医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



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宗教の話となる

2015-03-09 23:08:26 | 創作欄
利根輪太郎は昨年、何度か京都へ行き、ついでに奈良競輪場へ行った。
むろん京都駅から近かったので向日町競輪場へも顔を出した。
それぞれの競輪場の立地はローカルであり長閑さがあった。
山並みが見えることも気持ちを和ませた。
往年の大選手で競輪学校の名誉教諭もしていた松本勝明さんのことが思い出された。
「奈良ね。実家で天理教をやっていたので、何度も行ったな」と競輪ファンの一人とたまたま述べたことから宗教の話となる。
「実は伯父さが天理教をやっていて、従兄たちも天理へ熱心に行ってましたね」と輪太郎も明かした。
うちの宗派天理教だったんだけど、娘2人が筋ジストロフィーで亡くなってね。亡くなるまえは、近所の人から勧められて仏教もやったんだけど、お母さんの信人が足りないから、娘が死んだんだとか言われて女房は追い詰められて、そこで幹部の人を呼んで話し合って、脱会することになったんだ。その幹部の人は話が分かる人で良かったんだけど、信者の人たちが4、5人家へ毎日押しかけてきて罰が当たる。脱会を撤回しろと責め立てられ、女房はノイローゼになってね」
「そんなことがあったんですか?!何年前のことですか?」
「牛久へ来る30年前のことだったね」
「それは大変でしたね」と輪太郎は同情した。
「信仰は幸福になるためにやるものだと思いますね。信仰を止めて罰があたるはずがないですよ」
輪太郎は率直な気持ちを述べた。
「そうだよね。罰なんか当たらないよね」とその人はうなずいた。
その人の奥さんは現在、キリスト教系の信仰をしており、2人の娘さんも熱心に教えを広める活動をしているそうだ。

松本勝明さん

旧制京都府立京都第一中学校(現在の京都府立洛北高等学校)を経て、将来、医学部の入学を目指すべく、当時医学部の入試科目にドイツ語があったことを理由に東京外事専門学校(現在の東京外国語大学)に入学。
そして、同校在学中に学資資金のためのアルバイトの意味で競輪の世界に入り、1949年6月13日に競輪選手として登録。
登録番号は587である。

デビュー戦は同年7月の鳴尾競輪場(後の甲子園競輪場)で迎え3着。
初勝利は1ヶ月後の同場で挙げる。やがてアルバイト感覚では競輪選手は務まらないと考え、後に東京外国語大学を中退し、競輪選手に専念することになる。

1981年9月の競走をもって引退するまで通算1341勝を挙げ、同年10月1日に選手登録消除。
この勝利数は2010年8月現在も歴代競輪選手としては第1位の通算勝利数を誇る。
また、この実績を評して、競輪の神様とも言われた。なお、1972年に通算勝利数1200勝を達成したことが評価され、第5回日本プロスポーツ大賞に輝いた。

1982年より、ホームバンクとしていた京都向日町競輪場では、松本の功績を称え、年に一度「松本勝明賞」レースが開催されている。
なお同選手が元々ホームバンクとしていたのは、 京都市営競輪場(通称宝ヶ池競輪場)であった。


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