メモ2019.3.8― 船越について
ゴロウニンの『日本俘虜実記 上』(講談社学術文庫)を読んでいる。幕末に国後島で松前藩の役人に捕らえられた、ロシアの軍艦ディアナ号艦長ゴロウニンのことは、渡辺京二『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』で知った。
そのゴロウニンの『日本俘虜実記 上』に、地名としては書いてないけれど、「船越」と呼ばれている地名理解に相当する記述があった。以下にそこら辺りは「クリル人の小屋」とあり、アイヌの人々が住んでいるようだから日本語地名の「船越」はあり得ないか。
七月十三日の夜明けに、ある小の傍で朝食を摂るため舟を停めた。中の住民が我われを見ようとして海岸に集まって来た。・・・中略・・・
朝食後、舟を曳いて岸沿いになお先へ進んだ。よく晴れた穏やかな日で、霧は全く消えて水平線がくっきりと見渡せた。近傍の山々や海岸が手にとるように見えて、国後島の山や、恐ろしい思い出の湾岸もはっきりと見分けられた。しかし、そこにはディアナ号の姿は見えなかった。・・・中略・・・日没二、三時間前に、クリル人の小屋が数戸ある場所で停まった。日本人はここで我われが乗った二艘の舟を陸に引き揚げてから大勢のクリル人を集め、我われや番卒を乗せたままの舟を山の上へ曳きずり上げにかかった。
叢や灌木の林を切り開き、障害物は斧で切り倒して道をつけ、舟を曳いて山の上まで運び上げた。我われには何のためにこんな大きな舟(註.約九メートル、幅約二・四メートル)を山の上に引き揚げる必要があるのか分からなかった。我われの想像では、日本人はディアナ号が海岸に近づくのを見て、ロシア人が襲撃して我われを奪還するのではないかと懸念し、例の臆病心につかれて身を隠すためではないか、と思われた。しかし間もなくその理由が分かった。
かなり高い山の頂上まで舟を引き揚げると、こんどは反対側に舟を降ろして、人工の運河にも似た小さな川に舟を浮かべた。舟を陸上で運搬した総距離は、三ないし四露里(約三~四キロメートル)はあった。・・・中略・・・
川を下って大きな湖に入った。湖は更に他の大きな湖と交通があるようであった。我われは夜通し、次の日は一日中これらの湖をゆっくりと舟で行った。
(『日本俘虜実記 上』P103-P105 ゴロウニン)
「国後島の山や、恐ろしい思い出の湾岸もはっきりと見分けられた」とあったり、湖とあり、この少し後に「厚岸」という地名が出てくるから、この記述の場面は、まだ根室の風蓮湖辺りであろうか。「叢や灌木の林を切り開き、障害物は斧で切り倒して道をつけ、舟を曳いて山の上まで運び上げた」とあるから、これはしばしばやっていることではなくて今回の護送に当たって検討された特別のことなんだろうか。ロシア人のゴロウニンはそれを予想もできないで驚いている。しかし、特別であっても、そういう一般に「船越」と言われる経験や知恵が背景としてあったことは確かであろう。
もう5,6年ほども前だったか、「古田史学会報」で古川清久氏の「船越という地名」(註.1)を読んで「船越」という地名に関心を持った。日本語の地名は意味に関係なく音として漢字を当てることがあるから、まぎらわしいが、これは意味として漢字が当てられているように見える。今回の検索で初めて出会った(註.2)の荒木稔氏は「船越」に関してていねいにたどられて、一般的な「船越」理解に対する異論も紹介されている。また、わたしは知らなかったが、この「船越」に触れている柳田国男の文章も紹介されている。柳田は「船越」の一般的な理解を取っているようだ。しかし、わたしには、「船越」理解について現在のところ断定的な判定は下せそうにはない。たったこれだけのことを言うのにも、地形地理的なこと、またその時代的な変貌、古代の舟の交通、などなどたくさんのことを踏まえないと断定しうるような確かな像を得ることができない。
(註.1)「船越という地名」「船越(補稿)」
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou68/kai06803.html
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou70/kai07007.html
(註.2) 荒木稔氏のブログより
https://geoparkwomanabu.blogspot.com/2013/05/
https://geoparkwomanabu.blogspot.com/2013/06/
2013 5月
地名「船越」の由来による分類
地名「船越」の全国分布
地名「船越」の検討からどのように知りたい情報を得るか
船越に関する興味深い論文に接する
抜書き 船越 (つづき) ★
抜書き 地峡と船越 ★★
2013 6月
鏡味完二の「船越」≠曳舟説の感想
鏡味完二の「船越」≠曳舟説
地名「船越」に関する鏡味完二の語源説 1
註.
柳田国男が「船越」について触れているのが紹介されている。知らなかった。
上の★には、「島の人生」より
上の★★には、「海南小記」より