[短歌味体 Ⅲ] 書くときはシリーズ・続
1269
イメージの破片、破片の
懸垂し
言葉の流れに浮上する
1270
イメージ群ぽっと点(とも)る時
あったかい
流線描いて言葉の舟へ
[短歌味体 Ⅲ] 内外シリーズ
1152
外からは遊んでいるよ
と見えても
刻々と狭い道安らぐ場所は
1153
もう行き止まりとメモを残す
者には
外からはかける言葉がない
1154
課長さん死ぬくらいなら
仕事ほっぽり
出せばと外からは余裕が見える
1155
去りゆくたましいの内
なる音色
深い呼吸とともに胸に刻め
何度(たび)か、生活者住民として (1)
1.のんびり寝っ転がるように生きていくのが理想だね
若い頃は遠いところに何か価値あるものがありそうに思ったことがある、青年から中年にかけては日々の生活に追われるように慌ただしく日々が過ぎていく、老年に差しかかると普通の日々の生活に自足することがとても貴重に見えてくる。人の生涯の描く割と一般的な風景と言えるかもしれない。
わたしが普通の生活者の世界に自足せずに、なぜ知(知識)の世界に入り込んでいるのかについては、ひと言で言うことができる。誰もがふと立ち止まって思い巡らせることがあると思われること、つまり、ふだんの生活する世界を抜け出るように、なぜ自分はこうであり、他人はそうであり、世界はああなっているのか、若い頃、そういうふしぎさや不可解さに引かれるように入り込んでいったように思う。こうして、その問いに対しては、自分や他人やこの世界の有り様を捉え尽くしたい欲求があるからという答えになりそうだ。そしてそのことが同時に、普通の生活者としてほんとうに自足すること、いい呼吸ができることに究極的にはつながるのではないかというイメージを今では抱いている。なぜならば、人間社会の始まりには確固とした宗教も政治も国家もない集落規模の自足した生活世界が想定できるとしても、わたしたち人間は、そこから生活世界だけでは完結しない宗教や政治や芸術や自然科学などの世界をその外部に生み出してきたし、しかも生活世界はそれらと何らかの関わり合いを持っていて、究極的には生活世界だけでは解消し得ない、解決し得ないものとこの世界はなってしまっているからである。
もちろん、この知の世界や文学表現などへの入り込みは、始まりは意識的なものではなく偶然や自然なものであった。興味深いこともあり、感動もあり、理不尽さも不可解さもあった。また、言葉の森に踏み迷って自他共に何を表現しようとしているのかわけのわからないということもあった。ちょうどわたしたちが生活世界で出会うことと同型のものがそこにもあった。
世の中には、たまには優れた少数の学者や思想家に書物を通して出合うこともあるけれども、知の世界に行きっぱなしになる人々も多い。つまり外側から感じ取る主流の一般的な像として言えば、生活世界から抜け出してなぜそういうことをしているのかというモチーフが不在で、パズルを仕上げていくような単なる知的な興味、といっても複雑で多岐にわたる世界だろうが、その興味に溺れたり、あるいはいろんな役職に就いて知や政治の派閥に埋もれることを価値あることだと見なしてしまう者もいるようだ。そういう人々は、知の現在まで築き上げられた来た慣習的な地層と生活者としての地層が内面で深く関わり合うことなくただ貼り合わせになっているのだろう。しかし、わたしは知の世界に入り込んでからのモチーフもその世界について抱くイメージもイメージの流線も、彼らとは違っている。
わたしの場合は、吉本さんの〈大衆像〉というおくりものからひとつ、わたし自身の人間や人間世界の起源からの捉え返しということからもうひとつ、この二つから知の世界に行きっぱなしということにはなり得ない。知の世界からの還りがけのイメージを持っている。つまり、この世界に、生まれ、育ち、成人し、老いて死んでいくという人の生涯は、始まりと終わりの辺りを眺めただけでも、人は他のあらゆる生き物と同様にこの生活世界の土に立ちそこに還っていくということが、そこが大事な重力の中心だということが、わかると思う。人はいかなる考えやイメージをも持ちうる存在だとしても、そのことは今のわたしには自明のことに思われる。
現在までのあらゆるものには、当然始まりというものがあり、その始まりということから照らせば現在までに築かれてきたあらゆるものは絶対性ではあり得ない。とは言っても、例えば男女の関係の破綻があったとして、その関係の始まり以前に簡単に戻ったり、初めからやり直すということもできない。降り積もらせた日々の関係を再び日々の時間の積み重なりの中で始まりに向かって少しずつ消してゆくほかない。同様に、この人間社会の遙か始まりから現在まで築かれた諸々(もろもろ)も、それを理想のイメージに向けて着地させて行くには未来に向けた気の遠くなるような道筋があるはずだ。
しかし、わたしたちは、(遙かな)未来のために生きているのではない。現在に理想のあり方を追い求める一方で、日々の生活をできるだけ気ままに、ゆったりと過ごすというのが、わたしの思い描く生存の有り様である。両者は、生きるという深みで密接につながっているが、後者の日々の生活こそが重力の中心のかかっている世界である。このようなことは、家族や職場など生活世界の中でも割と無意識的に行われている人間的な行動だと思う。
以上のことを、簡潔に集約すれば、わたしにとっては、いろいろ面倒な理屈の世界を潜り抜けてはいても、ほんとはのんびり寝っ転がるように生きていくのが生存の理想だねというイメージになる。そして、両者はわたしの中で密接につながっている。
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何度(たび)か、生活者住民として (2)
2.生活者住民の集団の原型として学校のクラスのことから考える
生活世界の住民のひとりとして、この社会におけるわたしの位置や考えを示すために、わたしの体験的なことを取り出してみる。
わたしは学校で、中学校でのことは記憶がはっきりしないが、小学校と高校ではそれぞれ一回ずつはクラスの委員長の仕事をやったことがある。これはわたしの内心から言えば、自発的なものではなく、したがって、晴れがましさというものも余りなく、他人の推薦などで仕方なくやった仕事というのが正しい。いやいやでも、その任に就いたら緊張してそれなりの仕事はしていたと思う。
高校の時は、体育祭でクラスから出すマラソンの選手がいなかったか不足したかは忘れたが、誰もなり手がいなかった。速くはないけど短距離向きでしかないわたしが、クラスの委員長をしていたから仕方なくマラソンに出る羽目になった。上り下りのある嫌なコースで、ゴール近くまでなんとかたどりついて倒れ気を失ってしまった。保健室のベッドで、たぶん目をつぶっていて光が右上へ上って行った。ああ、上へ行っちゃいけないなと感じた覚えがある。臨死体験に類するようなものだったのだろうか、よくわからない。目覚めたら、足がつっていて痛かった。クラスの者を恨んだという覚えはない。
