大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

Ahmed Basiony

2012-12-24 14:00:00 | 絵画
ベネチアビエンナーレ:アハメド・バショーニー(Ahmed Basiony)氏の”カイロでの抗議を撮った映像作品”はアートなのか?より転載

今月始まった国際美術展ベネチアビエンナーレには、例年よりも多くのアラブ人アーティストが参加しているそうです。国別パビリオンは、初参加のサウジアラビア、今回2回目の参加となるアラブ首長国連邦、30年ぶりの参加となるイラク、シリア、エジプトの5つの国が参加しています。今回はこれら国別の展示とともに、”The future of a Promise"という汎アラブ展も開催されています。

 アラブのアーティストが作品を展示するところは、国別パビリオンと汎アラブ展の二択になるわけですが、伝えるところによると、多くのアーティストが汎アラブ展を展示場所として選んでいるそうです。「A spring in their step」と題された2011年6月3日付けのFinancial Timesは、このことについて、”闘争によって国境が絶えず変化するような国にとって、ビエンナーレの国別パビリオンシステムは問題だ。・・・(そのようなシステムによるビエンナーレの本質は、)アーティストのビジョンから政治的束縛という視点を奪い去ってしまう。”と書いています。
 規格の決まった小さい器に無理矢理作品を詰め込むような展覧会は、アーティストの自由な表現を奪ってしまうでしょう。国別パビリオンシステムは、今後議論され改善されるべきだと思います。


昨年末からの中東諸国の動乱が反映されているのか、今回のアラブアーティストの作品には、政治色が強いものが多いそうです。エジプトパビリオンに展示されているアハメド・バショーニー(Ahmed Basiony)氏の作品は、その中でもとりわけアートというにはあまりにインフォーマルな存在だと、Financial Timesは書いています。

 バショーニー氏は、今年1月のエジプト革命の際、タハリール広場で映像を記録中に射殺され亡くなったそうです。今回“30 Days of Running the Place” と題する作品と共に出品されている、カイロでの抗議を撮った映像作品は、バショーニー氏が亡くなる3日前に撮影したものなのだそうです。それは、彼がまさに命をかけて残した作品ですが、伝えられているところによると、まさに抗議の様子を撮った映像そのものであって、アートというにはあまりに直接的なアプローチのようにも思います。 前回このブログに書いたNewsweekの記者のコメントを思い出します。”昔の巨匠たちの傑作はもっと間接的な形で世界に光を当てていた。・・・いま現代アートに求められるのは、ティントレットの傑作のように、見る人の固定観念を揺さぶること。それは最も深いレベルで、芸術が政治的な役割を果たす方法でもある。”

 バショーニー氏の作品についてFinancial Timesの記者はこう続けています。”その(カイロでの抗議を撮った)映像に映し出される、平和を求める情熱的な人々の表情を見ていると、20世紀アメリカの美術家、ロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg)の“in the gap between art and life”という言葉を思い出す。”ラウシェンバーグは、自身の創造の目的について、アートと生活の間の橋渡しをすることだと言っています。

 バショーニー氏自身のまさに身近に起った革命は、彼の生活の一部であり、その作品は彼にとってはごく自然な表現なのでしょう。当然のことながら、全く違う人生を生きている私も含めただれかにとっては、その出来事は強烈な非日常です。だから、その事実ばかりが作品から乖離して見えてしまいます。けれども彼は、そんな人による捉え方のギャップまでもアートとして提示したかったのではないかと思います。

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