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回覧板

ひとり考え続けていることを公開しています。また、文学的な作品もあります。

「この世界がよくなる兆候」とは?(ある方のブログより)

2015年12月01日 | 回覧板

「この世界がよくなる兆候」とは?

 洞察力のあるすぐれた言葉に出会ったので、紹介します。『初期ノート』(吉本隆明)を読み解きつつ、また、吉本さんの「鬱病」や「統合失調症」把握などを読み解いて居られる方です。わたしは、そのブログからいろいろと学んでいます。
 http://d.hatena.ne.jp/syoki-note/



「『初期ノート』解説」(2015-11-28)より

パニックになったりパニックを煽ったりする論調というのは、これから頻発していく気がしますが、病の入口をくぐらないためにはやはり「了解」を深めるということに耐えるしかないと私は考えます。これはただの関係づけだけで作られた意見じゃねえか、というものばかりでなく、深い了解がいたるところにあるなあと感じさせる意見や、意見として公表しなくてもそういう了解をもっているなあと感じさせる人物に社会のいたるところで出会うようになることだけが、この世界がよくなる兆候です。たしかに社会を自分たちの勢力に都合のいいように誘導しようとする者たちは、社会の上層にたえず存在します。しかしそいつらの扇動にくっついて歩いて崖から落っこちていく大勢のわたしやあんたがいるから、社会は悲惨な方向に進むことができるわけです。うかつに騙されないような、冷静に大きな局面から個別の事態を見ているような、人生というものがよくわかっていてくだらない大義名分にまんまと感動させられないような、そんな人物が増えることだけがこの世界が一部の連中にいいようにひっかきまわされなくなる条件だと思います。だんだん世界がきな臭いヤバい感じになってくるのでそういうことを考えますね。


短歌味体について 20151109

2015年11月09日 | 回覧板

「短歌味体」が、2015年02月02日からほぼ毎日書き続けてⅠ・Ⅱ・Ⅲ合計で850近くの作品数になりました。途中から1000を意識するようになりました。

(短歌味体な Ⅰ 100  短歌味体な Ⅱ 500  短歌味体 Ⅲ 237)

まずは、万人の思い思う舞台に立ってその場からの言葉を繰り出せたらいいな、次に、短詩型文学の先端的な課題に少しでも触れられたらな、また詩へ環流していくものがあればいいな、という欲張った思いでやっています。(表現は、表現内部の現在的かつ歴史的な課題を抱えていますから)


消費を控える活動の記録・その後 2(2015.6~10)・総目次(2/2)

2015年11月01日 | 回覧板

消費を控える活動の記録・その後 2(2015.6~10)




 目  次 (臨時ブログ「回覧板」より)

