロ・新お茶の水駅~日比谷駅) → 【ユートピア -描かれし夢と楽園-(出光美術館)】


勝手な想像だが、柴田是真は、イタズラ好きだったに違いない。
例えば、カップにコーラを注ぎ「コーヒーをどうぞ」とすすめ、それを飲んだ瞬間に驚く人の顔を見てはガハハと笑うような。
コーヒーだと思ってコーラを飲まされた人は、一瞬ムッとするかも知れないが、すぐに一緒にガハハと笑うだろう。
んー、私のような凡人の考えうる例えは的確じゃなかったかも。
兎にも角にも、うっとりするほど見事で、お茶目な騙しっぷりを披露してくれる。
こういう騙され方は、騙されるほうも楽しい。

『紫檀塗香合』と書かれているが、これはフェイク。
紫檀を使ってなんかいない。
木材に漆を塗り、紫檀かのように仕上げているのだ。
ワザと干割れを入れてかすがいを打っているところが、なんともニクイ。

『砂張塗盆』も、だまし漆器。
「砂張」とは、銅の合金。
ところが、漆の下は紙という「なんちゃって砂張」なので、手に取った人はずっこけてしまうだろう。

『花瓶梅図漆絵』は、和紙に漆を塗り、紫檀の木目を刀で彫ったというもの。
額に入っているように見えるが、実はこの額も描かれている。
結構な大きさなのだが、総重量は450グラム。
ここまでして騙すか……。

騙しだけではなく、そのデザインの斬新さも目をひくものがある。


『流水蝙蝠角盆』


『雛飾り図』
こんな角度からの雛飾りを描くなんて!

『瀑布に鷹図』は、鷹が滝に映る自分の姿を見つめている図。
不思議な感じがした。

そして何といっても素晴らしいのは、『柳に水車文重箱』だろう。

くしべらを使った青海波塗。
角度によって、波が違う表情を見せてくれる。
水車の羽根は、一枚ずつ違う。
薄桃色の花がぽっと咲いていて、それもまたよかった。

実に満足のいく展覧会だった。

【東京】 安井曾太郎の肖像画 (ブリヂストン美術館)

2010年01月11日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
12月12日(土)
当日の行程:(東京メトロ・日本橋駅) → 【安井曾太郎の肖像画(ブリヂストン美術館)】【特別展 江戸の粋・明治の技 柴田是真の漆 × 絵(三井記念美術館)】 → (東京メトロ・日本橋駅~神田駅…JR・神田駅~お茶の水駅) → 【大名と領地 お殿様のお引っ越し(明治大学博物館)】 → (東京メトロ・新お茶の水駅~日比谷駅) → 【ユートピア -描かれし夢と楽園-(出光美術館)】


深く考えることなく訪れたのだが、肖像画ばかり並んでいる展覧会とは、観ていて不思議な気持ちになるものだ。
チラシにあるのは、『金蓉』(1934年)。
全体の雰囲気が何ともいえず、好きだ。
裾から覗くオレンジ色の柄模様が素敵。


『座像』(1929年)
描かれた女性は、乃木希典の姪の長女なのだそうだ。
安井曾太郎のもとで、絵を習っていたという。


『深井英五氏像』(1937年)
深井英五氏は、第13代日本銀行総裁。
退官記念の一枚。


『F夫人像』(1939年)
随筆家の福島慶子氏を描いたもの。


『玉蟲先生像』(1934年)
仙台第二高等学校(現・東北大学)校長の玉蟲一郎一氏の校長退職記念で描いた作品。


『安倍能成君像』(1955年)
旧制第一高等学校校長を務めたときの教え子が、古希の記念に贈ったもの。

父母や孫の肖像画もあったが、著名人のものが殆ど。
タイトルを見ずに作品と向かい合い、描かれた人物の職業を想像する ― 途中から自然と、そんな楽しみ方をしていた。
それが結構あたる。
私ってスゴイ!と有頂天になったけど、よくよく考えてみると、もちろんスゴイのは安井曾太郎。

印象的だったのは、『徳川圀順氏肖像画』の解説。
これは、水戸徳川家第13代当主で貴族院議長の徳川圀順の貴族院議長退任時に描かれたもの。
出来上がった肖像画を目にし、徳川氏は次のように言ったという。
「私はこんなおやじかとがっかりしたが、安井さんに描いてもらった方が皆言われるように、自分もだんだん絵に似てくるように思われる」

【京都】 受け継いでいく祇園祭 (京都府京都文化博物館)

2010年01月10日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
12月26日(土)
当日の行程:(羽田空港→伊丹空港…大阪空港交通リムジンバス・大阪空港南ターミナル~京都駅八条口…京都市バス・京都駅前~京都市役所前) → 【本能寺】 → 【本能寺跡】【南蛮寺跡】【受け継いでいく祇園祭(京都府京都文化博物館)】


