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ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

詩集 『みどりの』 2013年

2016年03月13日 | 詩集

詩集 『みどりの』   (詩集 『みどりの』発行 2013年3月12日)
 
  目次
 
みどりの 1             みどりの 18
みどりの 2             みどりの 19
みどりの 3             みどりの 20
みどりの 4             みどりの 21
みどりの 5             みどりの 22
みどりの 6             みどりの 23
みどりの 7             みどりの 24
みどりの 8             みどりの 25
みどりの 9             みどりの 26
みどりの 10            みどりの 27
みどりの 11            みどりの 28
みどりの 12            みどりの 29
みどりの 13            みどりの 30
みどりの 14            みどりの 31
みどりの 15            みどりの 32
みどりの 16
みどりの 17
 
 あとがき


--------------------------------------------------------------------------------
 みどりの 1


(風)

(heat)

(流れ)

(wave)

((不随意の動力のエロス))

 

 

  みどりの 2


みぃ

庭にも植えた
きゅうりが
ついに
根付き 伸び出した

どぉ

ちいさな黄色の花
点々とつけ
巻きひげを伸ばし
ゆらゆら
ゆらゆら
風になびいているばかり
に見える
(が たぶん巻きつくところを探している)

りぃ

ちいさなちいさなきゅうりの実を結び
日ごとに大きくなっている
(ものごとは たぶん
こちらに合わせて見えてくる
こちらに合わせて感じ取れる
しかし たぶん
知らないところで出合っていることもある)
人の生涯のように
日差しや大気や養分から
日々 織り上げ 織り成し
植物物語の内側に
日々 生動している

庭のきゅうりが大きくなってるよ
そお

 

 

 みどりの 3


・・・・みぃ・・・・・・・
・・どぉ・・・・・・・・・
・・・・・りぃ・・・・・・
・・・・・・・・のぉ・・・

 

 

 みどりの 4


み 風が軽く吹いている
ど 夜遊びから帰りがおそいな今日は
り 猫は猫の日々があり・・・・・・
の ああ 戻ってきたか

 

 

 みどりの 5


ちいさい子が言う
それでなきゃいや
(みどりの)

ちいさい子が言う
あしたうみいった
(みどりの)

ちいさい子が言う
あのねあのねあのね
(みどりの)

 

 

 みどりの 6


何周回っても(速くとも遅くとも)
言葉は発動しなくても(一位でもびりでも)
はあはあ固有の疲労曲線を呼吸している(みんなが)

(あれは ・・・・・・)
(あれは ・・・・・・)
(これは ・・・・・・)

あれは ・・・・・・
あれは あがうぬ
あれは あがやむ

あれは ・・・・・・
あれは 海
あれは 山

あれは ・・・・・・
あれは まんじゅう
あれは スイーツ

現在の流れに匂い立つ
言葉は
古いも新しいも
枯れたり新芽を出したり
差異と同化の劇を反復している
知らぬ間に
自然に連結されていく
その結び目の
滴り ながれる

 

 

 みどりの 7


佐韋賀波用
久毛多知和多理
ミ 宇泥備夜麻 
許能波佐夜藝奴 
加是布加牟登須

宇泥備夜麻
比流波久毛登韋
由布佐禮婆 リ
加是布加牟登曾
許能波佐夜牙流


註.古事記歌謡20,21原文より引用

 

 

 みどりの 8


(名づける)
(果てしなく流れ来た
なじんだ岸辺に赴くように
ひとつのちいさな
けれど連綿と伝わり来た
霞み立つ 深い意志)

山野みどり
海川緑
土屋さくら
川野沙織
山田祐介

 

 

 みどりの 9


公園の
植え込みの
みぃ

公園の
植え込みの
木々の葉揺れに
みぃどぉ

公園の
植え込みの
木々の葉揺れに
ちろちろ
日差しきらめき
みぃどぉりぃ

公園の
植え込みの
木々の葉揺れに
ちろちろ
日差しきらめき
染み渡る
流れ

みどりの

 

 

 みどりの 10


万緑の(み(泡立ちうねり) )
all green ( guu (bubbles bubbles ) )

緑流れ( み み み ( 流れる 光の粒の明滅 ) )
flow flow
float away ( guun ( flow flickering lights ) )

日差しは柔らかに(み み どお(ちいさなぬくもりの) )
sunlight
is shining softly ( guoon ( a little warmth ) )

