こんにちは〜!チーム株式会社の緒川修(おがわおさむ)です!!
今日は歴史について自分なりの考察を書いていきます!
以前、戦国時代の桶狭間の戦いにおいて「実は信長は少数精鋭で今川軍を叩いたのでは無く、今川軍が分散して兵力が減った所を強襲したのでは無いか?」と書きました。
※該当日記
しかし、そうだとすると何故「少数精鋭で今川軍を奇襲した」という逸話が出てきたのでしょうか?
これは2つの可能性が考えられ、1つは話に尾ひれが着いたと言うものです。
人間、ドラマティックな物を好みますからね!
強大な今川軍を破ったというインパクトがこの話を産んだ可能性があります。
もう1つは、信長側がプロパガンダとして流布した可能性です。
信長が使った戦法は、今川軍が分散して、自軍より少なくなったタイミングで襲撃するというものでした。
これは情報戦を駆使して今川軍の動きを把握し、適切なタイミングで行う必要があるもので、さらに自分の大軍は気付かせてはいけないといった凄まじい駆け引きが必要になります。
しかし、上の情報は分かる人には分かるのですが、殆どの人は分からないでしょう。
なので信長は自分が有能に勝った事をアピールするために少数で奇襲をかけたという逸話を流布したのですよね!
なので、素人でも分かるように、少数の信長勢が多数の今川軍ということになったのでしょね。
次回は、逆に相手を大きく見せるプロバガンダ例を出すので、お楽しみに!!
今日は以上です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!