世界無形文化遺産登録を記念しての展覧会。

貞観11年(869)、疫病が流行したため、卜部日良麻呂が66本の鉾を立てて牛頭天王を祀り神泉苑に送ったのが祇園祭のはじまりだといわれる。
安和3年(970)には祇園社で初めて御霊会が行われ、その後は定例となった。
展示されている資料で、時代によって、山や鉾の数が違ったり、山鉾巡行のルートが異なると初めて知る。

祇園祭というとまず思い浮かぶのは、7月17日の山鉾巡行。
私自身、観に行ったことがあるのは、宵山と山鉾巡行だけだ。
だが、実際の祇園祭は、7月1日の吉符入りに始まり、1カ月間続く。
1カ月間の儀式をまとめた映像が流れていて、興味深かった。


『祇園祭礼図屏風』 明暦2年(1656)
蟷螂山が描かれているのを見つけ、なぜか嬉しくなる。
↓拡大



こちらは今の蟷螂山。

【東京】 絹谷幸二 生命の軌跡 (東京藝術大学美術館)

2010年01月09日 21時10分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
本日の行程: (東京メトロ・根津駅) → 【絹谷幸二 生命の軌跡(東京藝術大学美術館)】 → (東京メトロ・上野駅~日本橋駅) → 【北大路魯山人展(日本橋高島屋)】 → (東京メトロ・日本橋駅~銀座駅) → 【川喜田半泥子のすべて展(松屋銀座)】


絹谷幸二の退任記念展に行く。
50点の展示が、無料。スゴイ。
絹谷幸二の作品を目にするのは、高島屋大阪店で「絹谷幸二展 情熱の色・歓喜のまなざし」を観て以来。
と、思ったら違った。
十津川でも観ていた。
『十津川に昇る太陽』の一作品だけだけど。

「ブォォォォ…」「はいよ」など、画面の文字から音が溢れ出す。


『炎炎・東大寺修二会』(2008)
実際のお水取りより迫力があるのではないか。
参考までに↓これは昨年の東大寺修二会の様子。




『富嶽龍神飛翔』(2003)
龍が富士山を囲んで、うねるように回っている。
情熱的な赤色の画面の中で、富士は、白く、すっとそそり立っている。
絹谷の富士に対しての格別な思いを綴った文章が、パネルになっていた。
死についての言及もあった。
これだけ生命力に満ちた作品を描くのだから、死についてもさぞかし激しい見解を持っているのだろう思ったら、そうではないようだ。
生と死を、真逆のベクトルを持つものとしてではなく、生も死も循環するものとして捉えているふうである。
ごくごく自然なこととして。

明日は作家による作品解説があるそうだ。
明日にすればよかったかな。

【東京】 医学と芸術展 (森美術館)

2010年01月08日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
12月10日(木)
当日の行程:(JR・目黒駅) → 【日本磁器ヨーロッパ輸出350周年記念 パリに咲いた古伊万里の華(東京都庭園美術館)】 → (JR・目黒駅~恵比寿駅) → 【木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン ― 東洋と西洋のまなざし(東京都写真美術館)】【開館記念特別展Ⅱ 没後10年記念展東山魁夷と昭和の日本画展(山種美術館)】 → (JR・恵比寿駅~渋谷駅) → 【中央大学創立125周年記念特別展 平木コレクションのすべて 浮世絵百華(たばこと塩の博物館)】 → (JR・渋谷駅~原宿駅) → 【浮世絵の雪景色(浮世絵太田記念美術館)】 → (東京メトロ・明治神宮前駅~表参道駅) → 【新創記念特別展 第2部 初代根津嘉一郎の人と茶と道具 根津青山の茶の湯(根津美術館)】【医学と芸術展 生命(いのち)と愛の未来を探る ― ダ・ヴィンチ、応挙、デミアン・ハースト(森美術館)】【清方ノスタルジア 名品でたどる 鏑木清方の美の世界(サントリー美術館)】


展覧会は「身体の発見」「病と死の戦い」「永遠の生と愛に向かって」の3部構成。
過激な、というか、生々しい展示物もあるのだが、なかなか面白い展覧会だった。


レオナルド・ダ・ヴィンチ『頭蓋骨の習作』(1489年)
エリザベス女王所蔵のロイヤル・コレクションのもの。
スゴイものがさりげなく展示されている。
ダ・ヴィンチの解剖図の3点のうち2点は日本初公開。
鏡文字も見ることができた。


