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ラバン斬首に似た物語、ユディト記に

2016-03-30 21:37:21 | モルモン教関連
モルモン書第一ニーファイ書4章7節以降に、ニーファイが当時旧約聖書に相当する記録を入手するため、交渉が行き詰まり難敵となったラバンを殺害する場面が出てくる。これと類似した物語が旧約聖書外典のユディト記に記されている。当然そのできごとを取り巻く状況や登場人物、目的などは異なっているが、この物語は15世紀以降多くの画家が題材に取り上げて数々の作品を残している。

[Judith が Holofernes の首を切り落とす場面]

 物語はアッシリア軍がイスラエルに進軍し、ドタンの近くベトリアを包囲していた時のことであった。アッシリアの王はネブカドネツァルで、遣わされた軍の司令官はホロフェルネスであった。町を明け渡そうかという危機に美貌の後家ユディトיְהוּדִיתが登場し、策をもって侍女と共に敵陣に向かう。ユディトは捕えられ、司令官の前に引き出されるが、巧みな語りによって安心させ、ホロフェルネスの酒宴に招かれることになる。その夜の斬首の場面が次のように描かれている。

 「彼女はホロフェルネスの枕もとの、寝台の支柱に歩み寄り、そこにあった彼の短剣を抜き取った。そして、寝台に近づくと彼の髪をつかみ『イスラエルの神なる主よ、今こそ、わたしに力をお与えください』と祈って、力いっぱい、二度、首に切りつけた。すると、頭は体から切り離された。・・・そして猶予せずに外へ出て、侍女にホロフェルネスの首を手渡すと、侍女はそれを食糧を入れる袋にほうり込んだ。そして二人は、いつものとおり祈りに行くかのようにして出ていった。」(新共同訳ユディト記13:6-10)

 この物語について、秦剛平はイスラエルの民に逆らう民族(または個人)は、最終的には主によって罰せられ、惨めな最期を迎えるという思想が背後にある、と見る。そして後にキリスト教にも繰り返し用いられると言う。ユディト記の物語はモルモン書を理解する上で参考になる資料の一つになるのではないか。M.D.トマスは、ラバンの殺害の場面は外典のユディトの物語と鏡の像のように類似しており、このような聖書の形跡(echo)はニーファイにモーセ、ユディト、サムソンなどと並んで典型的な救済者のイメージを与える、と言う。(Mark D. Thomas, 1999, p. 66).

 注 1 ユディト記は歴史上の矛盾があり、物語の性格から言っても、古い時代の英雄伝承を元に造られた創作である。(ケンブリッジ聖書辞典 1965年に入手したLDS用KJV所収)
 注 2 斬首による殺害という点では、新約聖書にもヘロデ王(領主ヘロデ・アンティパス)が妻ヘロディアの娘の求めに応じて、衛兵にバプテスマのヨハネの首をはねさせる場面がある(マルコ6:27)。この娘の名は言及されていないが、ヨセフスのユダヤ古代誌XVIII 5:4 でサロメと記されている。この場合、ヘロデが自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚していたのをヨハネに責められ、それでヘロディアがヨハネを恨んでいたという事情があった。「ユダヤ教やキリスト教における復讐や呪いの概念」(秦)が関わっていて、間接的にラバンの話と関係するかもしれない。

参考 
秦剛平「旧約外典偽典を読む:絵解きで分かる聖書の世界」青土社、2009年
当ブログ
2015.01.15 新約聖書の原典資料 - - 最善の教材
2015.12.26 聖書は氷山の一角的存在   
2016.02.15 ラバンの殺害は今日にあっては弁護し難いくだり      


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
似た者並べ (ジョン・ドゥ)
2016-03-31 13:16:49
ユディト記と言うものは読んだことがありませんが、そのように類似した物語が記述されているのは面白いですね。

類似したものて私が思い付くのは

(1)ソロモン王と大岡裁き
二人の女性が母親を名乗り一人の子供を取り合う話。状況から解決法までそっくりです。なぜ子供に尋ねなかったのかは良く分かりません。

(2)アブラハム書の挿絵と死者の書
これまたそっくりですね。最近ではモルモン教会側もアブラハム書はこの挿絵と関係ない部分から翻訳されたとか必死に言い訳してますが、昔の高価なる真珠では挿絵に描かれたものについて解説がなされていました。

(3)エンダウメントとフリーメーソンの儀式
残念ながらフリーメーソンの儀式は見たことがないのですが伝え聞くところでは、良く似てるらしいです。参加した人の証言の中に、コンパス、定規、エプロンなどの言葉があり、やはり関連はあるのだと感じますね。まぁモルモン会員の中には、エンダウメントは太古からあったのだが何かの理由で形を変えてフリーメーソンに伝わったのだ、私たちの教会の儀式が本来のだ、と力説されていた方もおられました。
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ネタ本 ()
2016-03-31 14:11:35
ちょっと検索してみると、大岡政談のネタ本は「棠陰比事」って言う中国の裁判ネタの本らしいです。

その本にも、子供を争う裁判話が有るそうです。

ノアの洪水も、ギルガメッシュからだと言いますし、面白そうな話は、使いまわしされるんでしょうね。

モルモン教会の中でも、その手の話の使いまわしは横行してます。

そもそも、モルモン書自体が、その・・あの・・あれでしてね。

講釈師見てきたような・・・・ってやつかも?

