命題(仮説)
Aという母体があり、そこから批判的な分子Bが出現したとする。そこへ(Aに対して)さらに激しい批判あるいは敵対する存在Cが現れた場合、Bはどのような反応をするだろうか。
1)BがCに同調して、Cに一体化していく場合
2)相対的にAとの親近性が作用してAの弁護ないし盾のような存在となる場合があるのではないだろうか。
具体的な例:
lds教会 <--> ダイアログ、サンストーン <== 反モルモン、タナー夫妻など
lds教会 <--> モルモンフォーラム <== 反モルグループ 脱会者
中に位置するBは、当初教会との間に緊張関係に立つが、Cが出現するとき、あるいはその矛先が自身にさえ向かう時、特に盾の役割を担い始めるようである。例、ダイアログ、サンストーン、mf誌
以上は私がこれまで感じてきた事である。集団内、集団と個人、集団と集団の関係について明らかにしようとするグループダイナミックスや社会心理学が解明してくれるのではないか、と勉強中です。
Aという母体があり、そこから批判的な分子Bが出現したとする。そこへ(Aに対して)さらに激しい批判あるいは敵対する存在Cが現れた場合、Bはどのような反応をするだろうか。
1)BがCに同調して、Cに一体化していく場合
2)相対的にAとの親近性が作用してAの弁護ないし盾のような存在となる場合があるのではないだろうか。
具体的な例:
lds教会 <--> ダイアログ、サンストーン <== 反モルモン、タナー夫妻など
lds教会 <--> モルモンフォーラム <== 反モルグループ 脱会者
中に位置するBは、当初教会との間に緊張関係に立つが、Cが出現するとき、あるいはその矛先が自身にさえ向かう時、特に盾の役割を担い始めるようである。例、ダイアログ、サンストーン、mf誌
以上は私がこれまで感じてきた事である。集団内、集団と個人、集団と集団の関係について明らかにしようとするグループダイナミックスや社会心理学が解明してくれるのではないか、と勉強中です。
ダイナミクスという観点でとらえようとして
おられるようですが、提示されている理論はよう
するに単純な二分論でしかありません。lds教会
には「敵」か「味方」しかいないという認識なの
でしょうか?
lds教会が批判を受けないような宗教組織になる
べく内部からの啓発、自浄する動きが起こると
いう点をご存知でありながらあえて無視し、そう
いう人たちも敵として扱っているように思えます。
それは戦前戦中の国内における軍国主義反対運動
を取り締まった特高警察や戦後の米国における
レッドパージ、イラク戦争中にイマジンを歌う
ことを禁じた恐怖政治につながるものです。
そうした観点を擁護することは考え直していた
だけるようお願い申し上げる次第です。
是は是、非は非とし、事実を偽わらずごまかさず一方に偏らず、真実に立つなどの反応もありえるのではないでしょうか?