         短歌味体 Ⅲ      日付
短歌味体Ⅲ  1- 3 始まりシリーズ 2015年08月21日
短歌味体Ⅲ  4- 6 始まりシリーズ・続  2015年08月22日 
3  短歌味体Ⅲ  7- 9 今がすべてだシリーズ  2015年08月23日  
4  短歌味体Ⅲ 10-12 残土シリーズ   2015年08月24日   
5  短歌味体Ⅲ 13-15 対話シリーズ  2015年08月25日 
6  短歌味体Ⅲ 16-18 対話シリーズ・続  2015年08月26日 
短歌味体Ⅲ 19-21 対話シリーズ・続   2015年08月27日 
8  短歌味体Ⅲ 22-24 対話シリーズ・続   2015年08月28日 
9  短歌味体Ⅲ 25-27 ひとりシリーズ  2015年08月29日  
10 短歌味体Ⅲ 28-30 回想シリーズ   2015年08月30日 
11  短歌味体Ⅲ 31-33 太宰治シリーズ・註を付す 2015年08月31日 
12  短歌味体Ⅲ 34-36 ひとりシリーズ・続  2015年09月01日  
13 短歌味体Ⅲ 37-38  2015年09月02日 
14 短歌味体Ⅲ 39-41  2015年09月03日 
15  短歌味体Ⅲ 42-44 イメージシリーズ・続  2015年09月04日  
16 短歌味体Ⅲ 45-46 内と外シリーズ   2015年09月05日 
17  短歌味体Ⅲ 47-48 内と外シリーズ・続    2015年09月06日 
18 短歌味体Ⅲ 49-51 少年の日々シリーズ・註を付す 2015年09月07日  
19  短歌味体Ⅲ 52-54 少年の日々シリーズ・続 2015年09月08日  
20  短歌味体Ⅲ 55-57 2015年09月09日 
21  短歌味体Ⅲ 58-60 どんどんシリーズ  2015年09月10日 
22  短歌味体Ⅲ 61-62  2015年09月11日  
23 短歌味体Ⅲ 63-65 「国東半島祈りの心―神と仏と人が暮らす里」(NHK 2015.9.12)を観て  2015年09月12日 
24 短歌味体Ⅲ 66-68 音のふしぎシリーズ  2015年09月13日 
25  短歌味体Ⅲ 69-71 秋空シリーズ  2015年09月14日  
26  短歌味体Ⅲ 番外 少し縁ある阿蘇の地を思い  2015年09月14日   
27 短歌味体Ⅲ 72-73 秋空シリーズ・続  2015年09月15日 
28  短歌味体Ⅲ 74-76 イメージみどりシリーズ  2015年09月16日 
29  短歌味体Ⅲ 77-79 政治論シリーズ  2015年09月17日  
30 短歌味体Ⅲ 80-82 ダメージファッションシリーズ   2015年09月18日   
31  短歌味体Ⅲ 83-84 ダメージファッションシリーズ・続    2015年09月19日   
32 短歌味体Ⅲ 85-87 つながりシリーズ    2015年09月20日 
33 短歌味体Ⅲ 88-90 つながりシリーズ・続   2015年09月21日  
34 短歌味体Ⅲ 91-92 つながりシリーズ・続    2015年09月22日  
35  短歌味体Ⅲ 93-94 つながりシリーズ・続     2015年09月23日  
36  短歌味体Ⅲ 95-96 つながりシリーズ・続  2015年09月24日 
37 短歌味体Ⅲ 97-100 つながりシリーズ・続   2015年09月25日 
38  短歌味体Ⅲ 101-102 つながりシリーズ・続  2015年09月26日 
39  短歌味体Ⅲ 103-105 ぱくりんちょシリーズ  2015年09月27日  
40 短歌味体Ⅲ 106-108 ふるふるシリーズ  2015年09月28日 
41  短歌味体Ⅲ 109-111 つながりシリーズ・続  2015年09月29日 
42  短歌味体Ⅲ 112-113  2015年09月30日  
43  短歌味体Ⅲ 114-115  2015年10月01日 
44 短歌味体Ⅲ 116-118  2015年10月02日 
45 短歌味体Ⅲ 119-120  2015年10月03日 
46  短歌味体Ⅲ 121-122   2015年10月04日  
47  短歌味体Ⅲ 123-125 指令シリーズ  2015年10月05日 
48 短歌味体Ⅲ 126-127 指令シリーズ・続  2015年10月06日 
49  短歌味体Ⅲ 128-130 時の流れシリーズ 2015年10月07日 
50 短歌味体Ⅲ 131-133 時の流れシリーズ・続  2015年10月08日
51 短歌味体Ⅲ 134-136 言葉の迷路シリーズ  2015年10月09日 
52  短歌味体Ⅲ 137-139 言葉の街シリーズ  2015年10月10日 
53  短歌味体Ⅲ 140-141 言葉の迷路シリーズ・続 2015年10月11日  
54  短歌味体Ⅲ 番外  2015年10月11日 
55  短歌味体Ⅲ 142-144 風シリーズ  2015年10月12日 
56  短歌味体Ⅲ 145-147 ひとシリーズ  2015年10月13日  
57  短歌味体Ⅲ 148-150 2015年10月14日 
58  短歌味体Ⅲ 151-154 言葉の迷路シリーズ・続 2015年10月15日 
59  短歌味体Ⅲ 155-157 いろいろシリーズ  2015年10月16日 
60  短歌味体Ⅲ 158-161 いろいろシリーズ・続   2015年10月17日 
61  短歌味体Ⅲ 162-165  太宰治シリーズ・続 2015年10月18日  
62  短歌味体Ⅲ 166-168 畑からシリーズ 2015年10月19日 
63  短歌味体Ⅲ 169-171 人と人シリーズ  2015年10月20日  
64  短歌味体Ⅲ 172-174 人と人シリーズ・続 2015年10月21日 
65 短歌味体Ⅲ 175-177 ナノシリーズ  2015年10月22日 
65  短歌味体Ⅲ 178-180 ナノシリーズ・続  2015年10月23日  
66 短歌味体Ⅲ 181-185 置き字シリーズ  2015年10月24日 
67 短歌味体Ⅲ 186-189 音の根っこシリーズ  2015年10月25日  
68  短歌味体Ⅲ 190-191 音の根っこシリーズ・続   2015年10月26日  
69 短歌味体Ⅲ 192-194  2015年10月27日 
70  短歌味体Ⅲ 195-197 なんにもない一日シリーズ  2015年10月28日 
71  短歌味体Ⅲ 198-200 微シリーズ  2015年10月29日  
72  短歌味体Ⅲ 201-203 らっしゃいシリーズ 2015年10月30日 
73  短歌味体Ⅲ 204-206 らっしゃいシリーズ・続   2015年10月31日 

