(この列島の遺伝子を持つ生活者から見て、わりと普段着で国家について。)
西欧近代由来では、人間は自然状態は人々が互いの利益を露骨に主張し合う〈悪〉そのものだから、社会内の種々の利害の調停機関が必要であり、それが国家であると見なされている。それに加えて、現在的に見て国家は外に向いては、国々の個別利害を中心に携えながら世界中に通じる普遍的な利害にもいくらか貢献する〈外交〉というものを他の国家に対して行っている。
この世界には、アイヌや琉球王朝以前までの南島など国家を生み出さないものもあったが、主流は国家形成に向かった。国家以前は、集落の宗教・行政組織があり、それは集落のよりよい生活のためだったのは疑いない。わが列島での統一的な国家の形成は、産業としては富の蓄積が可能となった農耕社会が本格的な段階になってきた古代に当たっている。
しかし、わが列島の歴史を眺めてみれば、現実の組織としても、一般民衆から見た国家への距離感や意識としても、国家とはわたしたち生活者住民とはあまりにもかけ離れた遠い存在であった。ちょうど中国の「鼓腹撃壌」(こふくげきじょう)の老人の次の言葉(意識)のように。
「日が昇ったら仕事をし、日が沈んだら休む。井戸を掘っては水の飲み、畑を耕しては食事をする。帝の力なぞ、どうして私たちに関係があろうか、いやない。」(「鼓腹撃壌」) この言葉は、今なおアジア的な遺制の遺伝子を持つわたしにも親しい言葉に感じる。
日々の小さなことに終始して生きるわたしたち多数の生活者住民に対して、政治意識を持った人々や政治や文化上層にいると自認している人々は、意識が低いとか政治意識がないとか批判的に言うのが今もある。おそらく官僚層や政治家たちの意識にもそれが今なお大きく残留しているだろう。しかし、それは支配上層の大いなる誤解による横着にすぎない。歴史の起源から照らし出せば、集落の行政も国家もその住民の代行に過ぎないのだから。だから、わたしには、この老人の言葉が理想的に見える。
たぶん西欧諸国と比べて、あるいは東南アジア諸国と比べて、様々な社会的に不当なことがあってもわが列島の住民たちはめったに大暴れしない。無用な血が流されないのはいいことではある。しかし、このことにわたし自身も含めてそれではダメだなとも思うが、つまり自己主張は、あいまいさに流すことなくもっとはっきりきちんとすべきと思っている。
しかし一方で、わが列島の住民たちの「帝の力なぞ、どうして私たちに関係があろうか、いやない。」という国家や政治や権力への歴史的な遠い距離感を背景とした有り様こそが、その存在の総体こそが、その全重量において、国家や政治や権力への無意識的な批判になっているはずだ。と言っても、歴史のある段階で生み出されたものに過ぎない〈天皇〉や〈(象徴)天皇制〉も、わが列島の住民たちの多数の尊重の意識によって支えられている。わたしは、真の〈平等〉という理想、それへの大きなきっかけとして天皇一族は気楽な普通の住民になるのが望ましいと思っている。つまり、現在のあいまいな象徴天皇制は廃止すべきだと思う。しかし、これは農村の死滅と対応するように今後もさらにゆっくりと薄れていくに違いない。親しい他人でもなく、いろんな意図を背後に秘めた行政や国家の役人などでもなく、大災害時におけるあの無私にも見える天皇の現地での振る舞いは人々に無上のものと思われているに違いないということはわかる。したがって、現在の〈象徴天皇制〉の行く末を決めるのは、大多数の住民たちの〈天皇〉に対する尊重の意識の消長にかかっている。これは流れに任せればいいと思う。
