大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

東日本大震災3年 海を取り戻す 相馬の漁師・松本浩一さん59歳

2014-03-11 17:26:45 | 原子力関係
東京新聞
2014年3月11日 朝刊



やっぱり海はいいな。開放感があっぺし。家にいると、何していいんか。
 今日かかったのは、キアンコウ、ノドグロ、ヒイカ、アカガレイ。この鎖の先の底引き網を上げてさ、いっぱいだと喜ぶよな。上げてみないと分がんないから、宝くじみてえだ。
 「常磐もの」でも相馬(福島県・相馬原釜漁港)で揚がる魚は特にうまいよ。どご行っても俺の魚よりうめえの、食ったことないな。松葉ガニの季節は観光バスがたくさん来たもんだ。
 中学を卒業してすぐおやじの船に乗ったから、人生の半分以上が海の上だ。俺で三代目。きつくても、夜明けに水面からぽっと日が昇ったりすっと、一日楽しい。漁師の特権だべさ。
 手? 漁師って感じじゃないな。原発事故からの三年で筋肉がだいぶ落ちてしまった。放射能汚染で、週一度の試験操業でしか船を出せなぐなったから。
 大震災の津波では、自宅が目の前で流されて死ぬ思いした。その上、原発事故だ。これはあきらめがつかないよ。天災ではないんだからな。
 汚染された海は人間の力ではどうにもなんねえ。自然の浄化力に頼るしかないのに、原発は汚染水漏れを繰り返してるだろ。あきれる。いくら海の懐が深くても限界あっぺし。若いころ、福島第二原発を建てる話し合いに出た。東電は「安全」「絶対大丈夫」って。事故でどうなるかなんて説明、何もねえ。甘かった。
 相馬には若い漁師も多い。息子もそう。臨時雇いの仕事と掛け持ちしていづかは本格操業って。海を取り戻して、相馬の魚の味を孫にも伝えたい。俺の残りの人生、そのためにあるんだ。
     ◇
 死者・行方不明者1万8517人を出した東日本大震災から、11日で3年を迎えた。仮設住宅などで暮らす避難者は26万7419人に上り、人々の奪われた暮らしはいまだ戻ってこない。
 公営復興住宅の建設は遅れ、東京電力福島第一原発事故は収束にはほど遠い。年月がたつほどに、家や故郷をなくした被災者に絶望が広がる。
 震災直後、計画停電や節電で東京の街は暗くなった。地方の痛みの上に、首都の「輝き」が成り立っている構図は今も変わりはない。あの日から3度目の3・11。「絆」という言葉は、今こそ胸に刻みたい。 (柏崎智子)

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