大学時代、学生寮にいた時には寮長をやったことがある。むろん、これも自発的なものではない。どちらかと言えば、わたしは引っ込み思案の方で、それを意識して高校の時はクラスや生徒全体の集会などの話し合いの席では必ず一回は発言しようということを自分に課していたくらいである。わたしは、感情や気分や意識としては集団内から離反してひとりのんびりしたい願望を持ちつつも、現実としてはこのように集団内の多数が位置するところに身を置き、そこで割と自然に振る舞っていたと思う。
ところで、ほとんど誰もが通過する学校での人間の関係の構造は、人間社会での原型のように見なせると思う。今、高校での文化祭への取り組みの場面で考えてみる。
まず、町内会の場合は、班長をやっていれば日々の生活の合間にたまに話し合いに出向いたり、ある催し物の係りとして活動することになる。一方、高校のクラスの場合は、別に家族を場とする生活があり、本人たちが試験などを通して意志して選択し入学した結果として学校生活があるわけだが、学校は大人の職場での仕事のように一日の大半を過ごす場になっている。そうして、そのクラスや学校という場で、行事や問題が起これば、話し合いや諸活動を行うことになる。
高校でのクラスは、学校の方から見れば、ある教育の理念の下カリキュラムに基づき日々時間割と規律によって構成されている世界である。仕事の職場の構造と似ている。一方、子どもたちの方から見れば、クラスには現実的にはひとり一人が存在するわけだが、同時に知り合いや友達関係など様々な小グループの関係も存在している。現状では、学校のクラスという場を中心に子どもたちの学校生活はある。ここで、クラスで文化祭に向けた取り組みを開始する時を考えてみる。このときクラスの者は、文化祭に向けて進んで参加する者、内心は少し嫌々でもしょうがないかと参加する者、最初自分の役割や仕事を受け入れたように見えても集まりや仕事を時々さぼる者、まったく参加しようとしない者、というふうに四層に大まかには分類できる。一般にはわが国では、第二層が大多数の普通と見なせるもので、第一層と第三層と第四層は少数である。
第四層の者として表面に登場して来るのはごくわずかであり、彼らは係りや共同作業を避けたりサボったりして協力の意志を示さない。昔の村落共同体であれば、そういう人々は制裁の対象になったのかもしれない。町内会であれば、地区清掃などの共同作業への欠席の場合は代わりにお金をいくらか徴収することになっている所もある。しかし、若いわたしの当時の内心でつぶやく口癖は「くだらない」という言葉だったこともあり、かれらに幾分心ひかれる面もあり、非難する気にはなれなかった。一方で、わたしは大多数の第二層の位置を取り続けてきたから、係りなどになって彼らに関わる時は、準備作業などへの彼らの非協力には、困った者だなという思いも抱いた。それでも、わたしの経験ではこのような集団の構成の中で、険悪な状況になったという経験はない。つまり、なんとか人はやりくりして動き、物事は進んで行く。
こういう風に、クラスや町内会や職場などの小社会でなんとか険悪さや全面対立に陥ることなくやっていけたら集団としてはいい運営、良い関係と言えるだろう。そして学校のクラス内での人と人との関わり合う有り様の考察は、生活世界の集団の関わり合いの原型とみなすことができると思う。ただし、社会の総体としての集団性を考える時は、地方や国家の行政的な関わりの結合手が伸びてきたり、社会内や地方や国家の行政の方に結合手が伸びていく宗教や政治や経済や労働など無数の団体があって、これらの錯綜が社会内の生活者住民と地方や国家の行政という単純な関わりを複雑化させている。また、学校の場合も、管理職や教員や事務などの経営や運営主体の側から見れば、子どもの世界もまたちがったものと映る。わたしが原型として考えようとしているのは、社会であればわたしたち大多数の普通の生活者を、学校であればそこで生活する子どもたちを、中心に置いてその自主的な有り様を考えようとしている。
わたしたち大多数の生活者がこの社会の真の主人公のはずであるが、普通は主に沈黙の状態にあり、社会的に登場するのは、民意や家計消費の実情などマスコミの世論調査や政府・行政の統計調査を通して、抽象化されて登場する。わたしたち生活者住民は、地方や国家の行政の方から眺めると社会内存在として括られるのかもしれないが、個別的に、具体的に、その捉え方とは無縁なように家族(単身者も含めて)として存在し、日々生活している。
わたしたち普通の生活者の中には、ある宗教や政治の組織に関わっている者もいるだろうし、あるイデオロギー(集団思想)を信奉している人々もいるだろう。もちろん、現在の主流の考え方である「民主主義」もひとつの現代的なイデオロギーであり、わたしたちは無意識的にもそれを前提としているようなところがある。わたしも半分はそれを受け入れているのだろうと思う。半分はというのは、次のような事情による。普通の大多数の生活者は、日々の生活に埋没するように生きていて、「民主主義」は・・・・・、と振りかざすようなことはなく、遙か太古から現在までにこの列島の住民たちが主流として積み重ねてきた、お互いを尊重したり、お互いを気掛けるというような概念化以前のような生活感性や人と人との関係に対する判断力のようなものを無意識的にも受け継いで来ていて、そこから日々自然な形で表現しているからであり、わたしもまた半分はそこに自分の身を浸しているからである。
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何度(たび)か、生活者住民として (3)
3.生活世界はなぜ政治的な話題を避けるか
明治以降の近代において、都市と農村は対立的なものと感じられ意識され、地方から多数の人々が都市に押し寄せた。経済的に余裕のある層からは知識層や芸術家が登場した。彼らの根底に共通しているのは、学校で出会った輸入された欧米の考え方、その影響下のわが国の文学や哲学などを通して、農村の因習や関係を個の自由を縛るもの、古くさい否定すべきものと見なした点である。わたしは、かつて詩人伊東静雄の大正末から昭和にかけての歩みをいくらか調べたどったことがある。わたしは、そのことを想起しながらこれらの言葉を記している。一方、普通の人々が地方の農村から町や都市に押し寄せたのは、柳田国男に拠れば次男三男などは一般に農村に十分な居場所がなく、より良い生活を求めてのことであった。ここにも都市の優位性が射していた。
社会総体として未だ農村社会のウェートが大きい時代で、農政学を学んだ柳田国男は、一人、そのような農村の因習や年中行事や信仰に批評的な眼差しを加えつつ、農村の現在的に当面する社会的な問題と精神史の古層とを深く追究した人だった。それは、新たに胎動する工業資本主義とも言える近代社会の裏面史の、それ以前は主流の産業だった世界の追究に当たっている。このように、近代社会は、特に都市においてはそうだが、今までの農村中心社会に蓄積されてきた精神史を裏面として沈めながら、一回目の大規模な欧米化の波を受けた時代であった。
現在のこの列島社会は、敗戦後の第二の欧米化の波をかぶり、どこも似たような風景を持つ、割と均質な社会になってしまった。それでも今なお、近代に都市と農村とを対立する関係と見なした残滓のようなものとして、大都市の方が文化や娯楽ひとつとっても地方都市より優位性を持ち、特に若者をひきつけるものと見なされているのはまちがいない。