明治期そして敗戦後の二度にわたる西欧化の大波を受けて、わが列島住民の表面的な意識ずいぶん変わってきている。しかし、意識の根っこにある部分は何千年にも及ぶ年輪を持つもので、根強くわたしたちの社会意識や政治意識を規制しているように見える。それは国家や政治や権力に背を向けて生きるわたしたち生活者という有り様である。もちろん、この根強い遺伝子が〈批評性〉を獲得しなければ、またわあっと戦争体制に組み込まれるようなこともあり得るわけである。また、現在の消費社会では私たち生活者はGNPの6割を占める家計消費という経済的な力を知らぬ間に持たされてしまい、その家計消費を控えることで政権や政治批判することができしかも政権を打ち倒す経済的な力を手にしてしまったが、この力を自覚的に行使し得るようになるのは、まだまだ未来のことに属しているのかもしれない。そして、わたしたち生活者住民が、〈批評性〉を獲得するということは、政治の世界で例えれば、外力のアメリカ頼みやアメリカすがりつきを止めて、自立した個人として自分の頭と力で判断し行動することという単純な原則に過ぎない。
国家は、外交において二重のことをなしている。中国や北朝鮮のあれこれを指摘したり批判したりするとき、一方でそれらの国の方に国家の顔や意識として向けつつも、もう一方ではそのことを国内社会のコントロールや支配に利用しようとする、国内に向かう顔や意識も持っている。
その尻馬に乗って嫌中嫌韓などのイデオロギーに憑かれている人々もいる。したがって、わたしたち生活者住民としては、国家の尻馬に乗らないためにも、無用な対立を避けるためにも、さらにもっと本質的には〈生活者住民〉という生活世界を離脱しないためにも、考えたりするのはいいけど、生活者としては国外のことは一切語らない論争しないという留保が必要だと思う。そうでないと、イデオロギーを交えた不毛な対立にしかならない。
国内問題こそすべてだ、として町内会の話し合いのように論争はなされるべきだと思う。きみはこの列島住民全体の幸福を願ってそれを提案しているのか?ごく一部の人々の利害のために詭弁を弄しているのではないか?などなど。外力を頼むことも外力に逃げることもできない中で、一昔前の中流意識花盛りの頃から暗転した現下のこの荒れ果てた社会状況で、その再生のイメージが、この社会に属する住民たちの平等な権利として、語られなくてはならないと思う。
(ツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)
[短歌味体 Ⅲ] いちにいさんシリーズ
861
瞬時に反応するも
反応を
生み出すのはとても難しい
862
したがって回路を作り
水流し
123と激流する
863
123と流れに乗り
大気圏
を抜け出ては青みゆく在所
[短歌味体 Ⅲ] 言の葉シリーズ
676
ぐるぐると巡りに巡り
ふいと踏む
ふいごの音に春溶け匂う
677
さわさわと幹揺すっても
落ちてくる
ものはなく深、静まり返る
678
葉脈のみどりの道を
たどるとき
言の葉揺れて影差して来る
[短歌味体 Ⅲ] わかれ目シリーズ・続
628
人はみな生まれ出るより
わかれ目の
峠を越えこえを限りに内向す
629
越えゆけば後振り返る
わかれ目は
際だってイメージばかり細る
630
大人になり小学校に踏み入って
座ってみた
椅子の異和感例えようもなく
[短歌味体 Ⅲ] 百人シリーズ
615
〈あっ 火の鳥だ〉と耳捉えても
ひとりは
後ろへ駆けゆきひとりは盆栽に
616
〈みんな知ってるよ〉と耳にしても
百人
みんなが知ってるとはかぎらない
617
〈避難せよ〉と警報出て
でんぱする
ひとりは山へひとりは川へ
618
ひゃくにんの濃度及ぶよ
島々に
等質の宇宙巡るように
註.「世論調査」というものをちらり思い浮かべて。
再び、生活者住民ということ―不毛な対立を乗り越えて、その倫理の創出へ向けて
