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童話的表現の意味

2016年10月07日 | 批評

 裁判に一郎の出席を要請する、山猫からの「おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。」その翌朝の描写。


 けれども、一郎が眼をさましたときは、もうすっかり明るくなっていました。おもてにでてみると、まわりの山は、みんなたったいまできたばかりのようにうるうるもりあがって、まっ青なそらのしたにならんでいました。一郎はいそいでごはんをたべて、ひとり谷川に沿ったこみちを、かみの方へのぼって行きました。
 すきとおった風がざあっと吹ふくと、栗の木はばらばらと実をおとしました。一郎は栗の木をみあげて、
「栗の木、栗の木、やまねこがここを通らなかったかい。」とききました。栗の木はちょっとしずかになって、
「やまねこなら、けさはやく、馬車でひがしの方へ飛んで行きましたよ。」と答えました。
「東ならぼくのいく方だねえ、おかしいな、とにかくもっといってみよう。栗の木ありがとう。」
 栗の木はだまってまた実をばらばらとおとしました。
 一郎がすこし行きますと、そこはもう笛ふきの滝でした。笛ふきの滝というのは、まっ白な岩の崖がけのなかほどに、小さな穴があいていて、そこから水が笛のように鳴って飛び出し、すぐ滝になって、ごうごう谷におちているのをいうのでした。
 一郎は滝に向いて叫さけびました。
「おいおい、笛ふき、やまねこがここを通らなかったかい。」
 滝がぴーぴー答えました。
「やまねこは、さっき、馬車で西の方へ飛んで行きましたよ。」
「おかしいな、西ならぼくのうちの方だ。けれども、まあも少し行ってみよう。ふえふき、ありがとう。」
 滝はまたもとのように笛を吹きつづけました。
 一郎がまたすこし行きますと、一本のぶなの木のしたに、たくさんの白いきのこが、どってこどってこどってこと、変な楽隊をやっていました。
 一郎はからだをかがめて、
「おい、きのこ、やまねこが、ここを通らなかったかい。」
とききました。するときのこは
「やまねこなら、けさはやく、馬車で南の方へ飛んで行きましたよ。」とこたえました。一郎は首をひねりました。
「みなみならあっちの山のなかだ。おかしいな。まあもすこし行ってみよう。きのこ、ありがとう。」
 きのこはみんないそがしそうに、どってこどってこと、あのへんな楽隊をつづけました。
 (『どんぐりと山猫』宮沢賢治 青空文庫より)



 一郎が、山猫に呼ばれて裁判の場所に出かける途中の描写である。一郎は、「栗の木」や「滝」「きのこ」と言葉を交わしている。さらにこれ以降の描写で、一郎はリスや山猫とも言葉を交わし、また、裁判の当事者であるどんぐり達も言葉を語っている。言わば、動植物を含むあらゆる自然物が一郎と言葉が交わせるのが当然のように自然に描写されている。

 わたしが小学校の低学年だった頃のことだと思う。学校の図書館の授業で幻灯機(とまだ呼ばれていたような記憶がある。映写機のこと。)から鍋に大根や人参などの野菜が入っている場面がスクリーンに映し出されていた。そして、その野菜たちが言葉で何か語り合っていた。わたしは別に不自然な気持にはならなかったような記憶がある。つまり、自然物が言葉を交わし合うのを割と自然なものとして受け入れていたような記憶がある。

 サンタクロースの存在を信じるというか、自然なものとして受け入れることができるという、子どもの年齢がどの位までかはわたしにはよくわからない。けれど、ある年齢になってある帯域を踏み越えると、今までの風景の感じや匂いや対象への感覚などが知らぬ間に変貌しているのだろう。そして、新たな帯域の風景に対する感受や対象への感覚などへと割とシームレスに推移していくのだろう。おそらくわたしたちは誰でもこのシームレスな帯域間の変位を経験しているはずだ。そして新たな帯域への変位を遂げてしまったら、「幼児期健忘」―これは一般に3歳以前の記憶に関して言われることだが―のように以前の世界の感受を忘れてしまうのだろう。

 ここで、フロイト―吉本さんの、人の生涯の歴史と人類の歴史とを対応していると見なす考え方(註.『母型論』の「序」P7)によれば、宮沢賢治の童話が描写するような人が自然物と言葉を交わし合うことができるのは、新たな帯域への変位を遂げる以前の世界の人(子ども)の表現に対応している。また、人類史の方に対応させれば、まだ自然にまみれて生きていたであろう〈アフリカ的〉な未開の段階の人間的な表現に対応していると言えるだろう。童話は近代になっていろいろな民話や説話から分離されて子どもを対象に生み出されたもので、編集者や作者がいて、主な読者を子どもとしている。しかし、そのような意図を超えたところで童話という形式を考えてみれば、そのように見なすほかないだろうと思う。

 したがって、この宮沢賢治の童話作品を新たな帯域への変位を遂げる以前の世界の人(子ども)が読んだ、あるいは親から語り聞かせてもらったとして、彼と変位以後の帯域に生きる者が読んだ場合とでは、なかなかその世界の異質さを具体的に抽出することは難しいだろうが、感受の一般性において世界は異質なものとして感じられているだろう。したがって、わたしたち大人が、宮沢賢治の童話作品に限らず童話の作品世界に入り込んでいく時、前者の子どもの入り込む自然さとは違って、童話はどこか特別なもてなしや表現を施されたものだというような構え(自覚)が無意識的にもあるような気がする。わたしたちは誰でも、前者の子どものような時代を生き、独特の風景や対象把握をしていたに違いないけれど、遙かに通り過ぎてしまった今では、それがどのような世界だったかを具体的な手触り感と共にもはや再現することはできない。

 しかし、童話の世界は、作者が作品に込めたモチーフや意図とは別に、童話という形式の根源のような場所で、旧帯域の子どもの世界や〈アフリカ的〉な未開の段階の人間的な世界に接地しているのだろうと思われる。

 したがって、人間界における人と人との関わり合う世界が主な舞台になってしまった現在の物語作品が、作品の主舞台を童話という形式に取ってしまうことなく、童話的な表現を部分的に選択し取り入れる場合はどう理解したら良いのだろうか。モチーフの積極性として考えられることは、いわばサンタクロースの不在がすでに無意識になっている読者が白けるかもしれないということを覚悟の上でそれをやるということは、人と自然や人と人とが関わり合う物語の舞台に今までにない何らかの深みある世界を浮上させたいという作者の欲求の表現ということになるだろうか。