大倉草紙

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【京都】 修学院離宮

2008年12月26日 22時49分01秒 | 旅 - 京都府
本日の行程:(京阪・出町柳駅…叡山電鉄・出町柳駅~修学院駅) → 【修学院離宮】【曼殊院門跡】【八大神社】【詩仙堂丈山寺】



修学院離宮は、後水尾上皇によって造られた上皇の離宮。
下離宮」「中離宮」「上離宮」から成る。
時折、雪が舞っている。
聞けば、今年初めての雪なのだそうだ。

【下離宮】

御幸門
こけら葺きの屋根。
板戸には、花菱紋の透かし彫りがある。


寿月観の御輿寄


寿月観は、こけら葺き数奇屋造りの建物。
文政7年(1824)に改造されたもの。


「寿月観」の扁額は、後水尾上皇の宸筆。


寿月観の一の間は、15畳、そのうち3畳を上段とし、背後には一間半の床、その脇には琵琶床と違棚がある。


違棚の絵は、原在中の筆による。


虎渓三笑の襖絵は、岸駒(がんく)の筆による。


この珍しい形の灯籠は、「袖形灯籠」というのだそうだ。


【中離宮】

松並木を通って、中離宮へ。

松並木から山のほうを見る。
奥のほうに、うっすらと白く雪で覆われた山が比叡山。


楽只軒
楽只軒は、上皇の第八皇女・光子内親王の朱宮御所の最初の建物。
その後、朱宮内親王が仏門に入り林丘寺という尼寺となる。
明治18年(1885)、その一部の建物が返還されて現在に至る。


林丘寺二代普光院宮が疱瘡にかかり、治癒祈願のために護摩が焚かれ、そのために煤で室内の壁は黒くなったという。
その後の修復でかなり綺麗にはなったそうだが、それでもまだ煤の痕が残っている。


客殿は、楽只軒のすぐ隣に建っていて、階段で繋がっている。
東福門院の御所の一部を移築したものなのだそうだ。


霞棚
客殿の内部は、修学院離宮の他の建物と比べ、かなり豪華な装飾が施されている。
室内の違棚は「霞棚」と呼ばれ、桂離宮の「桂棚」、醍醐三宝院の「醍醐棚」と共に、天下の三大名棚として名高い。


引手は羽子板の形をしている。


杉戸に描かれた鯉。
網がかかっているのが面白い。
鯉を描いたのは誰であるのか定かではないが、網は円山応挙の筆によると言われているそうだ。


山鉾を描いた杉戸もある。
住吉具慶の筆による。


網干の欄干


【上離宮】

浴龍池
上離宮に入り、大刈込みの間を登っていくと、急に視界が開ける。
思わず声を上げてしまうほど、感動的な光景だ。
山々が美しく、寒さも気持ちよく感じる。
「浴龍池」はその名の通り、龍が水浴している池なのだそうだ。
池の中央に浮かぶ島を龍に見立てているのだという。


隣雲亭
修学院離宮のなかで、一番標高の高いところに位置する茶室。
それで「隣雲亭」か。
しゃれている。
建物は外観も、内部も、簡素なものだ。
写真の左手にある板の間は、「洗詩台」と呼ばれている。


一二三石(ひふみいし)
隣雲亭の軒下のたたきには、漆喰に石が埋め込まれている。
よく見れば、石が一つ、二つ、三つ、そんなふうに組み合わされている。
だから、「一二三石」と呼ばれるそうだ。
赤いのが鞍馬石で、黒いのが鴨川石だという。

 
隣雲亭の裏手には、「雄滝」が山から浴龍池に向かって流れ落ちている。
その滝を眺めるように「滝観灯籠」が建っている。


千歳橋


楓橋


「窮邃亭」は改修工事中で中を見ることはできなかった。


「窮邃亭」の扁額は、後水尾上皇の宸筆。


西浜


土橋


御舟宿


大刈込み
浴龍池の水は、谷川の水を集めたものである。
水を堰き止めるための土堤や石垣を隠すために、このような生垣が作られている。
生垣は数十種類の常緑樹からできているという。

幾度も抽選もれをして、ようやく訪れることができた修学院離宮。
ここは秋の紅葉の頃が素晴らしいと聞いていたが、冬の修学院離宮もなかなか良かった。


今日の歩数:16,140歩