現在の状況をネットやSNSを鏡としてみれば、いろんな対立が浮上している。その背後には、無数の日々の生活の渦中にいて黙する人々のように見える生活者たちが居る。対立自体は、人間社会であり得たし、あり得ることだ。しかし、大雑把に括れば、ツイッターというSNSに現象しているのは、政権派と非政権派との対立であり、上層部分では、これはもう頭がちがちのイデオロギー(集団思想)対立のように見える。もちろん、両者ともに硬軟のスペクトル帯がある。たぶん、両者共に自らが正当だ、正常な判断を下しているのだと思っているに違いない。しかし、もし両者が、自分やその周辺の一部ではなく、大多数の人々の日々の生活の安定と幸福というものを願い目指しているとするならば、その道筋が一つではないとしても、両極端に分極し、対立することはおかしいということになるはずである。
わたしも「非政権派」に入るかもしれないが、できれば無用な対立はない方が良い。こんな対立の起源は、人間の集落形成以後では隣の集落との対立だろうと想像する。集落内での対立も、対立者を隣の集落のように別集団と見なすから、それに含めて考えることができる。今では、集落間の対立は解消されて、テレビで観たことがあるが、石の投げ合いや綱引きや運動会での地区ごとの競い合いなどの風習のようなものとしてとして名残があるくらいであろう。ただし、人と人との関わり合う学校や会社などの小社会には「いじめ」などとして今なお残存している。
人と人との関係には、個と個、個と集団、集団と集団などの関係がある。集団と集団の関係を見てみると、少人数であれ集団が対立に関わるとき、互いに相手の集団を自分たちの〈外〉と意識してきたに違いない。〈外〉である以上、ひどいことをしても許されるというように突っ走るのかもしれない。ふだんは、心優しい人でも、集団の力学の中では異類のように豹変する。恐ろしいことにこのことに例外はない。現下の私たちの社会に浮上する諸事件も、あるいは戦争も、その残虐の本質はそこにあるように思う。日常の眼差しの届かない、けれどその渦中に入れば誰もが残虐に振る舞ってしまう可能性を持つものとしてのブラックホールは、例えば「いじめ」等の目撃や体験などを通して誰もが生きてきた過程でその世界の匂いのようなものは嗅いだことがあるように思う。
ところで、現在では、学者や芸術の専門家ではない、わたしたち普通の人々の知のレベルが上昇してきて、純文学やサブカルチャーの垣根が取り払らわれ、旧来的な文化の秩序や関係の秩序が液状化して久しい現状がある。このことは、家庭内の親子関係も、二昔前の一般に厳しい親子関係とは違って、兄弟関係のようにフラットなものになってきていることとも連動しているはずである。
本当は10年はやらないと各分野の専門家に向き合うことは難しいと思うけど、私たち普通人が生かじりでもいっちょ前に見える言葉を言えるし、そういう言葉も飛び交っているように見える。また、専門家といっても、たいしたことない人々もたくさん居られるかもしれない。このように、二昔前と比べて、社会の構造が液状化してきた。第一次産業の農業従事者数と第三次産業のサービス業従事者数とが逆転して、社会に張り巡らされていた第一次産業の農業中心時代の上下の秩序構造が、産業社会の構造的な変貌によって第三次産業による消費中心社会へ移行していく過程で、液状化してフラットで均質な秩序構造になってきた。このことが、そのような社会の下に生きるわたしたちの意識構造や関係意識に大きな影響を与えてきたはずである。しかも、ネット空間やSNSという仮想空間の存在が、わたしたちの距離意識を縮め、割とフラットな関係を引き出し、わたしたちの自由度をずいぶんと拡張してきた。
もしこのような仮想的なネット空間やSNS、あるいはマスコミの世論調査などが存在しないならば、現在の社会状況や人々の意識状況はいっそう可視化しにくいものとなるだろう。逆にそれらが存在する故に、世界は仮想的に身近に感じられ、仮想と現実とか奇妙に織り合わさった新たな〈現実〉の中で、拡張される自由度とともに、あるいはその自由度のもたらす負性を活用するように憎悪や対立の言葉さえも発射される。しかし、これは仮想のゲームではない。生身の人間が背後に居るのである。
