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沈黙の血痕:袴田事件・第2次再審請求/上 死刑囚忘れられない 「無罪の心証」告白、元裁判官・熊本さん

2014年03月27日 | いろいろ

毎日新聞 2013年12月03日 地方版

熊本典道さん=2013年11月、荒木涼子撮影
熊本典道さん=2013年11月、荒木涼子撮影

 ◇大粒の涙頬伝い

 清水市(現静岡市清水区)で1966年、みそ製造会社の専務一家4人が殺害された「袴田事件」の第2次 再審請求は2日、最終意見書の提出で審理をほぼ終えた。最大の物証とされる「5点の衣類」の血痕のDNA型鑑定をはじめ、弁護団と検察側の主張は鋭く対 立。再審の重い扉を前にして、真相に近づくには半世紀近い時間の壁も立ちはだかっている。【荒木涼子】

 「再審請求にかかる時間が長すぎる」。静岡地裁で死刑の判決文を書いた元裁判官、熊本典道(のりみち)さん(76)は、引退生活を送る福岡市内で取材に応じ、袴田巌死刑囚(77)らの高齢化が進む中で、いらだちを募らせた。

 合議の秘密を破った元裁判官だった。第1次再審請求中の2007年に記者会見を開き、「審理していて無 罪の心証があった」と告白、批判も浴びた。死刑を言い渡す一方、45通の自白調書のうち1通しか採用しなかった地裁判決は「自白獲得にきゅうきゅうとして 物的証拠に関する捜査を怠った」と捜査側を手厳しく批判。熊本さんがその半年後に退官したこともあり、弁護団の間では「(合議体)3人の裁判官の中で意見 は相当割れていたのでは」とささやかれていた。

 熊本さんは車椅子にもたれながら、袴田死刑囚の近況に話が及ぶと震える両手でつえを握りしめる。「今も袴田さんのことを覚えているんです」と、大粒の涙が頬を伝った。

 熊本さんは1審公判中は30歳を過ぎたころ。境遇は自分と異なるものの、同世代の青年だった袴田死刑囚 が被告席にいた。真っすぐに裁判長を見て訴える姿から、不合理な弁解をしているとは思えなかった。刑事訴訟の有罪認定には、合理的な疑いを差し挟む余地の ない立証が求められる。「合理的な疑いとは何なのか」「裁判官の良心とは」と苦悩し続けた審理だった。

 判決を書いた自らが「無罪」に傾いていたと告白すれば、1次請求の決定に影響があると期待もしたが、 27年間に及んだ1次請求は、告白の翌08年に棄却が確定した。熊本さんは数年前から前立腺がんになり、気弱になることもある。「本当のことを言いたかっ たが、今となってみると(告白が)良かったのか正直分からない」

  ◇   ◇ 

 11月19日、東京拘置所の面会申込所で広げられた黄色い表紙のA6判ノートには、この3年余の日付だ けが書き記されていた。袴田死刑囚の姉秀子さん(80)の面会記録帳だが、10年8月以来、袴田死刑囚が面会を拒み続け、姉弟の会話内容などは記載されな いままになっている。

 今では面会申し込みを通じて自分の来訪だけでも伝わるよう、月1回は拘置所を訪れる。「もしかしたら、 ひょっこり顔を出すかもしれんでね」。死刑囚は拘禁症状が出始め、認知症の疑いも出てきた。残された時間は長くない。弁護団が2次請求で開示請求するなど して集めた証拠によって意見書は229ページの大部に及んだ。年開けから再審可否の判断を待つことになる。秀子さんは言う。「時は相当流れたが、私と巌の 無罪を訴える気持ちは何も変わらない。それを裁判所に伝えたい」

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 ■ことば

 ◇再審請求

 有罪が確定した事件について、判決の言い渡しを受けた人の利益となる新たな証拠が発見された時などに判 決を取り消し、裁判の審理をやり直すよう申し立てることができる刑事訴訟法に規定されている手続き。弁護側が提出した証拠が、「確定判決と異なる新規明白 な事実や証拠」と再審請求審で判断されれば再審開始が決定となり、刑の執行が停止される。



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