山ちゃんと歩くお江戸の徘徊も残り少なくなった。今日は新宿御苑を歩こうと思ったが月曜で休園。急遽護国寺から早稲田を歩くことにした。
このコースは前に歩いたのではと山ちゃんに言われたが、この周辺をかなり歩いているので歩いたかどうかハッキリしない。10年近く都内を歩いていると今まで何処に行ったのか自分でも分からなってきた。隣の江戸川橋からは何度か歩いたが護国寺からは初めてではといいうことで歩き始めた。
護国寺駅→護国寺→雑司ヶ谷霊園→雑司ヶ谷鬼子母神→目白不動→面影橋→甘泉園公園→早稲田大学→早稲田駅
護国寺の駅を出ると目の前が仁王門。この前を通ったことがあるが護国寺に入るのは初めてと二人で確認。
境内に入るとキレイな門(不老門?)があった。この右に富士山があったので登ってみた。
溶岩の立派な登山道。標高10m以下?
登山口にカラスの赤ちゃんの歌碑があったが、何故ここにあるのか謂れが書いていない。私は歌えたが山ちゃんは全然ダメ!七つの子と混同している。
立派な境内と本堂。皇族の豊島ヶ丘墓地もかっては護国寺の敷地。綱吉が建立した寺。
多宝塔。真言宗の大きなお寺に多いと山ちゃん。このような話は彼得意。
本堂の右に回ったら大隈重信の大きな鳥居のある墓。広大で子孫泣かせの墓と思うが早大が管理するだろうな?
明治の元勲、三条実美の墓。山形有朋の墓もあるらしい。
護国寺の本堂裏は墓地になっていて区画も大きく、このようにキレイで立派な墓地を初めて見た。
極真会空手創始者の大山倍達の墓。若い時、この人の牛と戦った漫画を夢中になって読んだ覚えがある。
先日TVドラマで放映された気象学者、野中至夫妻の墓。このドラマには感動した。
1895年(明治26年)2月16日に富士山冬季初登頂を果たし、富士山頂での越冬が可能であることを確信、同年夏に再び登頂して私財を投じて測候用の小屋(約6坪)を剣ヶ峰 (富士山)に新設。9月末に食料など備蓄財の調達のため一旦下山し、閉山後の10月に再び登頂。妻・千代子も10月半ばに合流。高山病と栄養失調で歩行不能になる。12月に慰問に訪れた弟の野中清らによって夫妻の体調不良がわかり、中央気象台の和田雄治技師らの救援で月末に両者とも下山し、山麓の滝河原に逗留、村人の手厚い保護を受けた。野中の事業はのちに中央気象台に引き継がれた。
実践女子大創始者の下田歌子の墓。護国寺の墓地は本当にキレイに整備されている。墓地マニアでなくても一度は見る価値があると思う。
不老門から仁王門方面。大きくて立派な境内。右手は日大豊山高校。護国寺は真言宗豊山派なので日大豊山高校の元はお寺の学校かな?
雑司ヶ谷旧宣教師館に向かうが道が分からず右の八百屋のオバサンに尋ねたら、この道を真っ直ぐ行けと教えられた。
旧宣教師館は本日休館。補修工事を行うらしく10月はズーと休館の掲示。ここは前に来たことあると山ちゃんと確認。
雑司ヶ谷霊園。護国寺の墓地に比べ遥かに貧弱。護国寺に立派な墓を持つ子孫は大変だろうなと二人で同情。
前に来た夏目漱石の墓。山ちゃんは漱石の子孫と同じ会社にいたそうだ。
オフクロがファンだった大川橋蔵の墓。思いの外質素。
永井荷風の墓。左側の墓碑銘は削られている。鼠小僧と同じで、何か御利益があるのかも?
小泉八雲夫妻の墓。大久保の朝鮮料理街の一角に旧小泉八雲邸が公園になっている。今日は何となく墓巡りの感じになってきた?
雑司ヶ谷鬼子母神。入谷の鬼子母神より境内が広く、遥かに落ち着きがある。
本堂と左側は有名な境内の駄菓子屋。
この駄菓子屋は「上川口屋、創業1781年(江戸中期)」の看板が掲げてある。真中の女性は駄菓子屋のオバサンと長々と駄菓子屋談義を行っていた。駄菓子屋のオバサンもかなり話好きのようだ。黒糖のふ菓子を買ったが2個で65円?
境内の見事な大銀杏。樹齢600年以上とか?
目白の地名発祥の目白不動尊。裏手に槍の名人、丸橋忠弥の墓。由井正雪の乱に加担し磔刑になる。
目白不動の近くにある南蔵院。三遊亭圓朝の「怪談乳房榎」にゆかりがある寺だそうだ。
面影橋で本日の記念写真。昔、面影橋の歌があったがどんな歌だったか?
面影橋の一角に山吹の里の碑。太田道灌の「七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに無きぞ悲しき 」の場所の一つ。山吹の里は埼玉の越生が有名。
甘泉園公園。徳川御三卿清水家の下屋敷跡で、早稲田大学が所有していたが新宿区に移譲。小さいが爽やかな庭園。
山ちゃん早稲田大学に殆ど行ったことがないというので西門から早大に入る。立看がまるでない。学生運動消滅の象徴?構内は新しい建物が林立。
大隈公の銅像の前のベンチで休む。大隈公を写真に撮る人達が思いの外多い。
京マチ子展をやっているというので演劇博物館の中を一回りしたが10月8日からということだった。演劇好きにはたまらない場所だと思うが自分にはイマイチ!
16時半だったが構内に学生が溢れ返っている。早稲田も真面目な学生が多くなった。大隈講堂前では一時間前から講演会を待っている学生がタムロしていた。
正門前の喫茶店で一休み。今日も長々と良い散歩だった。
都内をブラブラ歩いているがどうも断片的。「江戸は狭いようで広く、広いようで狭い」という思いが歩く度に強まって来る。残り二つになると何となく寂しい気にもなってくる。
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