もし私たちが、このような無用な諸対立を本当はなくしたいと考えるならば、現在のところで考え得るかぎりでは、根本的に解決する道は、外のイデオロギーを自分の頭に乗っけたり、自分の手足の強化ギブスにしないことだと思う。つまり、この列島内以外のことは「生活者住民」として関知しないという姿勢を取ることだ。
町内会での問題処理や解決のように、その外の問題である、国の外交問題などには一切触れない考慮しないという立場である。その外交問題は、代行たる官僚層・政治層が話し合ったりして良い解決の道を探るべき問題に過ぎない。私たちの最重要世界は、日々の小さなくり返しの日常世界なのだから。
自分たちの生活世界に根本的に関わる問題以外に関しては、我関せずという生活者住民としての立場(倫理のようなもの)が今大切に見える。自分から遠い世界、例えば政権や国などに自己同一化をしないこと、取り憑かれてしまわないこと。またわかりやすい例えで言えば、自分の住む地域の神社の固有の神に、外の大げさな神々をくっつけないこと。我を忘れたお祭り気分や、日々の生活を抜け出たスーパーマン気取りは止めて、冷静な内省と眼差しを自分自身や日々の生活に向けることをわたしたち全ての生活者住民が問われているように思う。
(2/7のツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)
関連参考1. 「この列島の住民ということ」(2014年10月11日)
http://blog.goo.ne.jp/okdream01/e/d8c98919a76b15ad3ab01f1292ced7ee
関連参考2. 「漱石に倣って、『生活者住民本位』ということ」(2015年7月20日)
http://blog.goo.ne.jp/okdream01/e/e15c80004616b34c6aedf999fcea32d5
[短歌味体 Ⅲ] かいだんシリーズ・続
508
かいだんの大気に触れて
踊り場の
空気巻き込みらんららんらん
509
かいだんの中身は言えぬ
一歩二歩
上ってみれば空気漂う
510
かいだんを解体すれば
団塊の
歩んだ道々めくり返される
[短歌味体 Ⅲ] デビッド・ボウイシリーズ
466
さんまさん知らない人が
テレビ出て
電波のように驚いたこと
467
驚いた私知らない
こともあり
中性色のデビッド・ボウイ
468
この世には恒河沙(ごうがしゃ)の
無名の
デビッド・ボウイ日々紡(つむ)ぎいる
参考資料―『明治の幻影―名もなき人びとの肖像』(渡辺京二)より
付(わたしの註)
そしてこの近代国民国家なるものは、徳川期日本もそのひとつである近世国家とは重大な一点で決定的に相違していた。すなわち、近世国家においては統治者以外の国民はおのれの生活圏で一生を終えて、国家大事にかかわる必要がなく、不本意にもかかわらねばならぬときは天災のごとくやりすごすことができたのに対して、近代国民国家においては国民は国家的大事にすべて有責として自覚的にかかわることが求められた。
幕末の日本人大衆は、馬関戦争では外国軍隊の弾丸運びに協力して、それが売国の所業などとはまったく考えていなかった。戊辰戦争で会津藩が官軍に攻められたとき、会津の百姓は官軍に傭われて平気の平左だった。天下国家は統治者階級の問題で、彼らの関知するところではなかったのだ。明治になって彼らの国民的自覚は多少改善されたかも知れないが、彼らが依然として国際情勢などには無関心だったのは、明治十七年に出版されたある書物で次のような慨嘆が洩らされていることでも明らかである。
「わが三千七百万の同胞兄弟は、やれ徴兵煙草税と、内々苦情を鳴らす頑固親父殿は少なからぬも、外国との関係はどうなっているか、白河夜船の高いびき……これこそ無気力の奴隷根性、……ああ、かようなる腰抜人足は、たとい日本が赤髭の属国になっても、同じくヘイヘイ、ハイハイと頭を下げるに相違なく」云々。