短歌味体 Ⅲ 7-9 

2015年08月23日 | 回覧板

[短歌味体 Ⅲ] 今がすべてだシリーズ
 
 

時は日々波立ち泡立ち
くり返す
それでも今がすべての顔して
 
 

われ知らず生産=消費す
今の今
誰もが今を味わい尽くす?
 
 

にぎわいの残土のように
降り積もり
時の地層に人待ち顔に眠る


参考資料―吉本さんの「ほんとうの考え・うその考え」のこと

2015年07月06日 | 回覧板

 近年、すこし精神のたががゆるんできたせいか、眼のまえで、わたしの本の読者や、お喋言りの場所に出かけてきてくれた人や、たまたま署名の場に居合わせた人から色紙を差出されて、何か文句を書いて欲しいと言われると、素直に応ずるようになった。もとより「書」として、じぶんの字を成り立たせるつもりも力量もまったくないから、言葉の意味だけで書くより仕方がない。一冊の本、あるいは一編の文章でかすかに意味があるかなということを一つだけ言えていれば、じぶんを赦してきたというのが本音だ。
 困惑したわたしに浮んでくる言葉は、宮沢賢治の作品「銀河鉄道の夜」(初期形)の登場人物ブルカニロ博士が言う「ほんとうの考え」と「うその考え」を分けることができたら、その実験の方法さえきまれば、信仰も科学とおなじになるという意味の文句だった。わたしは宮沢賢治のその作中の言葉を、頼まれると色紙に書いてきた。短くて意味が填(引用者註.この文字は正しくは、つちへん+旧字の「眞」)っているとおもうからだ。

 ただこのばあいの「信仰」というのを宮沢賢治のように宗教の信心と解さずに、それも含めてすべての種類の〈信じ込むこと〉の意味に解して、この言葉を重要におもってきた。つまり〈信仰〉とは諸宗教や諸イデオロギーの現在までの姿としての〈宗教性〉というように解してきた。宗教やイデオロギーや政治的体制などを〈信じ込むこと〉の、陰惨な敵対の仕方がなければ、人間は相互殺戮(引用者ルビ さつりく)にいたるまでの憎悪や対立に踏み込むことはないだろう。それにもかかわらず、これを免れることは誰にもできない。人類はそんな場所にいまも位置している。こうかんがえてくるとわたしには宮沢賢治の言葉がいちばん切実に響いてくるのだった。
 このばあいわたし自身は、じぶんだけは別もので、そんな愚劣なことはしたこともないし、する気づかいもないなどとかんがえたことはない。それだからもしある実験法さえ見つかって「ほんとうの考え」と「うその考え」を、敵対も憎悪も、それがもたらす殺戮も含めた人間悪なしに(つまり科学的に)分けることができたら、というのはわたしの思想にとっても永続的な課題のひとつにほかならない。

 この本に集められた文章は、喋言り言葉で宮沢賢治本人はもとより、偉大な思想がどうかんがえたかを追いつめながら、追いつめることがわたし自身の追いつめ方の願望になっている文章を集め、それに註釈になっている文章をつけ加えたものだ。早急に、真剣な貌をしてじぶんを一点に凝縮しようとしたときのじぶんの表情がとてもよくあらわれているとおもっている。
(『ほんとうの考え・うその考え』「序」全文 P2-P4 春秋社)
  ※第二段落の後と最後の段落の前は、読みやすいように引用者がそれぞれ一行空けました。