ひとつの流れ 染み渡る(み ど り の)
a flow
sinks into our hearts ( green )

 

 

 みどりの 11


み(海)
ど(波)
り(入り江)
の(陸)

み(いち)
ど(にい)
り(さん)
の(  )

み(いぃぃ)
ど(おぉぉおおぉぉぉ)
り(ぃぃいいぃぃいいいぃ)
の(  )

 

 

 みどりの 12


(ゆっくりと降下していく
雲間を抜けて
時間の大気の層を遊泳するように
湿気を含んだ大気肌触れ
降下してゆく
通りからの流れと合流する)

みぃちゃん
いそがないと遅れるわ

みどり
今日は帰りが遅いなあ

みぃちゃん
ぼくにもそれ作ってよ

みどりは
よお気が利く子だねえ

 

 

 みどりの 13



(いや ちがうなあ)


(それもちがうなあ)


(腹の底の方から 声が出ていない
頭上から 舞い降りてる靄みたいな)

みどりの
(くたびれたみどりの概念が接続されてる)

 

 

 みどりの 14


みどりのただよう
みちを歩いている
透明なドームの
みちを下ってゆく

肌合いは
とりあえず
ひらがなに乗せるほかないが
ほんとうは
文字の曲率を超えて
どこまでも
流れ下り曲りゆく

しゅうしゅうしゅわ
しゅうしゅうしゅわ
一匹の魚になって
からだのなか 水流れ
湧き立つ音
耳に伝わり来る

しゅうしゅうしゅわ

 

 

 みどりの 15


人界の内で
皇子と乞食はとりかえばや
が可能であっても
人界を突き抜ける
言葉は
原初と現在はとりかえがきかない
と或る時と同じく
ただ現在から
ただ現在を 突き抜けて

(文字文字するなあ
半ば以上は苦の文字)

漢字
ひらがな
カタカナ



今持てるものからしか
言葉は
流れ出さない
匂わない

(記号の森できみは何をしているのか)

書き記すことだけが
言葉の生きること
あるいは
沈黙の内に流れるものが
言葉の生きること
くたびれたみどりの現在
深い普遍の流れに
手肌を漬ける

 

 

 みどりの 16


ライターを灯した一瞬
に立ち返りゆく
微かに流れた時間の瞬き

肌を流れ下る風と大気と
秋は静かに流れ出し
匂い出す

ただの葉揺れが
幾多の物語の
寡黙な基底を流れ続ける

ああ その この あの
流れの内は定型以前の
匂うひかりの明滅するばかり

 

 

 みどりの 17


(おまえは何をしているのか)

ことばが
言 葉
の谷間に
めまいするとき
複雑に織り成され来たこの世界の総量が
静かに揺らぐ
揺らいでいる

漢字で塗り固められた
言葉の壁が異邦の感じに見える
あらゆる定型は
忘れられた遠い接続部のひとつひとつへ
がらがらとはがれ落ちていく
もちろんわたしのことばも
したがって流れる
流れ出す

根太い芯をするする下ってゆく
追跡することばのようなものに
言葉は
言( )葉
言( ( ) )葉
言( ( ( ) ) )葉
不明ばかりが積もってゆく
着地し 形成(かたちな)す
言葉の村なんてない
ただ異色(こといろ)の沈黙たちのうねり
流動している
その流動の

kwoto nu pha
が不明でも
ゆらゆら ゆらゆら
不明の底を流れるものはある
現在の言葉もまた
わかりすぎるということはない
不随意運動のように
言葉をつなぎ織るひとの本流から
屈折に屈折を重ねる時間の文体
幾多の定型の遥かな基層には
ゆらゆら ゆらゆら
くぐもり くぐまり
苦しげに ひっそりと
幾筋も流れゆくものがある
果てしない
ひとの本流から
哀や喜の 言葉にならない
・・・・・・が匂い立っている
しっとり雨に濡れた
みどりの

 

 

 みどりの 18


この大気を 呼吸しながら
なにものかに促され
言葉をひたすら織っていく
より下った所から
漂い匂い出すものはある

わたしたちの時代は
乾いて屈折している
言葉は
からから からから
乾いた音を立てている
清涼飲料水になじんだのどは
生の水には
しっくりこない
流れ 潤うことには変わりはないが
遠い昔 塩あんから砂糖のあんに変わったように
気づくと
流れと感度の層が繰り上がってしまっている
あらゆるところで
嘆いてみてもはじまらない
とある時と同じように
新たな潤いと嘆きが
大きな流れに慣れ馴染んでいく
どこへ行くのかはわからない
めまいのように遠い 初発の動機と
この 人の流動と