ところで、敗戦後の第二の欧米化の波をかぶることによって、内発的なものとしてではなく、外来性として列島社会に民主主義の諸制度や諸概念が入ってきた。戦中世代ならそのことに複雑な思いがあったはずであるが、敗戦以後の世代は特に、それらに慣れ、自由や平等という考え方にも馴染んできた。一方、敗戦後70年の現在では、若い層にさえ「ネトウヨ」と呼ばれるような、敗戦で死んだはずの亡霊の復古的な紋切り型の政治概念を唱える者が出て来た。
一体どうなっているのだろうか。何が問題なのであろうか。(註.)わたしは、今なお右や左、リベラルなどで呼ばれるもの認めないが、それらは社会の、あるいは人間の表層部分に今なお観念として残っていることは確かである。ほんとうは、太古よりこの列島の住民たちが受け継いで来た良性の精神の遺伝子とも言うべき生活感性や意識が、割と無意識的なものとして、その表層下にある。わたしたちは、そこにこそ注目すべきだと思う。
今から四五十年前には、若者がエレキギターを弾いたりするのは周りから不良として白い目で見られがちだった。また、マルクスとか革命などの言葉も仲間内以外では口に出すのがはばかられるような時代であった。そこから見渡せば、ずいぶんと個の自由度が増大した社会になってきた。ところで、欧米や他のアジア諸国のことは知らないが、この列島の生活世界では、例えば家族や職場や仲間の集まりなどで、宗教的な話題や政治的な話題が避けられがちである。これはどこから来るのか。おそらく、それらは自分たちの世界をかく乱させる異物と感じられているからだろう。生活世界で宗教的な話題や政治的な話題を受け入れたなら、互いに対立的になったりする可能性を導き入れることになるし、お互いの関係が壊れることにもつながるかもしれない。したがって、そうした話題を避けるのは、トラブルとなる要素を避けようとする生活世界の知恵なのかもしれない。つまり、生活世界からの防衛反応ではなかろうか。付け加えれば、聖書にも、イエスは故郷では容れられなかった、つまり人々は、生活世界とは異質なものをイエスの言葉やふんいきに嗅ぎ取って、よそ者としてのイエスは受け入れられなかったとある。当時でさえ、宗教や政治はもはや生活世界から外部に抜け出ていて、そことは異質な外部的なものになっていたのだ。
同じ政治的な考えやイデオロギーを持つ仲間内なら、「中国が攻めてくるかもしれない」とか「日中関係が緊迫化している」などと発言しても、ウケるだろう。しかし、生活世界でのフツーの仲間内や会議などでは、そのようなものは排除去るべき異物に当たるだろう。しかし、確固とした宗教や国家などがなかった太古には、それらの要素的なものを含めてすべてが集落の中に、つまり中世の自治的村落の惣村のようなものとして、集落内で話題にし話し合い吟味し処理したはずである。人間界はそこから、集落の外に宗教や国家等を生み出しそびえさせてしまった。そういうわけで、生活世界では宗教的な話題や政治的な話題を避けるという現状のような関係になった。これは、生活世界とその外の宗教や国家との関わり合いに対する、生活世界の独立性を確保しようとする人々の無意識的な意志と言うことができる。なぜならば、頭の中で価値を逆立ちさせてしまった大半の学者や官僚や政治家と違って、普通の生活者は、生活世界にこそ人間界の重力の中心はあり、日々のささいに見えることの連鎖の中に貴重なものがあると遙か太古からの精神的な遺伝のようなものとして受け継いで来ているからである。
(註.)「敗戦で死んだはずの亡霊の復古的な紋切り型の政治概念」が、なぜ今登場しているかについては、近々の別稿「現在というものの姿(像)について」で触れる予定。
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何度(たび)か、生活者住民として (4) (終わり)
4.わたしたちが生活世界の生活者住民として共存するための条件
(ひと言で言えば、頭を冷やし、内省し、自覚し、身の丈の具体的な言葉を語ること。)
学校のクラスの中の関係と違って、人と人とがお互いに関わり合う社会では、さらに外部から国や行政機関や各種団体などの触手も伸びてきて、諸要素が絡み合って錯綜としている。また、ネットのSNSという仮想の拡張ツールによって、わたしたちは従来では考えられなかったような仮想的な近距離感の出会いと話し合いが可能となった。遠く離れたもの同士が仮想の空間によって結びつけられ、互いに知恵を出し合い考えを磨いていくことも可能になった。SNSを含むネット世界には、知識や生活の知恵や芸術などが次々に付け加えられたり更新されたりして絶えず動態化している仮想的な知の集積庫ができていて、誰もがその世界に参入して何かを付加することができる。また、〈検索〉によってその世界からなにものかを引き出すことができる。必要とする情報も意外な情報も同時に引き出されてくる。しかし一方で、ネットのSNSという仮想の拡張ツールは病的とも見なせるような惨状をも引き起こすことができる。SNSを含むネット世界は、人々の人間的な表現に拡張をもたらす良い自由度とともに、悪の自由度ととも言うべき憎悪や悪罵の組織化の自由度も拡張したのである。しかし、それでもわたしたち生活者の日々見渡す社会は、具体的でこまごました小さな身の回りの世界というイメージが中心になっている。
現在の最悪の荒れ果てる状況へと黄昏れていく政治・経済の表舞台では、オタク文化的な感性とネトウヨの排外的な紋切り型の政治言語とが融合していて、当人たちはカビの生えた亡霊の復古イデオロギーという自覚はなく、新しい積もりでいるようだ。(もちろん、この層は単一ではなくいくつかに類別できると思う)そして、まるで卑小な個という存在がモビルスーツに身を包むかのように、ノー天気にも個から一直線に政治や国家に直通して紋切り型の政治・イデオロギー言葉を力強く語る。もしかして、この層は自分たちは新しい存在と勘違いしているのではないか。もちろん、一方で、敗戦後71年がもたらした個の先鋭化の共有は無自覚にもどこかに隠し持っているはずである。しかし、過去へのあっけらかんとした退行やイメージと化したようなイデオロギーという意味では新しい。つまり、この層の基盤とする実体が、消失していく旧世界という空無にあるから、あっけらかんとした退行やイメージと化したようなイデオロギーにならざるを得ないのである。そして、オタク文化に象徴される現在の空気を受け入れている分だけ、現在に心地よく漂流していることになる。ここに類別される方は新しい。しかし、吉本さんが敗戦後の大衆の無意識やそこから導き出される教訓を論理化した、個や家族や国家は本質的には異次元のものだということ(『共同幻想論』)はスルーされている。敗戦後71年の空無化である。そんな特異な彼らがこの特異な政権を外野から支えてもいる。
特に、こういうオタク・ネトウヨ的な、紋切り型のイデオロギーの登場によって、ネットのSNSというツールは、その近距離感の創出と匿名性ゆえに人間の負性をも増幅させることが分かってきた。ネットのSNSという仮想の空間での仮想の罵り合いや殴り合いである。仮想といっても、互いに心的な傷を負ったり、心的な悪の領域の促進ともなり得る。そしてこのことを一般化すれば、その世界に入りこむ者は誰もがそのような負性を引き寄せてしまう可能性を持っていることになる。