円山応挙『波上白骨坐禅図』(18世紀)
タイトルの通り、波の上で骸骨が坐禅している。
どういう意味を込めて描かれたのだろうか。


河鍋暁斎『骸骨図』(1871年以降)
踊っているようにも見える骸骨。
精子や卵子も描かれている。


フランシス・クリック『DNA二重螺旋の鉛筆画』(1953年)
ノーベル賞を受賞したことを知らせる電報も展示されている。
この人って、物理学から生物学に転向してすぐに、DNAの仕組みを解明したらしい。

アルヴィン・ザフラ『どこからでもない議論』は、サンドペーパーのキャンバスに人間の頭蓋骨を擦って作ったというもの。
いったい誰の頭蓋骨を?
衝撃的で、受け止めきれない作品だった。

衝撃的、といえば、ヴァルター・シュルス『ライフ・ビフォア・デス』も。
同じ人物の写真が2枚ずつ並んでいる。
いっぽうは目を開いていて、もういっぽうは目を閉じている。
眠っているのかと思ったら、そうではない。
同じ人間の、生きているときの姿と、死んだときの姿なのだそうだ。
赤ちゃんから老人まで、年齢は様ざま。

それから、腕に人工の耳を埋め込んだステラーク『腕にある耳』や、遺伝子操作 で蛍光色に光るウサギなども紹介されている。

【東京】 開館記念特別展Ⅱ 没後10年記念展東山魁夷と昭和の日本画展 (山種美術館)

2010年01月07日 21時00分00秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
12月10日(木)
当日の行程:(JR・目黒駅) → 【日本磁器ヨーロッパ輸出350周年記念 パリに咲いた古伊万里の華(東京都庭園美術館)】 → (JR・目黒駅~恵比寿駅) → 【木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン ― 東洋と西洋のまなざし(東京都写真美術館)】【開館記念特別展Ⅱ 没後10年記念展東山魁夷と昭和の日本画展(山種美術館)】 → (JR・恵比寿駅~渋谷駅) → 【中央大学創立125周年記念特別展 平木コレクションのすべて 浮世絵百華(たばこと塩の博物館)】 → (JR・渋谷駅~原宿駅) → 【浮世絵の雪景色(浮世絵太田記念美術館)】 → (東京メトロ・明治神宮前駅~表参道駅) → 【新創記念特別展 第2部 初代根津嘉一郎の人と茶と道具 根津青山の茶の湯(根津美術館)】【医学と芸術展 生命(いのち)と愛の未来を探る ― ダ・ヴィンチ、応挙、デミアン・ハースト(森美術館)】【清方ノスタルジア 名品でたどる 鏑木清方の美の世界(サントリー美術館)】


山種美術館の開館記念特別展Ⅱを観に行く。
印象に残った作品をいくつか。


『月出づ』(1965年)
懐かしいような気がする作品で、観ていてとても落ち着く。
懐かしいとは感じるのだが、実際にこのような風景を目にしたことがあるかといえば、思い出せない。
場所は志賀高原なのだそうだ。


福田平八郎『筍』(1947年)
モダンな感じのする一点。
日本画というよりも、デザイン画のようだ。

「魁夷が描く京の四季」と題して、4点が展示されている。
「京都は今描いといていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいてください」と魁夷にすすめたのは川端康成。


『春静』(1968年)
これは鷹ヶ峰の春の景色。
桜が美しい。
鷹ヶ峰というと紅葉で有名だが、春もまた良いのだろう。


こちらは、光悦寺境内から見た鷹ヶ峰三山の秋の景色。


『緑潤う』(1976年)
涼やかな風景。
これは、修学院離宮の隣雲亭の庭から見える浴龍池を描いたもの。


こちらは季節が違って、冬に修学院離宮を訪れたときの写真。
歩いていると、いきなりこの景色が目に入ってくるように造られていて、驚き、感動したのを憶えている。


『秋彩』(1986年)
小倉山の紅葉。


小倉山の紅葉は美しいらしい。
これは小倉山二尊院の「紅葉の馬場」と呼ばれる参道。
この緑が色づいたら、見事だろう。
「我かものと 秋の梢を 思うかな 小倉の里に 家居せしよ里」(西行)
「散紅葉こゝも掃 きゐる二尊院」(高浜虚子)
境内には、この地の紅葉を詠んだ歌や句を記した立札がある。


藤原定家が、小倉百人一首の選定をしたと伝わる時雨亭跡。
それから、小倉餡の発祥の地もここだ。


『年暮る』(1968年)
京都ホテルオークラの屋上からの景色。
静かな、静かな年の暮れだ。
町屋から、ぽつんと灯がもれる。
雪がしんしんと、静かに、静かに積もっていく。


数日前、京都ホテルオークラの前を通った。
地下鉄・京都市役所前駅を出たところには、クリスマスはもう過ぎているのだけれどツリーの形をしたイルミネーションが派手に光っていた。
辺りは、ビルが林立している。
ほんとうに、描いておいてくれて、よかった。