当時の識者たちは福沢諭吉以下みな、国民の知識が低く愚かなことに痛切な憂慮を抱いていた。なぜ憂慮すべきかというと、国民が自覚して国政に参与し対外関係を自覚しないとすれば、インターステイトシステムの中におかれた日本国家の将来は甚だ危いからである。インターステイトシステムとは、国際社会が国民国家(ネイションステイト)間のかけひきのシステムとして減少することをいう。万国対峙といっても、帝国主義といっても同じことである。一九〇〇年前後には、国家というものは他国との戦争を含むかけひきを勝ち抜くことなしには生存できぬという感覚が、疑うべからざるものとして共同認識化されていた。だとすれば、勝ち抜くための最低要件は国民全体が国家目的に献身することである。(引用者の註.この認識は、政治担当層や一部の知識層のものであろう。しかし、現在の構図ともよく似ている。)
(『明治の幻影―名もなき人びとの肖像』P96-P98 渡辺京二 平凡社 2014年)
だが、その義勇公に奉ずる勇敢な日本兵も、望んで戦場に屍をさらしたわけではなかった。彼らをやむをえぬ義務に駆り立てたのは、国民の自覚である以前に共同体への忠誠のゆえではなかったか。彼らは何百年というあいだ、村共同体への忠誠義務をほとんど肉体化していた。この伝統は一五、六世紀の惣村の成立に始まる。
戦国の世、惣村は自衛せねばならなかった。惣村はミニ国家といってよろしく、水争いなどで隣村としばしば合戦を催した。その際村民は必ず戦闘に参加せねばならず、もし逃避すると罰され、戦死すると遺族は村によって扶養された。……中略……このような村全体の存続のために成員が自己を犠牲にする心性こそ、明治新国家における国民の忠誠義務、一旦緩急あれば義勇公に奉ずる献身の義務を国民一人ひとりに叩きこむ土台となったと考えて誤りはあるまい。
村を国家の次元に拡大すれば、お国のために死ぬことが納得できる。だが、村と国家との間には絶対的な違いがある。戦国期の村はいささかミニ国家の風があったが、それでも村の生活は上部権力の興亡とは次元を異にする日常の明け暮れだった。日常とは自然との交渉であり、隣人・家族との関係であり、インターステイトシステムにおける国家利害とは本質的に無縁な生のありかたである。村のために死んでくれといわれる覚悟はしているが、それすら自分たちの日常を守るためであって、国家の統治はもちろんのこと、ましてや国家間の外交など自分たちには何の関係もない領域である。
明治以降の知識人は、いや徳川期の識者ですら、こういう日常の生活圏に自足する熊さん八さん、太郎兵衛次郎兵衛を無学な愚民とみなしたが、実はこういう庶民の日常に自足したありかたこそ、人間という生物のもっとも基本的な存在形態なのである。
(『同上』P100- P102 )
われわれの本来の生活は国家と無縁であるべき個の位相にあるはずなのに、国家のうちに包摂されてそれと関係を持たざるをえない必然に責任を負うてゆかねばならない。この根本的な裂け目に架橋しつつ生きてゆかねばならぬのが、現代人たるわれわれの運命なのか。
(『同上』P107- P108 )
※ 読みやすいように、引用文の段落間を一行空けています。
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(わたしの註)
―現在につながる、普通の人々の置かれた状況の明治近代に強いられた転位
簡単にまとめると、明治という新しい時代になっても、普通の人々の意識は、「近世国家においては統治者以外の国民はおのれの生活圏で一生を終えて、国家大事にかかわる必要が」ないというものだった。しかし、村落共同体の中の一員としての村社会への関わり方(註.1)が、国家レベルのそれへと写像、接続されていった。このことは、従来の普通の人々の置かれた状況からの位相的な転位に当たる。つまり、関わりの構造自体が変容し繰り上がってきたのである。