わたしたち人間という存在の英知という観点から眺めて、誰もがほんとはそういう惨状を願ってはいないだろうと思う。とするならば、どうしたらそのような惨状を回避できるかということが問題になってくる。しかし、これは例えばケイタイのマナー問題がマスコミで取り上げられたりしたことがあるが、ひとつは使用者の自覚、もうひとつはケイタイというものに関する人々の経験の積み重ねを通して、ケイタイを使用する上でのある倫理のようなものを時間をかけて徐々に形作っていくほかないということがある。両者は関わり合って進行するはずだが、どちらかと言えば、後者の長い時間のスケールの方が主流かもしれない。ネットのSNSの問題も、これと同様の流れをたどるのかもしれないが、SNSにおける個の自覚の問題として考えてみる。さらに、これはSNSに限らずいろんな小社会の現場での人と人との関わり合いも想定して記している。なるようになっていくという面もあるが、それでも日々ジタバタするのが日々を生きる人というものだろうから、まずは不十分ながら、わたしが現在のところ思い付く回避策のための自覚事項を上げてみる。
1.人は、意識的にも無意識的にも日々生活している。そして、人と人とが関わり合いながら生活しているこの人間社会では、まず自分の生活や自分の家族の生活が第一であり、同時に、他人と関わり合う中にそれと同様の柔らかな照り返しが放てるのが望ましいことだと思われる。(もちろん、身近な知り合い、同じ列島に住む知らない人々、遠く離れた外国に生きる人々、と距離感を経るにしたがって困っていてもわたしたちの力ではどうしようもない場合が多い)そして、人がこの社会内でいかに様々の職業や社会的位置にあろうとも、誰にも共通する基底として、ひとりひとりが日々の具体を生きる生活者であるということがある。したがって、ここが同じ生活者としての出発点になる。
2.わたしたち自身の生まれ、育ちに関しても、家族の中で育てられ・育ち・今度は育てるという世代を継ぐ相互扶助が働いているが、この列島に生活する住民として、たくさんの現実的な要請と苦難や喜びの中から育まれてきた相互扶助の精神(互いに、見守り、助け合う、気持)を自覚し、受け継ぎ、大切にすること。
3.知識の世界(政治・経済・宗教・思想・科学など)に入り込んで、考えたり、宗教やイデオロギー(集団的な思想)を信じるのは個の自由だが、生活世界の諸問題を考え論じる時や場では、それらを鞘(さや)に収めて持ち出さないこと。つまり、イデオロギーというモビルスーツを脱ぐこと。さらにやっかいなことには、効率重視や成果中心などのような、この現在の精神的な空気のように存在してわたしたちに浸透しわたしたちの考えや判断をあたかも自然なことであるかのように左右する現代のイデオロギーもある。したがって、生活者住民の利益や幸福を中心の基底として、できるだけ具体に即して考え、具体的な判断を心掛けるようにする。こと。
註.例示
地方議会などでは、例えば教育問題に関して、各政党に属している議員などがイデオロギーに浸食された考えや判断を示すということは十分にあり得ることだが、町内会での話し合いではまずそういうことはあり得ない。ある人が、イデオロギーに浸食された考えや判断を示せば、誰もが場違いな感じを持つはずである。
4.話し合いは、いかに稚拙であろうと、個として、その具体的な熟考としてなすべきであり、ある集団や組織やそれらの考え方を背景にして語らないこと。
5.人は、職場など属している小社会での待遇がどうであろうと、同じ生活世界の住民として平等であり、生活者として他の生活者に出会ったり向き合ったりするとき、各人の年齢や社会的な位置や肩書きなどは当然ながら意味をなさないこと。そして、同じ生活世界の住民として互いに現在まで人々が積み重ねてきた常識的な振る舞いを尊重すること。
以上は、ありふれたイメージに見えるかもしれないが、現在のわたしが描くことのできるイメージである。なにか修正や新たな提案があれば、お互いに知恵を出し合い自由に考えを述べ合えば良いかと思う。
現状は、憲法問題や安保法制問題や中韓との外交問題など町内会レベルの話を超越するような難しい大きな問題が社会に漂い、わたしたちに迫っているが、一応の基本原則としては今のところ上記の条件(自覚事項)でカバーできるのではないかと思う。夏目漱石に倣っていえば、生活者本位ということ。これはまた、何百万人もの死者を生み出した戦争の敗戦体験と明治近代と敗戦後の二度に渡る西欧の大きな波を潜ってきた体験とが、この列島の人々にもたらした唯一未来性のある思想だと思う。
それらの大きな問題に対しては、アメリカの意向に左右されて来た敗戦後の歴史から自衛隊ひとつとっても、現状はねじれるような矛盾を抱えてしまっている。しかし、この現状からいろんなイデオロギーを排して、あくまで生活者として、生活者住民の常識のような感覚から少しでもいい方向性を見出していくほかないだろう。国家運営層や国家に群がる周辺知識層やイデオロギストたちの各国家としての対外的な威信や国内支配としての作為とは関係なく、わたしたちの生活世界からすれば、また中韓の人々の生活世界からすれば、安保法制問題や日中韓の外交問題は単純なことに過ぎない。つまり、隣同士仲良くやればいいのである。
4.わたしたちが生活世界の生活者住民として共存するための条件
(ひと言で言えば、頭を冷やし、内省し、自覚し、身の丈の具体的な言葉を語ること。)
学校のクラスの中の関係と違って、人と人とがお互いに関わり合う社会では、さらに外部から国や行政機関や各種団体などの触手も伸びてきて、諸要素が絡み合って錯綜としている。また、ネットのSNSという仮想の拡張ツールによって、わたしたちは従来では考えられなかったような仮想的な近距離感の出会いと話し合いが可能となった。遠く離れたもの同士が仮想の空間によって結びつけられ、互いに知恵を出し合い考えを磨いていくことも可能になった。SNSを含むネット世界には、知識や生活の知恵や芸術などが次々に付け加えられたり更新されたりして絶えず動態化している仮想的な知の集積庫ができていて、誰もがその世界に参入して何かを付加することができる。また、〈検索〉によってその世界からなにものかを引き出すことができる。必要とする情報も意外な情報も同時に引き出されてくる。しかし一方で、ネットのSNSという仮想の拡張ツールは病的とも見なせるような惨状をも引き起こすことができる。SNSを含むネット世界は、人々の人間的な表現に拡張をもたらす良い自由度とともに、悪の自由度ととも言うべき憎悪や悪罵の組織化の自由度も拡張したのである。しかし、それでもわたしたち生活者の日々見渡す社会は、具体的でこまごました小さな身の回りの世界というイメージが中心になっている。
