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知識の最後の課題 ―『最後の親鸞』(吉本隆明)より

2018年01月24日 | 吉本さんのおくりもの

吉本さんのおくりもの 16
 知識の最後の課題 ―『最後の親鸞』(吉本隆明)より


〈知識〉にとって最後の課題は、頂を極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂を極め、そのまま(「そのまま」に傍点)寂かに〈非知〉に向って着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の〈知〉にとっても最後の課題である。この「そのまま」(「そのまま」に傍点)というのは、わたしたちには不可能にちかいので、いわば自覚的に〈非知〉に向って還流するよりほか仕方がない。しかし最後の親鸞は、この「そのまま」(「そのまま」に傍点)というのをやってのけているようにおもわれる。


 どんな自力の計(はから)いをもすてよ、〈知〉よりも〈愚〉の方が、〈善〉よりも〈悪〉の方が弥陀の本願に近づきやすいのだ、と説いた親鸞にとって、じぶんがかぎりなく〈愚〉に近づくことは願いであった。愚者にとって〈愚〉はそれ自体であるが、知者にとって〈愚〉は、近づくのが不可能なほど遠くにある最後の課題である。
 (『増補 最後の親鸞』 P5-P6 吉本隆明 春秋社)



 前回の「知識の第一義的な課題」は、容易に受け入れることができても、この「知識の最後の課題」は容易に受け入れることは難しいような気がする。それはなぜだろうか。
 
 知識を大事なものと見なし知識を獲得することに人間的な活動の価値を置く考え方は社会的に流布されている。学校もまさしくそのような価値観の下に運営されている。義務教育ではない高校や大学には行かないという選択肢はあるけれども、学校の内部で、知識を獲得することなんてくだらねえ、なんて忌野清志郎の歌みたいに公然と発言しても空しく押しつぶされていく。管理運営する学校側もそこで勉強する子どもたちも、学校という場やそこでの知識獲得に価値を置く感じ方や考え方を割と自然なものとして身に付けているからである。もちろん、その自然な感じ方や考え方は、自分が社会に出て職に就くためには、この学校をくぐり抜けるしかないとか学校は仕方がないとかいう現実性に支えられている。また、両親が子どもを勉強に追い立てるにしろ放任するにせよ、社会に出て職に就くためには学校をくぐり抜けるしかないという意識的無意識的な親の意思を背中に感じている。その一方で、あまり表面化することがないにしても、子どもたちの多数の者が勉強なんていやだなという気持ちも持っている。子どもが先生などに時折ぶつける「何のために勉強するのですか」という問いかけは、その子の現在が勉強というものにくだびれているということを証している。

 こうした知識や知識の獲得に価値を置く感じ方や考え方は、現在的な主流を成しているが、人が知識を獲得し増大させ深化させていくのは人間の自然な本性に基づく知識の自然な運動である。そして、社会的に流布されている、知識を獲得することに人間的な活動の本質的な価値を置く考え方は、威勢のいい上りがけ、行きがけの捉え方である。その知識の行きがけの過程を内省的に捉えたのが前回の「無限大に想像力を働かせ、無限大に考える」という「知識の第一義的な課題」であると思われる。

 ところで、この「知識の最後の課題」は、知識の行きがけの問題ではなく還りがけの課題であり、そこに容易に受け入れがたい理由があるように見える。特に、青少年や年若い大人にとっては、まだ知識世界の上りがけの時期でもあり、いっそう実感がわかないはずだ。

 まず、この「知識の最後の課題」は、個の生涯では青少年期や成年期には一般に受け入れがたい言葉だと思われる。また、現在の人間界の社会規範のようなもの(マス・イメージ)を基準にすると受け入れがたい言葉だ思える。しかし、人が無意識的のように慌ただしく生きてきて、人生の残照の中やっと生きることの意味をゆっくりと反芻すると思われる老年期には割と受け入れやすいのではないかという気がする。つまり、自分はこの人間界をもうすぐ去るのではないかという気配の中では、知識もヘチマもないから受け入れやすいのではないかと思う。しかし、この老年期からの視線には、この人間界を超えたものの負荷がかかっている。それは、人間が知識を持ちその自然過程をはせ上っていくのも知識を放棄したり知識を殺したりするのも等価ではないか、たいしたことじゃないのではないかという、比喩的に言えば人間界を超えた世界からの視線が加わっている。それは死というものを意識したところからくる視線と言っても良い。こうした途方もない規模で考えると、人間界に喜怒哀楽を放ちながらあくせく生きてきた人間というものは何なのか、という生きることの意味の方に言葉は吸い寄せられていく。