わたしは、中国の「鼓腹撃壌」(普通の庶民の側から見れば、誰が政治をやっているかわからないくらい、政治とは無縁に平和で安楽な生活を喜び楽しめる社会)と言う言葉に込められたイメージがなぜか気に入っている。たぶんこの列島を含むアジア的な社会や制度の持つ日常生活圏と政治や文化上層間の目も眩むほどの断絶や距離感の精神的な遺制から来ているのかもしれない。
政治というのは、もともとは意識的あるいは無意識的に普通の生活者住民の代行に起源を持つはずである。もし、そうでなくはじめから富や力を集約して力を手にした者が支配者の座に着いただけなら、力の強いものが統率する動物社会の群れの構造となんら変わらない動物生段階そのものであるからである。もちろん、現在の社会や世界を見渡せばわかるように、そういう部分も邪悪さを含みつつ次第に芽生えたり織り込まれたりしてきたものと思われる。
アジア以前の、つまり日本では古代国家以前に相当するアフリカ的な段階では、普通の人々は奴隷的な状態にあり、一方、王には絶対的な権限が与えられ、その代わり住民に災いをもたらす失政が続けば、その王は殺害されるという「殺され王」という政治運営の形態もあったらしい。遙か遠くのそのような様々な試行錯誤の末の政治として現在があるのだとは言えるけれども、政治の現状を見れば国内も世界も、今でも生活者住民の代行以前の段階にあり、理想的な状態からはほど遠い。
著者は、引用の最後の部分で、近代以降は、それ以前の共同的な意識に埋もれていた個の位相が突出してきて、個が近代国家のうちに包摂されてそれと関係を持たざるを得なくなった状況を、「現代人たるわれわれの運命なのか」と疑問符と共に記している。
わたしたち普通の生活者住民は、一般に仕事としても思考の基盤としても日常の生活圏から離脱しない。このことは現在でも前提的なものと見なせるだろう。もちろん、近代以前の普通人は、現在と違って生活以外には上層の文化や知識とはほとんど無縁であった。現在では、普通人と学者や評論家との境界が不分明になってきていて、普通の生活者住民が時代の先端的な知識や文化に関わったり、出入りしたりできるようになってきている。これは一面では個にとっての自由度の拡大であるけれども、その反作用として日常の生活世界というものに対する浮力としても働く。つまり日々の生活という具体性の手触り感などが抽象化や人工化の浮力を受けるということである。したがって、わたしたちは普通の生活者住民としてその生活世界を価値の中心として感じ考え位置づけるという意識的な姿勢が、現在では今までになく必要になってきているように思われる。
明治近代以降、わたしたちの生存が社会の方へ過剰に引き寄せられたり絡め取られたりする構造になってきているとしたら、その関係の構造自体の中に、わたしたちの生存の重力の中心である日常の生活世界をしっかりと確保できるような社会にしていくほかない。例えば、誰が政治に参与しようが良いとしても、わたしたちの政治に対するリコール権だけはしっかり位置づけ確保するなど。わたしたちが放っていても官僚や政治家がきちんと代行して政治や経済の運営をするだろうなどということは、現実にない教科書民主主義に過ぎないし、残念ながら、いまだかって歴史にないことである。したがって、わたしたちは寝転んでいたり放っていても、きちんと代行されることを夢見て、現在にシビアに対応していくほかない。
また、この消費資本主義の段階に到って、吉本さんが孤独な作業の中から抽出してくれた、GDPの6割を占めるようになった家計消費の意味、つまり、わたしたち普通の生活者住民に一人ででも家族でも昼寝してても行使することのできる経済的な力(権力)が転がり込んできたということ。現在のところは生活防衛的な家計消費の引き締めであるだろうが、わたしたちが家計消費(選択消費)を一斉に控えればもうわたしたちは政権を追い落とせるかもしれない。政府リコール権がなくても実質のリコール権を手にしていることになる。わたしたちの置かれている現状を著者のように少し悲観的に見る必要はないと思われる。
(註.1)