現在の最悪の荒れ果てる状況へと黄昏れていく政治・経済の表舞台では、オタク文化的な感性とネトウヨの排外的な紋切り型の政治言語とが融合していて、当人たちはカビの生えた亡霊の復古イデオロギーという自覚はなく、新しい積もりでいるようだ。(もちろん、この層は単一ではなくいくつかに類別できると思う)そして、まるで卑小な個という存在がモビルスーツに身を包むかのように、ノー天気にも個から一直線に政治や国家に直通して紋切り型の政治・イデオロギー言葉を力強く語る。もしかして、この層は自分たちは新しい存在と勘違いしているのではないか。もちろん、一方で、敗戦後71年がもたらした個の先鋭化の共有は無自覚にもどこかに隠し持っているはずである。しかし、過去へのあっけらかんとした退行やイメージと化したようなイデオロギーという意味では新しい。つまり、この層の基盤とする実体が、消失していく旧世界という空無にあるから、あっけらかんとした退行やイメージと化したようなイデオロギーにならざるを得ないのである。そして、オタク文化に象徴される現在の空気を受け入れている分だけ、現在に心地よく漂流していることになる。ここに類別される方は新しい。しかし、吉本さんが敗戦後の大衆の無意識やそこから導き出される教訓を論理化した、個や家族や国家は本質的には異次元のものだということ(『共同幻想論』)はスルーされている。敗戦後71年の空無化である。そんな特異な彼らがこの特異な政権を外野から支えてもいる。
特に、こういうオタク・ネトウヨ的な、紋切り型のイデオロギーの登場によって、ネットのSNSというツールは、その近距離感の創出と匿名性ゆえに人間の負性をも増幅させることが分かってきた。ネットのSNSという仮想の空間での仮想の罵り合いや殴り合いである。仮想といっても、互いに心的な傷を負ったり、心的な悪の領域の促進ともなり得る。そしてこのことを一般化すれば、その世界に入りこむ者は誰もがそのような負性を引き寄せてしまう可能性を持っていることになる。
わたしたち人間という存在の英知という観点から眺めて、誰もがほんとはそういう惨状を願ってはいないだろうと思う。とするならば、どうしたらそのような惨状を回避できるかということが問題になってくる。しかし、これは例えばケイタイのマナー問題がマスコミで取り上げられたりしたことがあるが、ひとつは使用者の自覚、もうひとつはケイタイというものに関する人々の経験の積み重ねを通して、ケイタイを使用する上でのある倫理のようなものを時間をかけて徐々に形作っていくほかないということがある。両者は関わり合って進行するはずだが、どちらかと言えば、後者の長い時間のスケールの方が主流かもしれない。ネットのSNSの問題も、これと同様の流れをたどるのかもしれないが、SNSにおける個の自覚の問題として考えてみる。さらに、これはSNSに限らずいろんな小社会の現場での人と人との関わり合いも想定して記している。なるようになっていくという面もあるが、それでも日々ジタバタするのが日々を生きる人というものだろうから、まずは不十分ながら、わたしが現在のところ思い付く回避策のための自覚事項を上げてみる。
1.人は、意識的にも無意識的にも日々生活している。そして、人と人とが関わり合いながら生活しているこの人間社会では、まず自分の生活や自分の家族の生活が第一であり、同時に、他人と関わり合う中にそれと同様の柔らかな照り返しが放てるのが望ましいことだと思われる。(もちろん、身近な知り合い、同じ列島に住む知らない人々、遠く離れた外国に生きる人々、と距離感を経るにしたがって困っていてもわたしたちの力ではどうしようもない場合が多い)そして、人がこの社会内でいかに様々の職業や社会的位置にあろうとも、誰にも共通する基底として、ひとりひとりが日々の具体を生きる生活者であるということがある。したがって、ここが同じ生活者としての出発点になる。
2.わたしたち自身の生まれ、育ちに関しても、家族の中で育てられ・育ち・今度は育てるという世代を継ぐ相互扶助が働いているが、この列島に生活する住民として、たくさんの現実的な要請と苦難や喜びの中から育まれてきた相互扶助の精神(互いに、見守り、助け合う、気持)を自覚し、受け継ぎ、大切にすること。
3.知識の世界(政治・経済・宗教・思想・科学など)に入り込んで、考えたり、宗教やイデオロギー(集団的な思想)を信じるのは個の自由だが、生活世界の諸問題を考え論じる時や場では、それらを鞘(さや)に収めて持ち出さないこと。つまり、イデオロギーというモビルスーツを脱ぐこと。さらにやっかいなことには、効率重視や成果中心などのような、この現在の精神的な空気のように存在してわたしたちに浸透しわたしたちの考えや判断をあたかも自然なことであるかのように左右する現代のイデオロギーもある。したがって、生活者住民の利益や幸福を中心の基底として、できるだけ具体に即して考え、具体的な判断を心掛けるようにする。こと。
註.例示
地方議会などでは、例えば教育問題に関して、各政党に属している議員などがイデオロギーに浸食された考えや判断を示すということは十分にあり得ることだが、町内会での話し合いではまずそういうことはあり得ない。ある人が、イデオロギーに浸食された考えや判断を示せば、誰もが場違いな感じを持つはずである。
4.話し合いは、いかに稚拙であろうと、個として、その具体的な熟考としてなすべきであり、ある集団や組織やそれらの考え方を背景にして語らないこと。
5.人は、職場など属している小社会での待遇がどうであろうと、同じ生活世界の住民として平等であり、生活者として他の生活者に出会ったり向き合ったりするとき、各人の年齢や社会的な位置や肩書きなどは当然ながら意味をなさないこと。そして、同じ生活世界の住民として互いに現在まで人々が積み重ねてきた常識的な振る舞いを尊重すること。
以上は、ありふれたイメージに見えるかもしれないが、現在のわたしが描くことのできるイメージである。なにか修正や新たな提案があれば、お互いに知恵を出し合い自由に考えを述べ合えば良いかと思う。
現状は、憲法問題や安保法制問題や中韓との外交問題など町内会レベルの話を超越するような難しい大きな問題が社会に漂い、わたしたちに迫っているが、一応の基本原則としては今のところ上記の条件(自覚事項)でカバーできるのではないかと思う。夏目漱石に倣っていえば、生活者本位ということ。これはまた、何百万人もの死者を生み出した戦争の敗戦体験と明治近代と敗戦後の二度に渡る西欧の大きな波を潜ってきた体験とが、この列島の人々にもたらした唯一未来性のある思想だと思う。
それらの大きな問題に対しては、アメリカの意向に左右されて来た敗戦後の歴史から自衛隊ひとつとっても、現状はねじれるような矛盾を抱えてしまっている。しかし、この現状からいろんなイデオロギーを排して、あくまで生活者として、生活者住民の常識のような感覚から少しでもいい方向性を見出していくほかないだろう。国家運営層や国家に群がる周辺知識層やイデオロギストたちの各国家としての対外的な威信や国内支配としての作為とは関係なく、わたしたちの生活世界からすれば、また中韓の人々の生活世界からすれば、安保法制問題や日中韓の外交問題は単純なことに過ぎない。つまり、隣同士仲良くやればいいのである。
3.生活世界はなぜ政治的な話題を避けるか
