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「招き入れる力」と「受け入れる力」の美しい共鳴

2014-08-13 02:31:25 | 創作欄
一度あることは二度ある。
あることが一度起きると、後でまた同じようなことが起きるものであるということであるが、利根川で溺れた子どもを助けたのが2度目であった。
釣り人は時間つぶしのつもりで釣りをする。
同時に太公望の心境になったつもりで釣りをしていた。
中村圭吾は子ども助けたことが縁となり、これまでにない新しい世界が開かれることを望んだ。
果報は寝て待て、というこという故事もあるが、釣りの時間も意味がなくもない。
父親平吾の遺言について釣りをしながら考えても居たのだ。
「愛人関係であった小菅沙智と娘の美音子の居所を知りたい。
なんとしも心残りなんだ。
できればわしに代わって2人を探してもらいたい。
よろしく、頼む。」と遺書に記されていた。
「ほんとに探せるのだるか?」川面の浮きを見つめて圭吾はつぶやいた。
顔を青ざめて現れた美音子の顔を見た圭吾は、そのやつれた様子にただならぬものを感じた。
「ママ!」と叫びながらずぶ濡れとなった長男の哲が飛んできた。
次男の孝は指をくわえながら呆然と母親の背後から兄の姿を見ていた。
「哲、本当に良かったね。運が良かったので助けられたのよ」美音子を膝をついて息子を抱きしめた。
圭吾は釣竿を立てながら笑顔になって母子の姿を見ていた。
「息子を助けていただき、本当にありがとうございました」美音子は頭を下げて老人に感謝した。
哲は衣服を濡らした冷たさと恐怖から体を震わせていた。
圭吾は立ち上がると脱いでいたジャンパーを美音子に渡した。
「ありがとうございます」と礼を言い、美音子を哲の体にジャンパーを着せた。
さらにタオルを渡しながら「濡れた頭を拭いてやりなさい」と圭吾は言った。
「私も帰るつもりだが、家まで送って行きましょう。近くに車を停めているんだ。乗せて行きましょう」と圭吾は言うと釣り道具を片付けはじめた。


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<参考>
果報は寝て待てとは、運というものは人の力ではどうにもできないものだから、あせらずに時機を待つのが良いということ。

<参考>
太公望(たいこうぼう)が釣りをしていたエピソードから、日本ではしばしば釣り師の代名詞として使われる。
文王は猟に出る前に占いをしたところ、獣ではなく人材を得ると出た。狩猟に出ると、落魄して渭水で釣りをしていた呂尚に出会った。
二人は語り合い、文王は「吾が太公が待ち望んでいた人物である」と喜んだ。
そして呂尚は文王に軍師として迎えられ、太公望と号した。
3つの逸話の中で一般に知られているのは、この説である。
陝西省宝鶏には太公望が釣りをしたという釣魚台があり、観光地となっている。


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