著者は、「この伝統(引用者註.「村共同体への忠誠義務」)は一五、六世紀の惣村の成立に始まる」と述べている。しかし、著者も考慮に入れているかもしれないが、それはもっと古い流れを持つのではないかと思う。おそらく農耕が本格化してきた古代辺りから、屋根の葺き替えやそのための茅の確保や干拓仕事や田んぼの整備や虫追い祭り等々、集落の集団で責任を分かち合いながらの活動や行事は、それらがほぼ消滅に近づいてきている現在と比べものにならない位多く、密接なつながりが集落の成員間にあったはずである。したがって、これらの集落の中の組織性という長い経験の蓄積は、中世の惣村につながり、その原形に当たると思われる。
ところで、柳田国男の本をずっと少しずつ読みたどってきて、ここに書かれていることはいつの時代のことだろうかと思うことがしばしばあった。いつ頃のこととちゃんと書いてある場合もあるが、時代や時期が不明な記述も多くある。膨大な資料収集をした柳田国男だが、彼の目指したのは、まず日本人の精神の古層を発掘し、その移りゆく過程をたどりながら日本人の精神史を描こうというモチーフの実現である。さらに大きな構想としてそこから世界レベルへの拡張も考えていた。
柳田国男は、しばしばA→Bへと移りゆく過程の中間の過程はどうなっていたかということを問題にしている。要するに、精神史というのは、何らかの形でその古層も保存されつつ時代と共に段階を踏んで変貌していくものでなく、何々時代はどれそれというものではない。時代とは別の大きな流れとして段階を踏んでいくものと思われる。A→Bへと中間にいくつもの小段階を踏んで移りゆく。したがって、ある程度時代との対応をはずれた〈段階〉という捉え方になっている。精神の古層からの〈段階〉とそれが飛躍していく〈転位〉として大多数の普通の人々、主に農耕民の精神の歴史が記述されている。わたしも、〈段階〉的なイメージの移りゆきとして、漠然と「二昔前」というような表現をすることがある。
言葉の表現において、語音の同音による表現技法は、平安期の「掛詞」があり、またお笑いの「ダジャレ」がある。外国語の事情はわからないけれど、日本語には他の言語より同音異義語が多いという文章を読んだことがある。書き言葉の場合は、漢字かな交じり文として書き分けるから誤解は少ないけれど、話し言葉では、前後の言葉のつながりから判断しているのが現状である。
おそらくこの列島の太古にも通じると思うが、「はは」は「母」以外をも指示する言葉であったとマリノウスキーを引きつつ吉本さんが触れたことがある。
…では子どもにとって実の「母」や実の「父」と親族組織がひろがっていったために 「母」とは(ママ 「とか」か)「父」とか呼ばれることになる母方の兄弟(伯叔父)や姉妹(伯叔母)はおなじ呼称なのにどう区別されるのだろうか。マリノウスキーによれば、おなじ「父」 や「母」と呼ばれても、実の「父」「母」と氏族の「父」たちや「母」たちとでは感情的な抑揚や前後の関係の言いまわしによって呼び方のニュアンスがちがい、原住民はそれが実の「父」や「母」を呼んでいるのか、氏族の「父」たちや「母」たちのことか手易く知り分けることができると述べている。またこの地域の原住民の言葉(マラヨ・ポリネシアン系)には同音異義語がおおいのだが、それは民族語として語彙が貧弱なためでも、未発達で粗雑なためでもない。おおくの同音異義語は比喩の関係にあって、直喩とか暗喩とかはつまりは言語の呪術的な機能を語るものだと述べている。 わたしたちがマリノウスキーの考察に卓抜さを感じるのはこういう個所だ。たとえば「母」という言葉は、はじめはほんとの「母」にだけ使われる言葉だった。それがやがて「母」の姉妹にまで使われることになった。これは子どもの「母」の姉妹にたいする社会的な関係がほんとの「母」にたいする関係と同一になりうることを暗喩することにもなっている。そこでこのふたつの「母」を区別するために「母」という呼び方の感情的な抑揚を微妙に変えることにする。これによってほんとの「母」と、「母」の姉妹との社会的同一性とじっさいの差異を微妙にあらわし区別することになる。