明治以降の近代において、都市と農村は対立的なものと感じられ意識され、地方から多数の人々が都市に押し寄せた。経済的に余裕のある層からは知識層や芸術家が登場した。彼らの根底に共通しているのは、学校で出会った輸入された欧米の考え方、その影響下のわが国の文学や哲学などを通して、農村の因習や関係を個の自由を縛るもの、古くさい否定すべきものと見なした点である。わたしは、かつて詩人伊東静雄の大正末から昭和にかけての歩みをいくらか調べたどったことがある。わたしは、そのことを想起しながらこれらの言葉を記している。一方、普通の人々が地方の農村から町や都市に押し寄せたのは、柳田国男に拠れば次男三男などは一般に農村に十分な居場所がなく、より良い生活を求めてのことであった。ここにも都市の優位性が射していた。
社会総体として未だ農村社会のウェートが大きい時代で、農政学を学んだ柳田国男は、一人、そのような農村の因習や年中行事や信仰に批評的な眼差しを加えつつ、農村の現在的に当面する社会的な問題と精神史の古層とを深く追究した人だった。それは、新たに胎動する工業資本主義とも言える近代社会の裏面史の、それ以前は主流の産業だった世界の追究に当たっている。このように、近代社会は、特に都市においてはそうだが、今までの農村中心社会に蓄積されてきた精神史を裏面として沈めながら、一回目の大規模な欧米化の波を受けた時代であった。
現在のこの列島社会は、敗戦後の第二の欧米化の波をかぶり、どこも似たような風景を持つ、割と均質な社会になってしまった。それでも今なお、近代に都市と農村とを対立する関係と見なした残滓のようなものとして、大都市の方が文化や娯楽ひとつとっても地方都市より優位性を持ち、特に若者をひきつけるものと見なされているのはまちがいない。
ところで、敗戦後の第二の欧米化の波をかぶることによって、内発的なものとしてではなく、外来性として列島社会に民主主義の諸制度や諸概念が入ってきた。戦中世代ならそのことに複雑な思いがあったはずであるが、敗戦以後の世代は特に、それらに慣れ、自由や平等という考え方にも馴染んできた。一方、敗戦後70年の現在では、若い層にさえ「ネトウヨ」と呼ばれるような、敗戦で死んだはずの亡霊の復古的な紋切り型の政治概念を唱える者が出て来た。
一体どうなっているのだろうか。何が問題なのであろうか。(註.)わたしは、今なお右や左、リベラルなどで呼ばれるもの認めないが、それらは社会の、あるいは人間の表層部分に今なお観念として残っていることは確かである。ほんとうは、太古よりこの列島の住民たちが受け継いで来た良性の精神の遺伝子とも言うべき生活感性や意識が、割と無意識的なものとして、その表層下にある。わたしたちは、そこにこそ注目すべきだと思う。
今から四五十年前には、若者がエレキギターを弾いたりするのは周りから不良として白い目で見られがちだった。また、マルクスとか革命などの言葉も仲間内以外では口に出すのがはばかられるような時代であった。そこから見渡せば、ずいぶんと個の自由度が増大した社会になってきた。ところで、欧米や他のアジア諸国のことは知らないが、この列島の生活世界では、例えば家族や職場や仲間の集まりなどで、宗教的な話題や政治的な話題が避けられがちである。これはどこから来るのか。おそらく、それらは自分たちの世界をかく乱させる異物と感じられているからだろう。生活世界で宗教的な話題や政治的な話題を受け入れたなら、互いに対立的になったりする可能性を導き入れることになるし、お互いの関係が壊れることにもつながるかもしれない。したがって、そうした話題を避けるのは、トラブルとなる要素を避けようとする生活世界の知恵なのかもしれない。つまり、生活世界からの防衛反応ではなかろうか。付け加えれば、聖書にも、イエスは故郷では容れられなかった、つまり人々は、生活世界とは異質なものをイエスの言葉やふんいきに嗅ぎ取って、よそ者としてのイエスは受け入れられなかったとある。当時でさえ、宗教や政治はもはや生活世界から外部に抜け出ていて、そことは異質な外部的なものになっていたのだ。
同じ政治的な考えやイデオロギーを持つ仲間内なら、「中国が攻めてくるかもしれない」とか「日中関係が緊迫化している」などと発言しても、ウケるだろう。しかし、生活世界でのフツーの仲間内や会議などでは、そのようなものは排除去るべき異物に当たるだろう。しかし、確固とした宗教や国家などがなかった太古には、それらの要素的なものを含めてすべてが集落の中に、つまり中世の自治的村落の惣村のようなものとして、集落内で話題にし話し合い吟味し処理したはずである。人間界はそこから、集落の外に宗教や国家等を生み出しそびえさせてしまった。そういうわけで、生活世界では宗教的な話題や政治的な話題を避けるという現状のような関係になった。これは、生活世界とその外の宗教や国家との関わり合いに対する、生活世界の独立性を確保しようとする人々の無意識的な意志と言うことができる。なぜならば、頭の中で価値を逆立ちさせてしまった大半の学者や官僚や政治家と違って、普通の生活者は、生活世界にこそ人間界の重力の中心はあり、日々のささいに見えることの連鎖の中に貴重なものがあると遙か太古からの精神的な遺伝のようなものとして受け継いで来ているからである。
(註.)「敗戦で死んだはずの亡霊の復古的な紋切り型の政治概念」が、なぜ今登場しているかについては、近々の別稿「現在というものの姿(像)について」で触れる予定。
2.生活者住民の集団の原型として学校のクラスのことから考える
生活世界の住民のひとりとして、この社会におけるわたしの位置や考えを示すために、わたしの体験的なことを取り出してみる。
わたしは学校で、中学校でのことは記憶がはっきりしないが、小学校と高校ではそれぞれ一回ずつはクラスの委員長の仕事をやったことがある。これはわたしの内心から言えば、自発的なものではなく、したがって、晴れがましさというものも余りなく、他人の推薦などで仕方なくやった仕事というのが正しい。いやいやでも、その任に就いたら緊張してそれなりの仕事はしていたと思う。
高校の時は、体育祭でクラスから出すマラソンの選手がいなかったか不足したかは忘れたが、誰もなり手がいなかった。速くはないけど短距離向きでしかないわたしが、クラスの委員長をしていたから仕方なくマラソンに出る羽目になった。上り下りのある嫌なコースで、ゴール近くまでなんとかたどりついて倒れ気を失ってしまった。保健室のベッドで、たぶん目をつぶっていて光が右上へ上って行った。ああ、上へ行っちゃいけないなと感じた覚えがある。臨死体験に類するようなものだったのだろうか、よくわからない。目覚めたら、足がつっていて痛かった。クラスの者を恨んだという覚えはない。
大学時代、学生寮にいた時には寮長をやったことがある。むろん、これも自発的なものではない。どちらかと言えば、わたしは引っ込み思案の方で、それを意識して高校の時はクラスや生徒全体の集会などの話し合いの席では必ず一回は発言しようということを自分に課していたくらいである。わたしは、感情や気分や意識としては集団内から離反してひとりのんびりしたい願望を持ちつつも、現実としてはこのように集団内の多数が位置するところに身を置き、そこで割と自然に振る舞っていたと思う。
ところで、ほとんど誰もが通過する学校での人間の関係の構造は、人間社会での原型のように見なせると思う。今、高校での文化祭への取り組みの場面で考えてみる。
