虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

日本の古代史と神々(その6)

2007-12-04 04:15:38 | 宗教
最近、亡くなった居候君(猫)の4代目の1匹がなついて家猫化しましたw。4代目の子猫は5匹いたのですが、1匹はどうも死んだようです。その4匹のうち1匹がようやくなついて、住み着くようになりました。他の3匹+その他1匹はどうもダメです。食べ物だけ貰いにきますが、ちっともなつきません。

日本の古代史というのは、私たち日本人のルーツを考えるうえで、なかなか興味深い課題です。
現在分かっている範囲では、大陸と地続きだった頃、旧石器を持った人たちがこの日本に住んでいたことは確からしいですね。

次いで、縄文土器をつくった人々、そして弥生土器をつくった人々と続きます。頭蓋骨の形状からみて、縄文の人々と弥生の人々は少々異なり、縄文の人々はどちらかといえば南方系、弥生の人々が北方系といわれています。

私が思うに、縄文時代の人々は、単純に南方から来た人々なのではなく、旧石器時代から住み着いていた人々、その後、南の島伝いに辿りついた人々、朝鮮半島からきた人々、中国大陸から来た人々などが交じり合って一つの<国内交流圏>を作っていたのだろうと思います。
どちらかといえば、南方からきた人々が多かったのだろうと思います。

縄文時代といえども、かなり多重構造的になっていただろうと思うのです。
当然、弥生時代でも多重構造は変わりません。
どうも、日本の歴史を研究している学者の方々は、縄文―弥生を二面的に捉えすぎるのではないかと思います。

古事記や日本書紀を読んでいると、そんな単純な捉え方では解決されない問題が内包されています。

例えば、スサノウは天神(あまつかみ)なのに、何故、国神(くにつかみ)になってしまったのか?
神話では高天原を追放された故に、国神の系列の祖先になりますが、無論、神話はある意味、作り話です。
私は、ある事実があったが故に、そのような神話ができたと思うのです。

スサノウの神話はオオアナムチ(大己貴)の葦原中国(あしはらのなかつくに)統合(統一)の話に進んでいきます。

一方、タカムスヒ―アマテラスは、統一された国を譲れと言い出しますねw。
しかし、譲った国に降臨せず、何故か九州の日向(ひゅうが)にニニギ(皇孫)を降臨させるのですw。

はて? どうしても<九州の日向(ひゅうが)>から出発したいのです。
ヒコホホデミ(神武天皇)も日向から大和へ東征します。
多分、九州の日向から大和への東征は事実としてあったのだろうと思います。

ここで、スサノウ―オオアナムチ×タカムスヒ―アマテラスの話は、ヒコホホデミ×ニギハヤヒ(―ナガスネ)の話と二重構造になっています。
何故なら、スサノウ、アマテラスは共に天神、ヒコホホデミ、ニギハヤヒも共に天孫だからです。

弥生の世界は、縄文系の人々と弥生系の人々が交じり合いながら、最終的に弥生系の一部の部族が大和の統一=それは侵略ですが=したのではないかと思います。

無論、その前に弥生系の部族が倭(やまと)の統一・・・連合的な統一をしていた可能性がありあります。

神話の二重性は、避けがたい二重の真実の故に生じたと考えるのは可笑しいでしょうか?

つまり、弥生系の統一は二重に、というより、一方は連合的に(弥生系+縄文系)、もう片方は専制的に統一(遅れてきた弥生系のよる)したのではないかと思うのです。

何故そう思うのかといえば、国譲りの前のスサノウ―オオアナムチ・・・オオクニヌシも含めて、殺伐としたイメージはないのですが、タカムスヒ―アマテラスの世界は殺伐としているからです。
タカムスヒ―アマテラスの系統は後からきた人々だったのでしょう。その人々は絶対多数ではなく、少数だったことは明らかです。

この辺の事情は次回以降で、少しずつ明らかにしていきたいと思います。

では、次回まで。


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1 コメント

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Unknown (まさ)
2009-06-23 23:42:41
天から聞く声でそなたに出会った。ありがとう。
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