吉本 日蓮とも賢治は達うんですね。法華経に『安楽行品』という章があって、その中で法華経信者は文学や芸術なんかやってはいけないと書かれています。賢治が引っ掛かったのはそこなんです。日蓮が引っ掛かったのは、法華経信者でない人間は刀で切って殺してしまってもいいという教えにいちばん引っ掛かったんです。賢治はその日蓮からもちょっと外れて、法華経との独特の対し方をしました。それが、この人の宗教性の怖いところでもある気がします。それが賢治の語った「普遍宗教」だと思います。
 僕は、戦後の政治の党派性にもみくちゃにされたやりきれない体験を持ってるから、何とかして党派性を政治から外して、普遍的にしたいんだという願望を持ちました。それは元をただせば、宗教の宗派性にあるわけです。それはいくら争っても解決しようがないもので、自分が中身から変わらない限り信仰は変わりませんから。イデオロギーも同じで、信じている限りは党派性はなくならない。そういうのが嫌だな、というところに、僕の関心と宮沢賢治が引っ掛かってくるんです。
(対談「世紀末を解く」見田宗介・吉本隆明 P33 『吉本隆明資料集141』猫々堂)
 
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 (わたしの註)

 
 吉本さんの新しい文章を読む時、今回はどんなこと(新たな概念把握・構成・舞台)が述べられているだろうか、というのが読者としてのわたしの関心をそそるものでした。わたしからは控えめに見える「一冊の本、あるいは一編の文章でかすかに意味があるかなということを一つだけ言えていれば、じぶんを赦してきたというのが本音だ。」という吉本さんの言葉は、わたしのそのことに対応しています。
 
 会社勤めしていれば、飲み会とかがあり、歌を請われて歌わなくてはならないということがあります。喜んで歌い、十分に楽しめればいいなと思いますが、わたしは歌は苦手の方だからそれは苦痛でした。拒絶することなくなんとか歌って切り抜けたという経験が何度かあります。ここで吉本さんは請われた「歌」に「素直に応ずるようになった」と述べています。そして、まじめに考え、応えています。宮沢賢治の作品の中の言葉を色紙などに書いています。例えば、何かを請われて人がどんな対応を取ろうとそのことに価値序列があるとは思えませんが、ここにも、吉本さんの生真面目な姿勢が現れています。
 
 吉本さんはなぜこんなに生真面目にも、かつ、がむしゃらにも「ほんとうの考え・うその考え」にこだわるのか、普通の批評家や思想家であれば、そんなことはこの現実の人間社会では相対的なもので、まじめにほんとうとかうそとか論じても仕方がない、と飛び越えていくところを、なぜ吉本さんはこだわってきたのでしょうか。
 
 それはまず、そのように根底的に問わないと、個と集団や集団間の死をも呼び込むことがある対立を解除することができないからです。そして、このような根底的な問いを繰り出すきっかけは、まるごと時代にかすめ取られた戦争の体験であり、「戦後の政治の党派性にもみくちゃにされたやりきれない体験」です。これらは、社会との関わりを持つものですが、もうひとつあります。これらの意識や心の深みには、吉本さんの不幸な生い立ち(註)から来る資質の固有性が控えています。こういう個の生い立ちにはじまる固有性とそういう個が社会に関わる中で生まれる関係の有り様と、わたしたちは誰でもこのような二重性を持っています。そして、その二重性において、例え事件などに到る非行を犯すという誤った道筋を踏むということもあり得るとしても、それらの本質としてはわたしたちはよりよく生きようという意志を貫き、表現していこうとしているのだと思います。このことは、芸術や思想の表現に限らずわたしたちの日々の現実的な生活の中の行動においても同様だと思います。
 
 ところで、わたしがなぜ長らく吉本さんの言葉に付き合い対面してきているかと言えば、この列島の思想で、「わたしが今ここに生きている」ということ、そこから湧き上がるあらゆる疑問に対して、外来の借り物でなく根本は自前で築き上げた深く頼ったり参考にしたりできる思想が、吉本さん以外に皆無だったからということにすぎません。わたしには吉本さんの足跡は最低でも百年は生きるものに見えます。
 
