近年、すこし精神のたががゆるんできたせいか、眼のまえで、わたしの本の読者や、お喋言りの場所に出かけてきてくれた人や、たまたま署名の場に居合わせた人から色紙を差出されて、何か文句を書いて欲しいと言われると、素直に応ずるようになった。もとより「書」として、じぶんの字を成り立たせるつもりも力量もまったくないから、言葉の意味だけで書くより仕方がない。一冊の本、あるいは一編の文章でかすかに意味があるかなということを一つだけ言えていれば、じぶんを赦してきたというのが本音だ。
困惑したわたしに浮んでくる言葉は、宮沢賢治の作品「銀河鉄道の夜」(初期形)の登場人物ブルカニロ博士が言う「ほんとうの考え」と「うその考え」を分けることができたら、その実験の方法さえきまれば、信仰も科学とおなじになるという意味の文句だった。わたしは宮沢賢治のその作中の言葉を、頼まれると色紙に書いてきた。短くて意味が填(引用者註.この文字は正しくは、つちへん+旧字の「眞」)っているとおもうからだ。
ただこのばあいの「信仰」というのを宮沢賢治のように宗教の信心と解さずに、それも含めてすべての種類の〈信じ込むこと〉の意味に解して、この言葉を重要におもってきた。つまり〈信仰〉とは諸宗教や諸イデオロギーの現在までの姿としての〈宗教性〉というように解してきた。宗教やイデオロギーや政治的体制などを〈信じ込むこと〉の、陰惨な敵対の仕方がなければ、人間は相互殺戮(引用者ルビ さつりく)にいたるまでの憎悪や対立に踏み込むことはないだろう。それにもかかわらず、これを免れることは誰にもできない。人類はそんな場所にいまも位置している。こうかんがえてくるとわたしには宮沢賢治の言葉がいちばん切実に響いてくるのだった。
このばあいわたし自身は、じぶんだけは別もので、そんな愚劣なことはしたこともないし、する気づかいもないなどとかんがえたことはない。それだからもしある実験法さえ見つかって「ほんとうの考え」と「うその考え」を、敵対も憎悪も、それがもたらす殺戮も含めた人間悪なしに(つまり科学的に)分けることができたら、というのはわたしの思想にとっても永続的な課題のひとつにほかならない。
この本に集められた文章は、喋言り言葉で宮沢賢治本人はもとより、偉大な思想がどうかんがえたかを追いつめながら、追いつめることがわたし自身の追いつめ方の願望になっている文章を集め、それに註釈になっている文章をつけ加えたものだ。早急に、真剣な貌をしてじぶんを一点に凝縮しようとしたときのじぶんの表情がとてもよくあらわれているとおもっている。
(『ほんとうの考え・うその考え』「序」全文 P2-P4 春秋社)
※第二段落の後と最後の段落の前は、読みやすいように引用者がそれぞれ一行空けました。
吉本 日蓮とも賢治は達うんですね。法華経に『安楽行品』という章があって、その中で法華経信者は文学や芸術なんかやってはいけないと書かれています。賢治が引っ掛かったのはそこなんです。日蓮が引っ掛かったのは、法華経信者でない人間は刀で切って殺してしまってもいいという教えにいちばん引っ掛かったんです。賢治はその日蓮からもちょっと外れて、法華経との独特の対し方をしました。それが、この人の宗教性の怖いところでもある気がします。それが賢治の語った「普遍宗教」だと思います。
僕は、戦後の政治の党派性にもみくちゃにされたやりきれない体験を持ってるから、何とかして党派性を政治から外して、普遍的にしたいんだという願望を持ちました。それは元をただせば、宗教の宗派性にあるわけです。それはいくら争っても解決しようがないもので、自分が中身から変わらない限り信仰は変わりませんから。イデオロギーも同じで、信じている限りは党派性はなくならない。そういうのが嫌だな、というところに、僕の関心と宮沢賢治が引っ掛かってくるんです。
(対談「世紀末を解く」見田宗介・吉本隆明 P33 『吉本隆明資料集141』猫々堂)
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(わたしの註)
吉本さんの新しい文章を読む時、今回はどんなこと(新たな概念把握・構成・舞台)が述べられているだろうか、というのが読者としてのわたしの関心をそそるものでした。わたしからは控えめに見える「一冊の本、あるいは一編の文章でかすかに意味があるかなということを一つだけ言えていれば、じぶんを赦してきたというのが本音だ。」という吉本さんの言葉は、わたしのそのことに対応しています。
会社勤めしていれば、飲み会とかがあり、歌を請われて歌わなくてはならないということがあります。喜んで歌い、十分に楽しめればいいなと思いますが、わたしは歌は苦手の方だからそれは苦痛でした。拒絶することなくなんとか歌って切り抜けたという経験が何度かあります。ここで吉本さんは請われた「歌」に「素直に応ずるようになった」と述べています。そして、まじめに考え、応えています。宮沢賢治の作品の中の言葉を色紙などに書いています。例えば、何かを請われて人がどんな対応を取ろうとそのことに価値序列があるとは思えませんが、ここにも、吉本さんの生真面目な姿勢が現れています。
吉本さんはなぜこんなに生真面目にも、かつ、がむしゃらにも「ほんとうの考え・うその考え」にこだわるのか、普通の批評家や思想家であれば、そんなことはこの現実の人間社会では相対的なもので、まじめにほんとうとかうそとか論じても仕方がない、と飛び越えていくところを、なぜ吉本さんはこだわってきたのでしょうか。