大変、困難なことと想像はしますが、モルモン教会内において、モルモンを愛するが故に、真実を貫くことこそ重要な気がします。
反モルモンに同調せず、モルモンを弁護せずともできると思われます。目的はモルモン教会を滅ぼすことではなく、健全化することです。
多様な立場があること、それが認められることも健全化のひとつだと思います。
(ブッシュ・アメリカに従わないものは、必ずしもアメリカの敵ではない)
今見えているグループ間に作用している力学のようなものを記述しようとしてみたもので、「内部からの啓発、自浄する動き」の存在は承知していますし、大事だと思っています。
もし私が体制側の反動的なものを擁護している、と見られるのであればおよそ不本意なことです。
またアリョーシャさんの「是々非々、真実に立つ」という姿勢は私も求めているつもりです。多様な立場を尊重したいというのも人後に落ちないつもりです。
私が言いたかったのは、Cのあまりに激しい言動に同じ要素を持つはずのBをAに押し返しているのではないか、という点です。米ではマイケル・クインも被破門者の組織も、Bが主催する催しに席を共にして、真実追求と健全化に努めているようにみえます。日本で穏やかな対話がなかなか出来ない様子を残念に思うわけです。
Bのような存在は生ぬるい、AかCしかないのではないか、とすればそういう見方こそ二元論になるのではないでしょうか。
(おそらくネット上だけでは認識の差は縮まりにくいのでは、と懸念します。)
自分の息子には「モルモン教は信じるな」と
教えて、教会ではレッスンする。
自分は洋書を読んでモルモン教がインチキと
知っているくせに、それを他者が指摘すると
ヒステリーを起こす。
そんなことではいけない。
ものだとして、そのような存在が日本にありま
すか? ございません。
そのため仕方なく、私は微力ながら個人として
しばしばネット上で批判を展開するわけですが、
それに対する反応はNJさんも良くご存知でしょ
う。lds会員は聞く耳を持ちません。彼らは耳に
聞こえの良い話だけを好み現実には目を向けず、
lds教会を批判するものは敵だという認識です。
Bのような存在を生ぬるいなどと思ったことはあり
ませんが、それよりも、日本においてBは存在しな
いのです。
もしNJさんがBの存在でありたいと思うのでしたら
lds教会の意識を変える(教会側の悪い点を認め
させる)ことを具体的になさるべきではありませ
んか?
そんなに「他人(ひと)」のことが断言できるのですか。(わたしでないのに!)。
netiquette に来信があれば応答する、というのがあると思いますが、それがなかなかできていないことを私は気にしています。
しかし、同時に書いた言葉は意外にきつく響くので、丁寧な言葉を使うように、という項目もあるのではないでしょうか。(新約でパウロも自身のことで言っています。コリントII10:10。違った文脈ですが)。
昨年関西大で会ったときのように語れればと願うものです。(おそらくそのとき会った人と確信しています。)
考え方によれば、現在日本に存在しないのかもしれません。(トュギャザーさんの主宰するサイトが唯一といえるのかもしれません。奮闘を評価しています。ではあると言えるわけです。)
「lds会員は聞く耳をもたない」それはもうそのとおりかもしれません。年月があるいは世代交代を待たなければならないこともあるようです。(アーマンド・マウス言。)女性に神権などはまだ時間がかかる項目かもしれません。
しかし、機会あるごとに古い間違った考えの残滓が表面化するとき、訂正の声をあげることは努めてしています。日曜学校や神権会のレッスンなどで。これは内部にいて初めてできることだと思っています。
英文で少しづつ口頭、文書で発表するように努力しているつもりです。バプテスマ狂騒期のまとめなど。(これは米の被破門者組織の人から要請されました。)
あなたはジョセフ・スミスを予言者だとは思ってないですね。
息子さんにもモルモンを信じるなと教育されている。
お茶も飲んでおられる。
聖書を引いていますが、神もいないと思っているでしょう。
つまりあなたは既に背教しているのでしょう。
そんな人間をAのモルモン側も信じないし、Cの批判者もせせら笑うでしょう。
何にしがみついて生きているのかな。
結局このアンチモルモンの問題は究極的には神学論争になるのだ。
lds教会を建設的に批判するのならまだ話が分かる。そうでなく瓦解させようとするなら、無視されても仕方がないではないか?
沼野さんの分析はあくまでもlds内部からの見方であり、建設的なものと推察するが?
lds会員が議論を不毛とか無意味とか言うのは現実
逃避の言い訳に過ぎない。だいたい議論はしま
せんというのがlds教会が教える基本的な態度で
あったはず。不毛かどうか分かるほど議論も
したことがないのが現実です。
建設的な批判は必要なことで大いに賛成するが、
実際には都合のわるい指摘をされて返答に窮し
たときに相手に「それは建設的でない批判だ」
と言って逃げているだけ。
神学とはその教義が批判に対峙し篩にかけられ
洗練されて構築されていくもの。議論が不毛だと
逃げている信者の集まりには千年経っても神学
など構築できようはずもない。
畢竟モルモンに神学などないのです。