まず、町内会の場合は、班長をやっていれば日々の生活の合間にたまに話し合いに出向いたり、ある催し物の係りとして活動することになる。一方、高校のクラスの場合は、別に家族を場とする生活があり、本人たちが試験などを通して意志して選択し入学した結果として学校生活があるわけだが、学校は大人の職場での仕事のように一日の大半を過ごす場になっている。そうして、そのクラスや学校という場で、行事や問題が起これば、話し合いや諸活動を行うことになる。
高校でのクラスは、学校の方から見れば、ある教育の理念の下カリキュラムに基づき日々時間割と規律によって構成されている世界である。仕事の職場の構造と似ている。一方、子どもたちの方から見れば、クラスには現実的にはひとり一人が存在するわけだが、同時に知り合いや友達関係など様々な小グループの関係も存在している。現状では、学校のクラスという場を中心に子どもたちの学校生活はある。ここで、クラスで文化祭に向けた取り組みを開始する時を考えてみる。このときクラスの者は、文化祭に向けて進んで参加する者、内心は少し嫌々でもしょうがないかと参加する者、最初自分の役割や仕事を受け入れたように見えても集まりや仕事を時々さぼる者、まったく参加しようとしない者、というふうに四層に大まかには分類できる。一般にはわが国では、第二層が大多数の普通と見なせるもので、第一層と第三層と第四層は少数である。
第四層の者として表面に登場して来るのはごくわずかであり、彼らは係りや共同作業を避けたりサボったりして協力の意志を示さない。昔の村落共同体であれば、そういう人々は制裁の対象になったのかもしれない。町内会であれば、地区清掃などの共同作業への欠席の場合は代わりにお金をいくらか徴収することになっている所もある。しかし、若いわたしの当時の内心でつぶやく口癖は「くだらない」という言葉だったこともあり、かれらに幾分心ひかれる面もあり、非難する気にはなれなかった。一方で、わたしは大多数の第二層の位置を取り続けてきたから、係りなどになって彼らに関わる時は、準備作業などへの彼らの非協力には、困った者だなという思いも抱いた。それでも、わたしの経験ではこのような集団の構成の中で、険悪な状況になったという経験はない。つまり、なんとか人はやりくりして動き、物事は進んで行く。
こういう風に、クラスや町内会や職場などの小社会でなんとか険悪さや全面対立に陥ることなくやっていけたら集団としてはいい運営、良い関係と言えるだろう。そして学校のクラス内での人と人との関わり合う有り様の考察は、生活世界の集団の関わり合いの原型とみなすことができると思う。ただし、社会の総体としての集団性を考える時は、地方や国家の行政的な関わりの結合手が伸びてきたり、社会内や地方や国家の行政の方に結合手が伸びていく宗教や政治や経済や労働など無数の団体があって、これらの錯綜が社会内の生活者住民と地方や国家の行政という単純な関わりを複雑化させている。また、学校の場合も、管理職や教員や事務などの経営や運営主体の側から見れば、子どもの世界もまたちがったものと映る。わたしが原型として考えようとしているのは、社会であればわたしたち大多数の普通の生活者を、学校であればそこで生活する子どもたちを、中心に置いてその自主的な有り様を考えようとしている。
わたしたち大多数の生活者がこの社会の真の主人公のはずであるが、普通は主に沈黙の状態にあり、社会的に登場するのは、民意や家計消費の実情などマスコミの世論調査や政府・行政の統計調査を通して、抽象化されて登場する。わたしたち生活者住民は、地方や国家の行政の方から眺めると社会内存在として括られるのかもしれないが、個別的に、具体的に、その捉え方とは無縁なように家族(単身者も含めて)として存在し、日々生活している。
わたしたち普通の生活者の中には、ある宗教や政治の組織に関わっている者もいるだろうし、あるイデオロギー(集団思想)を信奉している人々もいるだろう。もちろん、現在の主流の考え方である「民主主義」もひとつの現代的なイデオロギーであり、わたしたちは無意識的にもそれを前提としているようなところがある。わたしも半分はそれを受け入れているのだろうと思う。半分はというのは、次のような事情による。普通の大多数の生活者は、日々の生活に埋没するように生きていて、「民主主義」は・・・・・、と振りかざすようなことはなく、遙か太古から現在までにこの列島の住民たちが主流として積み重ねてきた、お互いを尊重したり、お互いを気掛けるというような概念化以前のような生活感性や人と人との関係に対する判断力のようなものを無意識的にも受け継いで来ていて、そこから日々自然な形で表現しているからであり、わたしもまた半分はそこに自分の身を浸しているからである。
1.のんびり寝っ転がるように生きていくのが理想だね
若い頃は遠いところに何か価値あるものがありそうに思ったことがある、青年から中年にかけては日々の生活に追われるように慌ただしく日々が過ぎていく、老年に差しかかると普通の日々の生活に自足することがとても貴重に見えてくる。人の生涯の描く割と一般的な風景と言えるかもしれない。
わたしが普通の生活者の世界に自足せずに、なぜ知(知識)の世界に入り込んでいるのかについては、ひと言で言うことができる。誰もがふと立ち止まって思い巡らせることがあると思われること、つまり、ふだんの生活する世界を抜け出るように、なぜ自分はこうであり、他人はそうであり、世界はああなっているのか、若い頃、そういうふしぎさや不可解さに引かれるように入り込んでいったように思う。こうして、その問いに対しては、自分や他人やこの世界の有り様を捉え尽くしたい欲求があるからという答えになりそうだ。そしてそのことが同時に、普通の生活者としてほんとうに自足すること、いい呼吸ができることに究極的にはつながるのではないかというイメージを今では抱いている。なぜならば、人間社会の始まりには確固とした宗教も政治も国家もない集落規模の自足した生活世界が想定できるとしても、わたしたち人間は、そこから生活世界だけでは完結しない宗教や政治や芸術や自然科学などの世界をその外部に生み出してきたし、しかも生活世界はそれらと何らかの関わり合いを持っていて、究極的には生活世界だけでは解消し得ない、解決し得ないものとこの世界はなってしまっているからである。
もちろん、この知の世界や文学表現などへの入り込みは、始まりは意識的なものではなく偶然や自然なものであった。興味深いこともあり、感動もあり、理不尽さも不可解さもあった。また、言葉の森に踏み迷って自他共に何を表現しようとしているのかわけのわからないということもあった。ちょうどわたしたちが生活世界で出会うことと同型のものがそこにもあった。
世の中には、たまには優れた少数の学者や思想家に書物を通して出合うこともあるけれども、知の世界に行きっぱなしになる人々も多い。つまり外側から感じ取る主流の一般的な像として言えば、生活世界から抜け出してなぜそういうことをしているのかというモチーフが不在で、パズルを仕上げていくような単なる知的な興味、といっても複雑で多岐にわたる世界だろうが、その興味に溺れたり、あるいはいろんな役職に就いて知や政治の派閥に埋もれることを価値あることだと見なしてしまう者もいるようだ。そういう人々は、知の現在まで築き上げられた来た慣習的な地層と生活者としての地層が内面で深く関わり合うことなくただ貼り合わせになっているのだろう。しかし、わたしは知の世界に入り込んでからのモチーフもその世界について抱くイメージもイメージの流線も、彼らとは違っている。