潮の変わり目には
いつも湧き上がり来るしなびた牧歌を超えて
慣れ 異和 慣れ 異慣 慣異 慣れ
ただ乾いた道を
黙々と歩いている
時には ペットボトルの飲料でのどを潤す

言葉を織る 言葉の手を
斜め上方から
見つめているものがある
言葉に織り込まれ
かすかに匂うか

抽出される抒情は
造花のみどりではないが
みどりのみどり
果てしなく遠いところから
現在から
交差して
二重の視線の彼方にぼんやりと絞り出される
<みどりの>

 

 

 みどりの 19


ふだんは
さっと通り過ぎているけど
振り返りには いつも
ちいさな風景が滲んでくる

(…………)
あっ
……
ソレハ

(……)
おっ
……
コレハネ

(……………………)
おお
………………
ソウナノヨ

(……………)
ああ
…………
ウンウン

(…)
ねえ
……
アア

この地で
織り上がった
みどりの布をまとい
知らぬ間に走行している
みどりの

 

 

 みどりの 20


(うすぐらい膜をへだて)
(なが れ る なが れる ながれている)
(それは 何の匂いか)
(それは 何の色か)
(やわらかい つちのにおいする)
(薄あまい かぜのにおいする)
(生あたたかい みずのながれるひびきする)

るるる るる るるる
(どおく どおく どおく)
るるる るる るるる

るるる るる るるる
(どくどくどく どーん どくどくどく)
る るるる る る る

るらる るる るるら
(どおく どおく どおく)
るるる るら るるる

(それは 身もだえするエロスの 分離してゆく)
(それは エロスの流動が見えるとは何か)
(それは 感じるとは何か その透き通りゆく透明度の)
(それは その止むにやまれぬ志向性の)

 

 

 みどりの 21


たとえば ある時 ある場に
微笑みが自然に湧き上がるように
なぜか
うっすらと
みどりの散布された
層成す
濃淡の道を
誰もが知らぬ間に通り過ぎている
終いには
残り香は消え失せ
現在にどっしりと腰を下ろす
日々くりかえしくりかえす
うちに変成するみどりになじんでゆく

気づいた時には
ひとり
しずかに覚めて
言葉のようなものから言葉に渡る靄の中
感じるよりも
腑分けするように歩いている
(それは
何に促されている不幸せの旅?)

言葉の深みから眺められた
あれは自然界のもの
これは人界のもの
それは自然界と人界の相わたるもの
いずれも時間のねじれた水圧から
なぜか
道はみどりに匂っている

ギリシア哲学の方に触手を伸ばし還り湧いた
ドイツ観念論哲学は
自然界と人界が言葉の眼差しにおいて相わたるところ
切り取られた自然が人界に写像され
頭脳の増殖する生産=消費の
現在の情報工学や機能論は
古びた自然を離脱したと感じる人界の緻密化
今や
深い日差しに照らされて
自然界から人界に渡る
層成すみどりの
流れ出す 少し異貌の未知
がおぼろな姿を感受させている

みどりの宿運は
大いなる自然のもと
かたちを変えても不変であり
誰もが深みで感じていることだけど
なぜか
みどりの列車に乗り込んでしまった者には
いくぶん苦いみどりの味から
言葉が湧き上がり
各界の交差し合う
イメージの層へ
駆動する

大いなる自然は
言葉を超絶し
流動している
それはまた人界の生み出した神をも
超絶し
黙々と流動している

 

 

 みどりの 22


ふと見上げた
静かな夜空の星々に
吸い寄せられる
・・・・・・流れる
(みどりの)

家々に植え込まれた樹木に
まなざし葉揺れし
・・・・・・かすかに流れる
(みどりの)

人のあわいから
流れ込んでくる
言葉のかけらが
めまいのように深いところに落ちる
星々や樹木が揺れ
・・・・・・かすかに流れる
(みどりの)

くりかえしくりかえす
日々の
深い韻のように
うっすら煙っている
・・・・・・流れる
みどりの

やわらかな日差しを浴びて
日々のいろんな層に
それぞれの層のかたち成し 混濁し
・・・・・・流れる
みどりは

 

 

 みどりの 23


とってもちいさい子どもの
にっこりは
よたよたしながらも
あと振り返ることなく
真っ直ぐやってくる
(みぃ)