 ここで、人間界で個によってになわれる〈知識〉の運命というものをたどってみる、それは当然ながら、ちょうど人の子の人間界への誕生から死にわたる生涯の曲線と対応する過程をたどっていく。まず、小さい子どもの言葉以前の言葉とも言うべき、アワワなどの喃語(なんご)と呼ばれる段階から話し言葉を少しずつ身につけていく段階へ。たとえば、「りんご」というものが〈りんご〉という言葉や果物という概念と関係づけられ了解されていく。こうしたことをくり返してしだいに概念の世界も踏み固められ霧が上がって晴れ上がっていく。学校に通うようになると、書き言葉の世界に出会い複雑な概念や構造や抽象的な言葉も身につけていく。それらを文章から読み取ったり、文章に書き表したりする力を獲得していく。青年期や成人期に入っていくと、それらの概念や言葉の抽象度もさらに上がり複雑さの度合いを深めていく。そして、老年期に至って概念や言葉は複雑な色合いや含みを持つようになる。そして、概念や言葉も衰えや死の匂いが付きまとってくるように見える。

 つまり、人の心身の成長曲線に対応するように、概念や言葉に対する人の意識、すなわち〈知識〉の運命はたどっていくように見える。個の身体が死を迎えるとき言葉もまた死を迎えるのである。文字が生み出されて書き言葉の世界が現れて以後でも、個が死んでしまったら〈知識〉や思想や言葉(特に話し言葉)はひとたびは死を迎えるように見える。ただ個が死んで後も、残された人々の心に言葉(亡くなった人の話し言葉や書き言葉)は時折よみがえることがある。こうして、個を訪れる言葉の運命は、個における〈知識〉の運命と同じとみることができる。また、このような個の誕生から死にわたる生涯と知識の命運は、植物の発芽から成長そして花開き実を結び、種を残して枯れていくという過程と似たものではないかと思い起こさせる。

 吉本さんの〈知識〉にとって最後の課題は、おそらく読者を複雑な思いの森に導くと思われる。つまり、すんなりとは納得して受け入れることができる言葉だとは思えない。

 吉本さんの〈知識〉にとって最後の課題は、上に述べたような個にとって〈知識〉の誕生から増殖そして死に至るという〈知識〉の運命、〈知識〉の自然過程ということとは別のことである。また、現在までの人類史の主流が、大いなる自然=神々を知ることに発し、この世界の仕組みを探索するようになり、そしてそのような〈知識〉に人間的な価値を見いだし、それをになう人々(巫女やシャーマン、神官、知識層)を特別の存在と見なすようになり、今なおそれを止めていないということとも別のことである。

 この別のことという意味は、今なお〈知識〉やその獲得に価値を置くという現状が社会的な主流のような顔をしていても、社会内のわたしたちの家族や小社会や対人関係には、言いかえると生活世界の基層には、そのような主流の影響は受けつつも、あるいは主流に絡みつかれながらも、例えば〈知識〉の有る無しは大したことではないというような、人を心身の総体で感じ考えるような言葉や視線が確かに存在し続けてきているからである。それは遙か太古から脈々と受け継がれ積み重ねられてきた人類の叡智の深みのようなものであろうか、固い言葉で言えば、他者を直接的な総体性として捉える視線とも言うべきものであろうか。これは生活実感として私の中にある。

 それでは、吉本さんの〈知識〉にとって最後の課題という言葉は、どこに着地するのか、どういう場において生きるのかと考えた場合、わたしたちの生活世界に保存されてきたそのような人類の叡智の深みとも言うべき生活者の言葉や視線に対応しているように思われる。この生活者の他者を直接的な総体性として捉える視線や言葉は、数万年やそれ以上の人間という存在の始まりからの他者(自己)と関わり合う時間の蓄積のことと言いかえても良い。そして、それは表だった主流とは違って、(吉本さんの「歴史の無意識」に対応する)潜在する主流とでも言うべきものである。この意識的、自覚的な〈知識〉の還相の過程において、〈知識〉の自然過程をぶっ飛ばしていく往相は、―その〈知識〉の老いによっても内省を迫られることがあるかもしれないが―、君は何をしてきたのか何をしているのかという自らへの内省に出会うのである。〈知識〉に価値を置く〈知識〉の往相は、国家の成立辺りから人間界の知識・文化上層では力を持ち続けてきた。しかし、それは人間界(社会)の総体においてではない。また、国家成立以前にはたぶん異質な〈知識〉の捉え方の膨大な人類史もわたしたちは持っているだろうと思われる。つまり、現在の〈知識〉の自然過程である往相は、人類にとっての〈知識〉ということのほんの一部ではないかという思いがある。