それはまず、そのように根底的に問わないと、個と集団や集団間の死をも呼び込むことがある対立を解除することができないからです。そして、このような根底的な問いを繰り出すきっかけは、まるごと時代にかすめ取られた戦争の体験であり、「戦後の政治の党派性にもみくちゃにされたやりきれない体験」です。これらは、社会との関わりを持つものですが、もうひとつあります。これらの意識や心の深みには、吉本さんの不幸な生い立ち(註)から来る資質の固有性が控えています。こういう個の生い立ちにはじまる固有性とそういう個が社会に関わる中で生まれる関係の有り様と、わたしたちは誰でもこのような二重性を持っています。そして、その二重性において、例え事件などに到る非行を犯すという誤った道筋を踏むということもあり得るとしても、それらの本質としてはわたしたちはよりよく生きようという意志を貫き、表現していこうとしているのだと思います。このことは、芸術や思想の表現に限らずわたしたちの日々の現実的な生活の中の行動においても同様だと思います。
ところで、わたしがなぜ長らく吉本さんの言葉に付き合い対面してきているかと言えば、この列島の思想で、「わたしが今ここに生きている」ということ、そこから湧き上がるあらゆる疑問に対して、外来の借り物でなく根本は自前で築き上げた深く頼ったり参考にしたりできる思想が、吉本さん以外に皆無だったからということにすぎません。わたしには吉本さんの足跡は最低でも百年は生きるものに見えます。
吉本さんの言葉は、比喩的に言えば、例えば会議の席で発言されたものも沈黙も含めて、あらゆる人々の言葉をすくい取り、その論議を超えてその話し合う事柄の行く末を見渡せる(あるいは見渡そうとする)ような稀有な存在の言葉だからです。普通なら、いくつかの考え方のグループに別れたりして対立し合ったり、あるいは対立しなくてもそれぞれ自分の閉じられた場所というものがあります。なぜ吉本さんの言葉が稀有なのかの現実社会からの与件としては、吉本さんがもう生きては居られないとか、生きた心地がしないとか書き留められている敗戦体験(戦争体験)がとても大きなものとしてあり、これがものごとを根底的に考えていくきっかけになっています。そして、個の側からは生い立ちの不幸が、敗戦後の根底的な動揺と不安という生存の危機の中で、根底的に考えていく大きな動因になっています。つまり、敗戦体験と生い立ちの不幸とが不幸な(?)出会いをしたのが、後の吉本さんの思想の出発点になっているように思います。どこかで吉本さん本人も語っていたと思いますが、もしもそのような不幸な(?)出会いがなければ、吉本さんは技術屋さんを職業としながら普通の生活者として生き、文学は趣味程度だったかもしれません。
付け加えれば、最初の引用の文章の後段にある「早急に、真剣な貌をしてじぶんを一点に凝縮しようとしたときのじぶんの表情がとてもよくあらわれているとおもっている。」という言葉は、党派対立に到る無用な悲劇的なものの解除をめざして、ほんとうのことを追い詰めつつ探索し続ける吉本さん本人の内省の表現になっています。これもまたどこかで吉本さん本人が書き留めていましたが、「真剣な貌をしてじぶんを一点に凝縮しよう」という時、人は一般には内閉してしまい、そして神やイデオロギーなどを呼び寄せてしまうことがあり得るからです。
(註) 吉本さん本人も触れていますが、熊本の天草から夜逃げ同前で吉本さんの両親等が東京へ出てきたとき、吉本さんは母親のお腹の中に居たというとこと、つまり、母の生きていく上での強く大きな不安が、おそらく強い強度で吉本さんに転写されたということ。生まれ落ちた後は兄弟姉妹と同様に大事にされたと思いますが、吉本さんがどうして自分は他の兄弟たちと違うのだろうというような思いを抱いたことにもそのことは現れています。
※ 引用文の「短くて意味が填(引用者註.この文字は正しくは、つちへん+旧字の「眞」)っているとおもうからだ。」について
これについて、わたしは初め「意味がつまっている」と読みました。何となく気になって調べてみたら、「意味がはまっている」と読むようです。わたしは今までにそういう表現には出会ったことがないので、吉本さんの言葉の癖のひとつなのかなとも思います。
このついでで言えば、吉本さんの「対称」という言葉の癖についてです。
1.〈遠隔対称性〉(「情況とはなにか」吉本隆明全著作集13政治思想評論集)
2.〈巫女が共同幻想を<性>的な対称とみている〉(『共同幻想論』)
3.〈鴎外が、母親は女手一つでしぶんを養育し一人前にした長い歴史をもっているので、昨日今日結婚したばかりの細君の嫌悪くらいで母親にたいする感情をかえてたまるものかといったような場所にあるのと対称的であるといえる。〉(『共同幻想論』)
ここで、1.と2.の「対称」は、「対象」ではないかということ。そして、3.の「対称」は左右対称の対称でそれでいいと思います。最新のはわかりませんが、改訂されても直っていなかったようです。
因みに、小浜逸郎は『吉本隆明―思想の普遍性とは何か』で「情況とはなにか」を引用して、「ここで使われている「対称」という表記はすべて「対象」の誤植であるか、少なくとも『遠隔』という言葉に直接結びついていない二か所の傍点つきの「対称」は「対象」と表記すべきであろう。」(P215)と述べています。
夏目漱石の時代は、造語があったりして今から見ると読み方がいいかげんに見えるものに漱石の作品で時折出会いましたが、もしかするとそんな流れの名残で吉本さんの「対称」という言葉の癖もあるのではないかとも思ったりします。本を作り上げて出すというわたしの知らない世界ですが、何回かの大きな改訂でもおそらく校正者や吉本さん本人が関わってきているはずですから。辞書で調べた限りでは吉本さんのような「対象」とすべき所を「対称」というのはなかったようです。