歳を重ねすぎてしまったら
あと振り返ったり
周りを見回したりして
くねくねすることが多いけど
どこか
知らないところで
真っ直ぐ
よたよた走っている
(みぃ)

ときには
この世界の片隅で
世界の破壊の願望に沈むこともある
それは とおい
故知らぬ破滅の懸崖からの
反復であるか
(みぃ)

織り成された
みどりは
何層も絡み合って
ひとつに見えてしまうから
とおい過去と
とおい未来と
ただ
深みのイメージとして
深く呼吸する
(みぃ)

 

 

 みどりの 24


なんにもない一日といっても
流れているものはある

こころ躍るものがなくても
みどり匂うことがある

暗い表情に沈んでいても
どこか あかるいひかりの粒々が点滅している

ひとみな等しく 知らないところで
みどりの海に漬かっていて
めまぐるしく行き来する 一日一日
瞬く 一瞬一瞬
家族や地域の大気や風波に
ひっそりと織り成して
いろんな色を 色合いを
放っている
放ち続けている

言葉も
しおれた草葉のように
色あせることがある
けれど
しおれた草葉を
ゆびで強く押してみると
それでもみどりが抽出され
匂い立つ
枯れ死しないかぎりは

なぜか 言葉は
普遍の衣装をまとって
それらをいろんな地層から
抽出しようとする

なぜか 抽出しようとする言葉もまた
みどりに匂っている
寄せ来る大気の
うんざりすることばかりが降り積もっても
それは
生き続けるものの
きぼう
と呼ぶべきかどうか

 

 

 みどりの 25


ひとり
時間の深み
遥か 遠くから
次々と写像され 重像し
ある形成し
壊れ
また ある形成す
からだの奥底に
底流し
時に 噴き上がり
潮引くように下ってゆく
六十余年も馴染んでいても
未知の一歩は
いつも戸惑う

人のあわいでも
新しいものを使いはじめる時のように
生まれたての枝葉の
樹液湧き流れ出し
ひとつの言葉を結び
少しずつ 少しずつ
あたりまえの光景となり
時の日差しの中
少しずつ形を変えていく
場違いな言葉のように
忘れられるものは忘れられ
埋もれるものは埋もれゆく
けれど 時に 噴き上がる
不変のみどりは
それらを貫いて
しずかに流れている

ひとりの
苦い時間の重量と
背に浸透する時間の匂いと
打ちあがる岸辺のまぼろしに
細くたなびいている
知らぬ間に発動している みどりの

 

 

 みどりの 26


外に出ると
つめたい風が肌触れる
身がかたく縮んでいる
流れは ある

季節は
めぐって
つかの間の
心地よい 春や 秋や
からだに刻まれているから
冬の 冷たい 大気の中でも
どこか
思い起こす
流れがある

もしも
この世界の大気が
どんなに華やいだ衣装で立ち現われても
芯に つめたく とんがり続けるなら
流れ出す言葉たちは
言葉の身をこごめ
まるで死の季節のように
全ての季節をかたく閉ざしていくだろう
内を流れる
身をよじるみどりの韻は
無数の殺意を押しとどめながら
日々の
ちいさな彩りの
飛び石を渡ってゆく
いち にー さん いち にー さん

 

 

 みどりの 27



ああ

うん
うんうん

おお
おおお

あ ああ あああ

感嘆詞ばかりでなく
すべての言葉たちが
流れ下り
上ってくる
それから
ひとりのまぼろしの画布に載るか
大気の少し淀んだ場所に放たれるか
文字に定着される

その流れの
発動する
みちは
時折
人界の重層を巡り巡って打ち上がって行く
少しばかり大げさな言葉たちとは違って
ひっそり閑と
流れ続ける

したがって
言葉と
沈黙の
深い谷間には
幾重もの大気の層に浸食されながら
湧き上がり
舞い落ちていく
あるいは
中腹まで上り詰めては
帰っていく
ひとり ひとり
生暖かい
独特の年輪が刻まれた手肌の
血流が
深い時間に促されて
波打っている

言葉の後には
互いに
波紋は波紋を呼び起こし
人知れず
交換される

 

 