 吉本さんの言葉は、比喩的に言えば、例えば会議の席で発言されたものも沈黙も含めて、あらゆる人々の言葉をすくい取り、その論議を超えてその話し合う事柄の行く末を見渡せる(あるいは見渡そうとする)ような稀有な存在の言葉だからです。普通なら、いくつかの考え方のグループに別れたりして対立し合ったり、あるいは対立しなくてもそれぞれ自分の閉じられた場所というものがあります。なぜ吉本さんの言葉が稀有なのかの現実社会からの与件としては、吉本さんがもう生きては居られないとか、生きた心地がしないとか書き留められている敗戦体験(戦争体験)がとても大きなものとしてあり、これがものごとを根底的に考えていくきっかけになっています。そして、個の側からは生い立ちの不幸が、敗戦後の根底的な動揺と不安という生存の危機の中で、根底的に考えていく大きな動因になっています。つまり、敗戦体験と生い立ちの不幸とが不幸な(?)出会いをしたのが、後の吉本さんの思想の出発点になっているように思います。どこかで吉本さん本人も語っていたと思いますが、もしもそのような不幸な(?)出会いがなければ、吉本さんは技術屋さんを職業としながら普通の生活者として生き、文学は趣味程度だったかもしれません。
 
 付け加えれば、最初の引用の文章の後段にある「早急に、真剣な貌をしてじぶんを一点に凝縮しようとしたときのじぶんの表情がとてもよくあらわれているとおもっている。」という言葉は、党派対立に到る無用な悲劇的なものの解除をめざして、ほんとうのことを追い詰めつつ探索し続ける吉本さん本人の内省の表現になっています。これもまたどこかで吉本さん本人が書き留めていましたが、「真剣な貌をしてじぶんを一点に凝縮しよう」という時、人は一般には内閉してしまい、そして神やイデオロギーなどを呼び寄せてしまうことがあり得るからです。


(註) 
吉本さん本人も触れていますが、熊本の天草から夜逃げ同前で吉本さんの両親等が東京へ出てきたとき、吉本さんは母親のお腹の中に居たというとこと、つまり、母の生きていく上での強く大きな不安が、おそらく強い強度で吉本さんに転写されたということ。生まれ落ちた後は兄弟姉妹と同様に大事にされたと思いますが、吉本さんがどうして自分は他の兄弟たちと違うのだろうというような思いを抱いたことにもそのことは現れています。

 引用文の「短くて意味が填(引用者註.この文字は正しくは、つちへん+旧字の「眞」)っているとおもうからだ。」について
 
 これについて、わたしは初め「意味がつまっている」と読みました。何となく気になって調べてみたら、「意味がはまっている」と読むようです。わたしは今までにそういう表現には出会ったことがないので、吉本さんの言葉の癖のひとつなのかなとも思います。

 このついでで言えば、吉本さんの「対称」という言葉の癖についてです。

 1.〈遠隔対称性〉(「情況とはなにか」吉本隆明全著作集13政治思想評論集)
 2.〈巫女が共同幻想を<性>的な対称とみている〉(『共同幻想論』)
 3.〈鴎外が、母親は女手一つでしぶんを養育し一人前にした長い歴史をもっているので、昨日今日結婚したばかりの細君の嫌悪くらいで母親にたいする感情をかえてたまるものかといったような場所にあるのと対称的であるといえる。〉(『共同幻想論』)

 ここで、1.と2.の「対称」は、「対象」ではないかということ。そして、3.の「対称」は左右対称の対称でそれでいいと思います。最新のはわかりませんが、改訂されても直っていなかったようです。

 因みに、小浜逸郎は『吉本隆明―思想の普遍性とは何か』で「情況とはなにか」を引用して、「ここで使われている「対称」という表記はすべて「対象」の誤植であるか、少なくとも『遠隔』という言葉に直接結びついていない二か所の傍点つきの「対称」は「対象」と表記すべきであろう。」(P215)と述べています。

 夏目漱石の時代は、造語があったりして今から見ると読み方がいいかげんに見えるものに漱石の作品で時折出会いましたが、もしかするとそんな流れの名残で吉本さんの「対称」という言葉の癖もあるのではないかとも思ったりします。本を作り上げて出すというわたしの知らない世界ですが、何回かの大きな改訂でもおそらく校正者や吉本さん本人が関わってきているはずですから。辞書で調べた限りでは吉本さんのような「対象」とすべき所を「対称」というのはなかったようです。


「消費を控える活動」への参加をお願いします

2015年06月19日 | 回覧板

                                2015年6月18日
 
 
(1/9) そろそろ「消費を控える活動」 (註.1) を再開します。集会代わりの「#消費を控える活動01」に書き込み、現実の日々の生活での「消費を控える活動」(GDPの過半を占める家計消費)を意志的に実行していくことを一住民のわたしからみなさんに訴えます。

