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一億総白痴化

2014-10-18 08:25:42 | 社会問題・生活
番組の背景に、わざとらしい大笑い!
連続して繰り出される「爆笑」ほど耳障りなものはない。
「何が、そんなの可笑しいのか?」
不愉快な気分が募るので、別の番組を見るが、そこでも大笑いが挿入されている。
特にお笑いタレントが、芸のなさをカバーするごとき自ら大笑いしているのは見苦しい限り!
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一億総白痴化(いちおくそうはくちか)とは、社会評論家の大宅壮一が生み出した流行語である。
「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という意味合いの言葉である。


大宅壮一がこの記事を書く動機となったのは、三國一朗司会の視聴者参加番組『ほろにがショー 何でもやりまショー』(日本テレビ、1956年11月3日放送分)であるとされている。
大宅の娘でジャーナリストの大宅映子の談話によると、出演者が早慶戦で慶應側の応援席に入って早稲田の応援旗を振り、大変な騒ぎになって摘み出される場面を見た大宅は「阿呆か!」と呟いたという。

また、朝日放送の広報誌『放送朝日』は、1957年8月号で「テレビジョン・エイジの開幕に当たってテレビに望む」という特集を企画し、識者の談話を集めた。
ここでも、松本清張が「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない。」と述べている。

このように、当時の識者たちはテレビを低俗なものと批判しているが、その背景には書物を中心とした教養主義的な世界観があった。

書物を読む行為は、自ら能動的に活字を拾い上げてその内容を理解する行為であり、それには文字が読めなければならないし、内容を理解するために自分の頭の中で様々な想像や思考を凝らさねばならない。
これに対して、テレビは、単にぼんやりと受動的に映し出される映像を眺めて、流れてくる音声を聞くだけである点から、人間の想像力や思考力を低下させる、といったことを指摘している。

「一億総**」という用法に関しては、これ以前にも太平洋戦争で本土決戦が差し迫った際の「一億玉砕」「進め一億火の玉だ」、敗戦後の「一億総懺悔」(当時の東久迩宮首相)といった語もあり、大勢に流れ易く流れに棹差す日本人の集団主義心性も表している。
高度経済成長以後には55年体制下安定した政治経済を背景に貧富の差の少なくなった「一億総中流」といった語も生まれた。

大宅が「一億(総)白痴化」と発言した時代ではテレビは高級品であったが、現在ではテレビが各家庭に普及しており、人々が生活に必要な情報を得る手段として定着し、普及率も百パーセントを超えた。
また番組の低俗化に対する度重なる批判に答える形で、番組内容向上のための組織が、NHKや民放連によって設立され、発展して現在のBPOとなっている。

大宅が指摘しているのは、テレビを次々と視る事により、「思想が刷り込まれ」たり、「思考停止」に陥ったりする可能性から、白痴化と発言したのではないか、という考え方がある。
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