最近新しい会員の方と話をする機会が何度か有りまして、死後の霊界や福千年の事を聞かれて、「教会の教えでは、・・・・と言う事に成ってますが、私も見てきたわけじゃないので、本当にそうなのかは責任が持てません。」って言いました。

根が正直なものでして・・・。

でも、見てきたわけでもないのに、平気で「良い人は天国へ行き、悪人は地獄へ行く!」って真顔で言う人が多いのには驚きます。
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類似資料を参照する意義 (NJ)
2016-03-31 16:43:39
同時期の資料や先行する時代の資料を参照するのは、例えばある魚が海洋で獲れる場合、その海洋の塩分濃度、海流、季節、水温、水深、えさとなる生物などによってどんな魚か判定できるように、聖典とされるものも真空の中に生じるものではないので、さまざまな周辺要素を研究し、できるだけ広い視点から研究することに意義があると思います。

単にあるものから借用が行なわれているという単純なものではないと考えています。
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古来日本民族は平和主義 ()
2016-03-31 19:29:04
関係あるのかないのかわかりませんが、暴力や殺害について、民族間で差が有るようです。

日本で発掘された古代人の人骨を調査した結果、欧米に比べて、暴力によって死に至ったのは、5分の一だそうです。(下記参照)

http://ceron.jp/url/news.yahoo.co.jp/pickup/6196218

モルモン書や聖書の殺人の記述を読むのでも、日本人と欧米人とでは感じ方が違うんでしょうね。

家畜とは言え、日常的に動物を殺して食べる習慣が有った民族と、植物を主に食べていた民族とでは、殺人に対する嫌悪感にも差が有るのかもしれません。
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Unknown (教会員R)
2016-04-01 14:05:26
ジョセフスミスは聖書外典を重視して研究していたふしもあるのに、教会幹部の説教では、モチーフとしてさえ、まず聞かないようになってしまいましたね。 

他の文学書をモチーフにすることは結構あるのに。

個人的には外典のどこまでが啓示でどこからが問題ある記述なのか見極めてみたいと思っているんですけどね。
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この記事は私も読みました。 (ジョン・ドゥ)
2016-04-01 16:10:22

>日本で発掘された古代人の人骨を調査した結果、
>欧米に比べて、暴力によって死に至ったのは、5分の一だそうです。

興味深い内容でしたね。「人類が必ずしも暴力的な本能を持ってはいないことも示す。戦争の原因を人の本能に求める風潮に再考を迫る一歩になる」との言葉には納得です。

ただでも、この記事をもとに『古来日本民族は平和主義』とのタイトルは強引過ぎないかと思います。いや別に日本人が暴力好きとも思いませんけどね。

だってこの後、弥生人が大陸(?)から渡ってきて、後の日本人の主導権を握るのは彼らなんですから。縄文人は弥生人に溶け込んで行ったか、北へ北へと追いやられた。アイヌは縄文人の子孫と言う説もありますね。しかし他説もあって弥生人は縄文人が新しい文化を受け入れて生活様式を変化した存在という人もいるようです。

ちなみに、しばしば耳にする俗説で、西洋人は狩猟民族だから戦いが上手い、一方の日本人は農耕民族だから争いごとは苦手だ、といったものがありますが、全く何の根拠もありませんし、この俗説は根本的に間違っています。農耕文明が始まったのは日本より西洋の方が古いのです。日本で縄文人が狩猟していたころ、ローマではパンを食べていました。『西洋人は狩猟民族』などと言う人の話を私は信用できないですね。

なお私の持論ですが、狩猟しかない時代の方が人類は穏やかで、農耕文明が始まると共に人類は凶暴化していった気がします。というのは農耕により作物を貯蔵できるようになり、富が生まれた、そして貧富の差が権力を生み出し、それが強大な国家を形成させ、戦争の原因になったと私はそう考えます。
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あまりレスポンドできていませんが (NJ)
2016-04-01 18:38:36
教会員Rさん

> 教会幹部の説教では、モチーフとしてさえ、まず聞かないようになってしまいましたね。・・他の文学書をモチーフにすることは結構あるのに。

そう言えば、仰るとおりですね。また、外典のどこまでが読む価値があるか、興味あるテーマです。

ジョン・ドゥさん

ジョン・ドゥさんのコメントを読んで、Facebook のように like を押すことができれば、と思うことがよくあります。

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ラバンはゴリアテ (オムナイ)
2016-05-07 21:20:22
この場面はダビデとゴリアテの物語に似てますね。

サムエル上17:
46 きょう、主は、おまえをわたしの手にわたされるであろう。わたしは、おまえを撃って、首をはね、ペリシテびとの軍勢の死かばねを、きょう、空の鳥、地の野獣のえじきにし、イスラエルに、神がおられることを全地に知らせよう。

47 またこの全会衆も、主は救を施すのに、つるぎとやりを用いられないことを知るであろう。この戦いは主の戦いであって、主がわれわれの手におまえたちを渡されるからである」

48 そのペリシテびとが立ち上がり、近づいてきてダビデに立ち向かったので、ダビデは急ぎ戦線に走り出て、ペリシテびとに立ち向かった。
49 ダビデは手を袋に入れて、その中から一つの石を取り、石投げで投げて、ペリシテびとの額を撃ったので、石はその額に突き入り、うつむきに地に倒れた

50 こうしてダビデは石投げと石をもってペリシテびとに勝ち、ペリシテびとを撃って、これを殺した。ダビデの手につるぎがなかったので、
51 ダビデは走りよってペリシテびとの上に乗り、

そのつるぎを取って、さやから抜きはなし、それをもって彼を殺し、その首をはねた。

ペリシテの人々は、その勇士が死んだのを見て逃げた。


54 ダビデは、あのペリシテびとの首を取ってエルサレムへ持って行ったが、

その武器は自分の天幕に置いた
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