 吉本さんは、若い頃からずっと親鸞を考え続けてきたのだと思う。若い頃には『吉本隆明全集1』に収められている「歎異鈔就いて」(『季節』1947年7月掲載)がある。次に、ほぼ日刊イトイ新聞の「吉本隆明の183講演」には、1972年11月12日講演の『親鸞について』(吉本隆明183講演 A29)がある。そして、1976年10月に春秋社版の『最後の親鸞』が刊行されている。吉本さん51歳の時である。40歳代から50歳代のこの辺りで、吉本さんは本格的に親鸞を捉えようというモチーフを表に出してきた。つまり、「知識の最後の課題」は、吉本さんにおいても壮年過ぎに切実に訪れてきたモチーフだったと思われる。『カール・マルクス』(試行出版部刊 1966年)における、マルクスも普通の無名の生活者も等価だというような人間の本質的な生存の捉え方やこの親鸞の「知識の最後の課題」に至る吉本さんの知識や思想の道程には、戦争の体験とそこからの内省とが色濃く記されているはずである。そして、そのような実感を伴った内省が、吉本さんを〈大衆の原像〉やこの「知識の最後の課題」のようなこの人間界での本質的な課題を捉える道を激しく上り詰めるように歩ませて来たのだという思いがする。

 〈知識〉に対する ―それは人間や人間世界に対すると言ってもいいけれど ― わたしたちの一般的な視線には、二つある。一つは、個の誕生から死に至る生涯というものの時間の総体を含んだ視線である。もう一つは、人々が小さな集落で生活し始め知識を生み出していった人類の初期(起源)を含んだ視線である。〈知識〉に対するわたしたちの現在的な視線は、現在の〈知識〉にまつわるマス・イメージに浸かっていて、ふだんはあまりその二つの視線を意識することはない。しかし、学校生活や受験など現在の〈知識〉の場で、くたびれ果てて「ここから脱け出たい」という感情や意識を抱いたときには、それら二つの視線は顕在化してくることがあり得るように思う。

 その二つの視線は、まず、わたしたちに知識や知識世界について、なぜそんなものが存在するのかという内省をもたらす。次に、その内省に促されるようにして、この断ち切られることなく連綿と続いてきた人間界の歩み、その現在の中で、日々わたしたちが生きているということは何なのだろう、という問いから教育(家庭教育や学校教育や社会教育)を含めた知識というものが何なのかという問題が浮上してくる。これらのことは、この人間界における人の存在の本質的な価値として吉本さんが捉えた〈大衆の原像〉と関わってくる。

 この吉本さんの「知識の最後の課題」は、まず、親鸞が関東の地で仏教のようなものを携えて当時の民衆の世界に入り込んで行ったとき親鸞が鋭く感じ取った課題であった。どうしても〈知識〉を引きづっていて〈知識〉を完全には放棄できない親鸞の最後の課題だった。次に、この課題は、この人間界での人の存在のあり方の本質を〈大衆の原像〉という本質的なイメージとして捉えてきた吉本さんの、そこから〈知識〉へと逸脱してしまわざるを得なかった自分の最後の課題として問われている。つまり、親鸞の時代から遠く離れた現在の、現在的な問題として問われている。