わたしの場合は、吉本さんの〈大衆像〉というおくりものからひとつ、わたし自身の人間や人間世界の起源からの捉え返しということからもうひとつ、この二つから知の世界に行きっぱなしということにはなり得ない。知の世界からの還りがけのイメージを持っている。つまり、この世界に、生まれ、育ち、成人し、老いて死んでいくという人の生涯は、始まりと終わりの辺りを眺めただけでも、人は他のあらゆる生き物と同様にこの生活世界の土に立ちそこに還っていくということが、そこが大事な重力の中心だということが、わかると思う。人はいかなる考えやイメージをも持ちうる存在だとしても、そのことは今のわたしには自明のことに思われる。
現在までのあらゆるものには、当然始まりというものがあり、その始まりということから照らせば現在までに築かれてきたあらゆるものは絶対性ではあり得ない。とは言っても、例えば男女の関係の破綻があったとして、その関係の始まり以前に簡単に戻ったり、初めからやり直すということもできない。降り積もらせた日々の関係を再び日々の時間の積み重なりの中で始まりに向かって少しずつ消してゆくほかない。同様に、この人間社会の遙か始まりから現在まで築かれた諸々(もろもろ)も、それを理想のイメージに向けて着地させて行くには未来に向けた気の遠くなるような道筋があるはずだ。
しかし、わたしたちは、(遙かな)未来のために生きているのではない。現在に理想のあり方を追い求める一方で、日々の生活をできるだけ気ままに、ゆったりと過ごすというのが、わたしの思い描く生存の有り様である。両者は、生きるという深みで密接につながっているが、後者の日々の生活こそが重力の中心のかかっている世界である。このようなことは、家族や職場など生活世界の中でも割と無意識的に行われている人間的な行動だと思う。
以上のことを、簡潔に集約すれば、わたしにとっては、いろいろ面倒な理屈の世界を潜り抜けてはいても、ほんとはのんびり寝っ転がるように生きていくのが生存の理想だねというイメージになる。そして、両者はわたしの中で密接につながっている。
『北村想のネオ・ポピュリズム』2016年7月16日 (土)
「涙、壊れているけれど・23」―宣戦布告の美奈子さん
http://6659893.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-8d36.html
劇作家の北村想が、斎藤美奈子に触れている。わたしは、以前、新聞に文芸時評を書いているのを何度か読んだくらいで、斎藤美奈子の本自体は読んだことがない。ただ、北村想の言葉から彼女の考え方の軸は伝わってくる。
斎藤美奈子の『学校が教えないほんとうの政治の話』は読んでないけど、この文章から推測して、わたしとは判断が異なる。知識層はふだんのくり返す思考の習性から一般に対象を思想やイデオロギーで分割・連結・構成して捉えがちだ。現代の流行である民主主義(わたしも半分はそれを受け入れているけれど)から繰り出される諸概念も同様のものだ。ネトウヨ諸君もサヨクと自称する諸君も同様だろう。普通、生活者はそういうことはしない。
私の中には、ウヨクもサヨクもリベラルもない。知の世界を考えたり巡ったりすることはあるが、その根本にあるモチーフは、誰もがある時ふと人やこの世界のふしぎさに思い巡らせる瞬間があるように、人間や人間世界の本源的な有り様と主流を理解したいという欲求に過ぎない。そして、基本はこの人間界の重力の中心である生活世界に属するひとりの生活者として考え、判定し、行動するということにある。
生活者は、知識層と違って現状では自分の生活に日々押し寄せてくる影響として政治や経済を捉えるだろう。ふだんは、政治や経済のことなどを一般性として考えることはしない。そして、自分のあるいは家族の生活が第一であり、政治は二義的なものに過ぎない。ただ、現在の政治の状況は、私たちの生活世界を引っかき回すような今までにない、特異な危機的な状況で政治が私たちの生活世界に寄せて来ているのは確かだ。
現在では「知識人と大衆」の間の垣根が崩れて、誰もが政治知識をかじり遠い外国のことを語りということができるようになり、それにつれてイデオロギーがかった人々が増加してきているように思う。おそらくネトウヨ諸君の登場もこの線上からの出現であろう。ネットやSNSが、そうした知の拡大や生活意識の拡散に貢献している。これらは不可避の動向だと思われるが、生活世界の住人として何が第一かという従来では親から子へと自然に沈黙の内に受け継がれていたような生活の倫理のようなものが拡散してしまっているように見える。
ネットやSNSなど新たな場の創出により、数百年前のかつての隣村との対立のような仮想的な対立が花盛りである。そういう仮想的な場が不在の時代にはこういう対立は不可能であった。もちろん冷静な人々も見かける。私たちは生活者として、「私たちは何者なのか」という問いとともに、今まで以上に人と人との関わり合う倫理のようなものの再構築を誰もが促されているように思う。
原発や基地問題など、異常なことにわが国だけで解決できないという大きな問題もあるが、基本としてはこの列島に生活する住民として、町内会で話すような生活具体性に即して話し合いを形成できたらいいなと思う。同じ住民として無用な対立を避けたいと思うからこそ、生活者という基本軸にこだわり続けている。生活世界を抜け出した、イデオロギストたちや政権周辺に意識的無意識的に取り入ろうとする人々は、この生活者という軸からの逸脱に当たる。生活者として町内会で話すような生活具体性に即して話し合いを形成するには、それらの鎧を脱いでもらって加わらなくてはならないと思う。
そして、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治)に書いてある、私たち普通の生活者が知らない、敗戦後からのこの国の絶望的な状況、つまり、アメリカ帰りの官僚層や政治家や政治・経済の学者たちが、アメリカを忖度しながらそれをおくびにも出さずにスマートな振りしてこの国の政治を牛耳る恥ずかしい状況から、もうそろそろ抜け出して晴れ上がった空のような私たち大多数の普通の生活者のための政治を実現したいものだと思う。
(ツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)
[短歌味体 Ⅲ] 二重奏シリーズ・続
1034
何にも言葉がないなあ
(日差し、波
のふるふる揺れているのが見える)
1035
それをわたしにくれるんだ
(丘陵(おか)に霧
立ちしっとり肌潤う)
[短歌味体 Ⅲ] 何してるのシリーズ・続
950
「なんばしょっと」と言われたら
耳は自然に
固有の丘陵地(おか)を下っている
951
「何してるの」と声聞こえると
自然に
こちらからもクモの糸が伸びていく