 (註.1)
このブログ記事、「回覧板① わたしは、目下ひとりたたかっています―昼寝のすすめ」 (2014年08月14日)を参照。


(2/9) 民意を十分に汲み取れず、あるいは無視する者もいる野党の危うい状況で、黙っていたら最悪になりそうで、わたしは決めました。時代の贈り物であるSNSという仮想世界を仲立ちとして、現実に突き刺さっていく力を持つ「消費を控える活動」をみなさんに訴えます。

(3/9) わたしは目立たずにほんとはのんびり自分の生活圏でくつろぐのが最高だと思っています。しょうがないな、いやだな、という気分はありますが、余りにもデタラメな政治状況で、腰を上げざるを得ないなと心決めています。

(4/9) こういう状況も予感していたので、前回(12月)の中途半端に終わった活動停止から、完全撤退せずにツイッターに住まい、少しでも多くの人々と「顔なじみ」(実際の顔は見えませんが)になれるようフォローしたりされたりして、状況の推移を見つめてきました。

(5/9) 昨日午後テレビを付けたら国会中継でした。また、うんざりする顔が映っていました。もう、ほんとに、うんざりです。弥生勢力がこの列島に流入し、縄文勢力と入り交じったとき、少なくとも稲といういいものをもたらしました。しかし、この乗っ取り政権は害悪のみをもたらそうとしています。

(6/9) 今後、おそらくこんなひどい政権は登場しないだろう、と思います。したがって、今やっておかないと大切な機会を逃すことになります。また、後の世代に、何もせず無抵抗だったの?とは言われたくないということもあります。

(7/9) 同じ住民といっても、いろいろな考え方のちがいはあるでしょう。イデオロギーなどは鞘に収めて、この列島の同じ生活者住民として、この最悪の政権を追い落とすという目標のための「消費を控える活動」を訴えます。今こそ、わたしたち住民が強力に力を合わせるべき時だと思います。

(8/9) このわたしの提案に賛同される方々は、さらに自分のフォロアーの方々に訴えて欲しいです。また、これは選挙権あるなしに関係なく家族みんなで取り組める活動でもあります。わたしは、選択消費だけでなく食費などの必需消費も以前より引き締めています。しかし、その中身は「面々の計らい」(みなさんの考え方次第)で良いのではないでしょうか。

(9/9) 賛同される方は、ツイッター上の仮想集会としての、あるいは情報交換の場としての「#消費を控える活動01」にぜひ参加してメッセージを書き込んだりして欲しいと思います。今や、政府、行政にとって経済は大きな課題となっています。現実のデモや集会も大事だと思いますが、わたしたちの身を少し削るようなこの活動の威力は、それを上回るものだと確信します。しかも、日々のわたしたちの生活に立ち返り、そこでの消費を控える活動からわたしたちの意志と共に社会に突き上げてくるはずです。現在でも、おそらく住民のみなさんの生活防衛的な意識や、政治や社会の現状に対するやってられないよとかいう意識などから、消費が落ちこみ続けています。これをわたしたちが力を束ね合って、是非とも政権へのNOという意志表示という積極的なものにしていきたいと考えています。よろしくお願いします。

                          この列島の一住民より

 ※ これは初めての取り組みですし、活動の先が見えない部分も多々あるでしょうし、また、わたしの智恵もたいしたことないですから、お互いが智恵を出し合って良い活動の形のものにしていけたらいいなと思っています。

 (ツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)


短歌味体な Ⅱ 277-279  

2015年06月02日 | 回覧板

[短歌味体な Ⅱ]  速度論シリーズ・続
 
 
277
るんるるんるるるるるんる
るんらるんろ
るんるんるんらるるるるるんろ
 
 註.例えば、ラーメンを食べる。
 
 
278
い~ち~に~つ~い~て~
よお~い
ど~おお~んとスローモーション
 
 
279
にい~~しぃ平敦盛
・・・・・
ひぃが~~しぃ熊谷直実


短歌味体な Ⅱ 244-247  

2015年05月21日 | 回覧板

[短歌味体な Ⅱ]  □:入口論、●:宇宙論、▲:世界論(人界論)、★:起源論
 
 
244 □
日差しやら風雨にさらされ
ひび入るよ
芯の芯までざっくりんりん 
 
 
245 ●
記憶あり巨きな時間が
ゆったりの
夢の中までりんりんと響く
 
 
246 ▲
くり返す日々の自然に
溶け込んで
思いもしないぱっくり破局
 
 
247 ★
そういえばいちにーさんぽ
立ち上る
遠い微気配またぎ越し来る