(「贈与論」『ハイ・イメージ論』 吉本隆明、
『吉本隆明資料集115』「ハイ・イメージ論9」より 猫々堂)
ここで、吉本さんは同音異義語の発生の歴史的な段階と事情に触れていることになる。人類の幼児期や幼年期の感性が今の私たちのどこかにしまい込まれていて、何らかの形で発現してくるのと同じように、現在の同音の表現には深い歴史性が埋め込まれていることになる。また、太古に地名は地形から名付けられたと柳田国男は明らかにしているが、現在の人の名字も地名から来ているのも多い。特定の時期や時代としての具体像としてははっきりとはイメージできないけれど、ある段階的なものの移行としてなら考えられるかもしれない。
ある地に住んでいた場合、おそらく血縁もある同族としてのつながり意識からその土地の名を冠したのかもしれない。その中から同族を統率するような者たちが現れ、庄屋や武家層を生み出していったのかもしれない。この場合、現在の家族や個人単位の名字とは違って、同族意識や共同意識が強かったものと思われる。最初は、土地の地名=そこに住む者の名字だったのが、つまり、特定の土地と結びついた同音同語のような強い絆の共同意識だったのが、次の段階として他の地域へ移動しなくても次第に分離して地名→名字の同音異義語のような意識に移行してきたものと思う。これは、同族内の階層化の進展と対応しているかもしれない。
同族は疾うに解体され、親族といっても薄いつながりになってしまっている現在にあっては、土地の地名とそこに住む者の名字とは完全に分離を遂げてしまっている。言いかえると、土地の地名と名字が同音異義語だったとして、そのつながりの痕跡をたどることは難しくなっている。しかし、以上イメージしたような起源的なものが、現在の同音の言葉に見えない「蒙古斑」のように記されているのは確かであろう。同音を意識した作品を上げてみる。
① カレー臭すると子どもが大歓喜
(「万能川柳」2015年2月17日 毎日新聞)
①の註として
その昔抱きしめた息子(こ)の加齢臭
(「同上」2014年11月2日)
② 来客に夫婦のようになる夫婦
(「同上」2014年11月4日)
③ 捨てられた猫の鳴き声泣き声に
(「同上」2015年3月12日)
④ 毎日を毎日読んで半世紀
(「同上」2015年8月20日)
①の作品は、どこにも何とも書いてないけれど、わたしは同音の喚起から註として付している「加齢臭」(かれいしゅう)を想起した。強いていえば「カレー臭」と表現されているからか。一般に「臭」は嫌なにおいで、「匂」は良いにおいと見なされている。また、「匂」は和製漢字で音読みはなく、視覚的なイメージを表す言葉のようである。万葉集に出てくる。読みは少し違っても、口に出して発音すると同音と見なせる。同音喚起によってこの作品にユーモアの広がりを付け加えている。「あの加齢臭と違ってさ、こちらは良い匂いなんだけど、そのカレーの匂いがすると子どもたちは大喜びするね。」といった意味になる。
②③④は、「夫婦」(世間的にあるべき姿としての)と「夫婦」(現実の具体的な)、「鳴き声」と「泣き声」、「毎日」(新聞)と「毎日」いずれも同音であるが、現在では明確に区別された別々の概念(あるいは指示されるもの)である。しかし、いずれの同音にも先に触れたような太古からの同音にまつわる歴史的な事情が、わたしたちの現在にも痕跡のように存在しており、それらがなんらかの感触やささいなイメージのようなものとして、現在のわたしたちにも発動してくるように思われる。ほんとうは、わたしが知りたいのはそれらの太古からの概念や意識の積み重なり方と、どこでどのように古層や中層からそれぞれ発動されて表出されるかということであるが、これは少しずつ明らかにするほかない大きなテーマである。