 みどりの 28


木々や生き物みたいに
たとえじゃまなものが遮っても
振り返ることなく
じぶんの場所を踏みしめて
日差しを浴びているということがある

振り返れば
日差しが
差していても
差していなくても
肌合いに
気配がある

いくつもの層からやってくる
見えないものが
肌合いの
流れに触れ
慣れ親しんだ場所が静かに浮上したり
親和や異和感が湧き上がる
時には 波頭からふいと深く振り向くこともある
湧き上がる
というのは不明であっても
生あるものの避けられない自然だ

ひとの言葉は
動物に向かうと
自然に
動物の言葉に染まる

ひとの言葉は
植物に向かうと
自然に
植物の言葉に染まる

ひとの言葉は
動物たちや
植物たちの
言葉のようなもの
の内側から突き上り
みどりに
流れ 触れ 味わい
ながらみどりの本体を求めて
ぐるぐる迷走する
けれど
生あるもののすべての中で
知らない間に起動している
みどりの本体は

黙する自然の深みでは
生あるものは子どものように
受動性を生きるもの
<本願他力>というほかない
言葉の自然を超えることは
かなわない
それでも 時折
この人界の微小点から
誰もが ひとり
深い内省に沈むように
重層する世界にこだまする
みどりの
起源の方へ
しっとりと像の触手を伸ばしている

 

 

 みどりの 29


テレビがコマーシャルを流している
家並に隠れた道路を車が走っていく
木々が風に揺れている
日々くりかえされる
なにげない風景の内側にも
にぎわいが反転して
ひっそりと流れているものがある

振り返る者には
きまって季節は秋
枯葉が降り積もる
数えきれないほどの後悔と
いくつかのいい感じの光景と
樹木は
振り落すように
身震いするが
寄せる風波の大気の中
刻み込まれた
固有の感じや振る舞いが
消えてしまうことはない
ただ
いくぶんは枯れ落としながら
新たな芽や葉
変貌してゆく木肌の色合いから
固有の流動に沿って
みどり紡ぎゆく

揺らいでいる 秋
昨日のことはもういいさ
明日のことも
十年先のことも
いま ここに
過去も 未来も
静かに底流し反復している

こんなところまで来てしまった
のは言葉の必然かもしれない
旧来的なものは
乾いた抒情の中に
ひっそりと仕舞い込まれている
樹木の手は
この大気と日差しを受けて
いま ここの
無類のうたやだんすの
おさらいをする
上手いかどうか
はどうでもいい
ただ
この日差し浴びて
固有の曲線から
少しでも
のびやかにみどり流れ出すなら

 

 

 みどりの 30


木々が葉揺れし
雲がゆっくり流れる
視線に湧き立つ言葉も
静かに下ってゆき
こちらの流れに沈みこんでしまって
ゆったりと背伸びする

木々の葉と
ねこと
仕事の段取りなどに
またがって
流れを行き来する
いま ここに
言葉のからだが生きて在る以上
流れが滞留し息づく場所がある

微小点からも世界は見渡せる
浮上した場所からは
とてもちいさく見えることが
くりかえしくりかえされ
くりかえされくりかえしている
ひかり点滅し
幾層もの言葉が湧き上がっている
それでいい
それがいい
すべてにわたって
ひかり点滅するが
流れに漬かった
等身大の
初源の日溜りみたいな
おそれも
かかわりあいも
はじらいも
しずけさも
静かにかみしめる言葉だけが
なじんだ椅子にしっくりくる

 

 

 みどりの 31


ひと昔前の人々が通り過ぎた
峠を越える
息づかいは微妙に違う
眺めるみどりのつやもちがう
飲む水もちがう

ひと昔前の言葉が通り過ぎた
言葉の峠を越える
言葉の息づかいの 吸い込み放つ波紋が違う
言葉の衣装もちがう

峠から
見渡す光景は
現在が映らないように
慎重に撮られた時代劇とは違って
あらゆるものを内に含んで
きのうと同じように静かに流れ続ける

峠から見渡せば
自然なことになってしまったことと
時代劇との間に
たくさんのとまどいの息づかいがある

後ろを振り返らなくても
みどりに煙る
朝靄には
深い時間の頂に
寄せては返す
新しい装いの無数の層なす
峠を越える言葉が
ひっそりと滲んでいる

ひとは
くりかえしくりかえし
峠を越える
少しあたらしいみどりが
生動する
朝靄の中
ひとりひとり ぶつぶつつぶやきながら
脱皮に戸惑う虫の言葉のよう

 

 