 〈大衆の原像〉は変貌してしまったとかよく批判されるが、これは本質的な存在のあり方として抽出されたイメージである。つまり、具体性のレベルではないある抽象度を持ったイメージである。たとえば、柳田国男が捉えた常民の具体的な生活世界やその具体的なイメージと現在のそれらは大きな落差や違いがあるように感じるだろう。大衆の具体性としての有り様は、高度経済成長期以後の消費資本主義の世界の下の、大衆が知識世界に普通に出入りするようになった段階とそれ以前では大きな変貌があるだろう。また、知識人と知識には無縁な生活者という構図も、純文学と大衆文学という構図も、解体されて現在ではその断絶と境界が曖昧になってきている。しかし、数万年に及ぶこの列島の住民の精神的な遺伝子がそう簡単に変わらないのと同様に、大衆の具体的な有り様ではなく、大衆のこの人間界における有り様の本質的なイメージとして抽出された〈大衆の原像〉は、不変的なものとしてある。そして、この吉本さんの「知識の最後の課題」は、家を抜け出した放蕩息子が様々な放浪の旅の末に我が家に帰ってくるように、〈知識〉世界に逸脱してしまった自分が、最終的に還っていく世界が価値のイメージ(像)として指示されていることになる。

 あぶくのような知識の優劣を競ったり、知識をひけらかしたり、自らの生活実感とは無縁に何やら固い抽象語を振りまわしたりということを、今なお知識世界の住人は止めていない。そんな知識界の住民を尻目に、この吉本さんの「知識の最後の課題」は、わたしたち人間界の内部での大きな課題として考えられているはずである。

 しかし、人間界の規模を超えた大いなる自然(宇宙)というレベルからの反照する視線(というものを比喩的に仮定して)を導入すると、この吉本さんの「知識の最後の課題」も粉々に砕けて、ただなぜかはわからないがこの大いなる自然(宇宙)の下に人間というものが存在し、宇宙から見たら人間という本質的に受動的な存在、親鸞の絶対他力的存在というあり方をしているということになるだろう。ちょうど人工衛星から(のデータを画像処理して)列島を見たとき、なにか生命が分布して生命活動を明滅させているものの静止画像を見たときのように。しかし、人工衛星からこの列島やそこに住む人々を見ようとする視線は、もはや比喩ではない現実的なものとして人類が獲得してしまった。吉本さんはこの上方からの視線を「世界視線」(『ハイ・イメージ論Ⅰ』) (註.1)と呼んでいる。この世界視線は、人間界の科学技術の成果がもたらした人間的な視線であるが、人間界を突き抜けるものを持っているように思われる。自分が地上の内部にいながらそこから遙かに突き抜けた外部の遙か真上からの視線である。言いかえると、大いなる自然(宇宙)が内省というものをすると見なせば、それを代替するような内省する視線のようにも感じられる。しかし、ここではこれ以上それには触れない。



 (註.1)
「世界視線」

 ランドサット映像が世界視線としてあらわれたことの意味は、わたしたちがじぶんたちの生活空間や、そのなかでの営みをまったく無化して、人工地質にしてしまうような視線を、じぶんたちの手で産みだしたことを意味している。この視点はけっして、地図の縮尺度があまりに大きいために細部を省略しなければならなかったとか、さしあたり不必要だから記載されなかったということではない。ランドサット映像の視線が、かつて鳥類の視線とか航空機上の体験とかのように、生物体験としての母体イメージを、まったくつくれないような未知のところからの視線だということに、本質的な根拠をもっている。いわば、どうしても人間や他の生物の存在も、生活空間も、映像の向う側にかくしてしまう視線なのだ。
 (『ハイ・イメージ論Ⅰ』 P155 吉本隆明 ちくま学芸文庫)

 

※今回を含めた以下の三つの文章は、一連のものです。

 「吉本さんのおくりもの」
12.知識の第一義的な課題 
13.知識の起源から照らして
16.知識の最後の課題

 


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2 コメント

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感心しながら読みました。 (佐藤公則)
2018-01-25 16:12:58
よく整理されて分かりやすく書かれていました。感心しながら読ませていただきました。もっともっといろいろな文章も書いてほしいものです。期待しております。それから、ゲーテの問いについて、自分の思うところもありますが、ひとつnishiyanさんの解析も知りたいですね。いつかそれについての文章も掲載してくれたらと希望します。
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コメントありがとうございます (nishiyan)
2018-01-25 17:23:21
今回のは、ずいぶん寝せていました。まだ十分ではないかなという余地を残して公表しました。ゲーテの問いは、一度詩集『みどりの』で触れました。この問題もまだ継続中でした。短歌味体は2月で3年目、3000首近くになりますが、まだまだ言葉の地平がよく見えてきません。がんばっていきます。継続はなにものかであると思いつつ日々をつないでいます。佐藤さんの方はこちらと比べものにならないくらい厳しい寒さかもしれませんが、お大事に。
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