 みどりの 32


(みぃ)
と言葉にかたち成した時は
肌合いは
すでにみどり流れている
したがって
言葉が上り下りしなくても
ひとはみな
無数の(みぃ)と呼ぶほかないものが
絶えること無い泡のように明滅している

(みぃ)
言葉の触手が身震いする時は
底から
突き上げるような
つよいみどりのうねり流れている
言葉は
上っては下り
下っては上り
十重二十重(とえはたえ)に言葉の衣装をくぐり
ひとり お気に入りの衣装を着込んで
生動するみどりの像へかたち成そうとする
産み落とされた後は
うまくかたち成せなかったほてりが
しずかに還流していく
みどりの流れに
ひっそり波紋を立て混じりゆく

(みぃ)

 

 


 あとがき
 
 
 この一連の詩を書いた動機の半ば以上は、たぶん現在の大気を呼吸するわたしの固有の頂へ湧き上がり、流れ下るものからきている。そして、半ば近くは吉本さんの次のような言葉に出会ったことから来ている。わたしの動機を駆動させるものだったと言える。
 
 
 記憶にまちがいなければ、ゲーテはエッカーマンとの対話で、自分の最もいい仕事は色彩論だと言っている。けれどニュートンの科学的色彩論にくらべて惨敗だと、わたしは若い工科の学生のころ考えて疑がわなかった。これが『若きウェルテルの悩み』や『ヴィルヘルムマイスター』にくらべて、どこがいいのだろうと思ったのだ。
 だが、現在なら少し解るような気がする。
 ゲーテは、なぜ天然(宇宙)の自然は若草を緑にし(定め)、秋の紅葉を茶紅色にし(定め)たのかを極めようとしたのだ。若草には葉緑素が多いし、紅葉は代謝が少なくなっているから、緑は消えてゆくというのも、眼が吸収するものと反射するものの違いだというのも、若草の緑は人間感性に上向感を与えるからだという心理的説明も、ゲーテにとっては解答になっていると思えなかったのだと思う。
 
 
 京都の秋の紅葉は、寺院の庭などで風もないのに寂かに落ちていたりする紅褐色がいい。東北の紅葉は、多様な山の樹木が緑から真っ赤まで色相のすべてを鮮やかに混ぜているのがいい。地域の気候差、樹木の種や科の差、「自然は水際立っている」と感じる(認知する)。その生態の謎がゲーテの認知したいところだったのではなかろうか。それはまた、宮沢賢治の迷いと信仰のあいだの謎でもあった。
        (『老いの超え方』「あとがき」吉本隆明 2006年)
 
 
 ひとは自身の言葉においても、あるいは、他人の言葉においても、ある流れに入り、内在的なある場が肌合いで感じられるようにならないとある像(イメージ)が生き生きと生動し始めることはない。もちろん、そこには誤解ということもありうる。最初、この言葉に出会って語られている内在的な流れに触れることはできず、よくわからないままにしていた。あるとき、ふとゲーテについて触れた吉本さんの言葉があったことを思い起こした。吉本さんに関しては、こういう体験はしばしばあることである。
 
 現在は、ゲーテの時代よりもいっそう科学は高度に深化し、その考え方や感じ方はわたしたちの日常世界にも深く浸透している。また、そこから流れ下る科学技術がわたしたちの日々の生活に大きな恩恵をもたらしていることは確かなことである。しかし、その分析と連結と総合の手つきから流れ来るものが、機能や効率や速度をまとってわたしたちの前に立ち現れるとき、それがわたしたちの日々の生存の感じ方や感覚に十全にかなっているとは思えない。わたしの誤読であるかどうかは別にして、そういう疑念がこれらの詩の世界の動機の大きな動因となっていることは確かである。
 
 誰もが日々密やかに感じていることは、現在までに有り合わせのものにかたち結ぶほかないとしても、幾層もの世界との関わり合いがひとつに溶け合って現象するように見える。わたしたちは、手肌から頭脳にいたる日々の反復のなか、この人界に重心を持ち、日々、こまごまとしたものごとに明け暮れているばかりのように見えるが、人界の歴史をも反復し、同時に果てしない生命(いのち)の起源からの巨きな反復もまた知らぬ間になしている。
 
 ひとの世界の遠い果てから現在に至る宗教や科学のいずれにも着地することなく、両者を包み込むような言葉の場所は現在において可能かという大それたモチーフに突き動かされている。
 
 この詩集はそのレッスンに当たっている。

             2013年 3月12日 
  


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