「モルモン歴史ジャーナル」2010年秋季号目次 二つ目が小生の記事
2 モルモンフォーラム(以下MF)誌になかった新しい内容
1) デルバート・H・グローバーグの博士論文。グローバーグは伝道部長を解任された後、ブリガムヤング大学で本人の伝道の取り組みについて博士論文を書いていた。「ある教育生産性モデルの概観」(Toward a Synoptic Model of Instructional Productivity)と題し1986年に学位を取得している。当然自己の取り組みを肯定的にとらえ、積極的評価に終始していて事柄によっては正当化の印象を受ける。拙速伝道を批判的に観る者にとっては見当違いの意外な代物(学術論文)としか思えないが、彼に近い友人や内情を知らない者の間では好評で、彼の伝道を成功と表現する者がいたようである。このような論文はBYU以外ではあり得ないとある帰還宣教師が言っていた。論文前半は日誌風の経緯記録で彼の意図が記述され、彼の考えが手に取るようにわかって今回の記事に大変参考になった。
例えば伝道の対象を十代に集中しバプテスマを施すには、親の承諾が必要というのが障碍になるとわかると、教会付きの弁護士に相談し自らも調査して成人は18歳からと解して問題ない、親の承諾不要という考えに到達する。これはもちろん日本の民法の記載にも日本社会に浸透している慣習にも反している。
後にグローバーグに近いある米国人会員が、日本の指導者にグローバーグ論文を和訳してはどうかと相談したが、東京南伝道部を管理したこの邦人指導者はその意義はないと回答している。
2) 拙速伝道を実施した当事者にも取材。「モルモン歴史ジャーナル」誌の編集員は「それは誰か、名前は、彼らは何と言っているのか」と典拠と客観性を求めて厳しい。場合によっては柔かくほのめかすということも善しとしない。それで当のグローバーグ、菊地長老にもメールでやりとりすることになった。伝道の方法で従来の形をあれほど短縮・省略したのは妥当だったのかと問うと、前者は「伝道部長を務めた期間を通じて指導基準にもとったことはない」、規範から極端に逸脱した例が伝えられているがと聞くと「不適切なことが行われたということが言われるが、いずれも真実に基づかない噂でこじつけにすぎない。私には馬鹿げたことにしか思われず南伝道部は何ら関知しないことである」と回答してきた。菊地長老は回答を拒否したが、「当時の一連の事象は津波のように生起し過ぎ去った」と述べた。
当時の他の伝道部長にも意見を求めたところ、東京北のマイケル・ロバーツからきっぱり「われわれの伝道部では拙速という形容詞が当てはまるようなことは一切行っていない。そのような訓練はしていないし、親の許可なしに若者にバプテスマを施したということもない」という回答を得た。彼は南太平洋の地域で地域幹部を務めていた。
3) 東京南伝道部のアメリカ人帰還宣教師の声。MF誌では日本人の情報だけであったがアメリカ人帰還宣教師の声を入手し紹介した。アメリカにも拙速伝道時期の記憶がトラウマとなり精神に異常をきたした例が含まれていた。また、長期にわたってバプテスマを得られなかった姉妹宣教師が会報に星印をつけてリストに記され、大変辛い思いをしたことを証言していた。
4) 会員権剥奪の処罰を受けた福田則昭元地方部長の文書。彼は性急なバプテスマの急増で生じた問題について問いただすため、書簡を地方部長会三名の署名で送付していた。継続して追求した地方部長は数次の会談や呼び出しを経て教会法廷でこの処罰を受けた。教会運営の一種民主的な安全弁(safeguard)がないがしろにされたのであった。
5) その後刊行された書籍の参照。
① 菊地良彦「福音をのべ伝える--スペンサー・W・キンボール、伝道について語る」1987年 [Yoshihiko Kikuchi, “Proclaiming the Gospel: Spencer W. Kimball Speaks on Missionary Work,” Bookcraft, 1987]
② エドワード・L・キンボール「歩幅を広めよ--スペンサー・W・キンボール大管長伝記」2005年 [Edward L. Kimball, “Lengthen Your Stride: The Presidency of Spencer W. Kimball” Deseret Book, 2005]
この二冊によって様々な発言の期日、場所などを確認することができた。
アンダーソン編集長は記事が糾弾するような調子になるのを避け客観的な記述を目指すよう求めながらも、この記事は重要な記録であり投稿を歓迎すると終始励ましてくれた。
モルモン歴史学会からこの記事が掲載された「モルモン歴史ジャーナル」2010年秋季号が4冊余分に送られている。希望者があれば贈呈したいと思います。メールで送り先を添えてご連絡ください。
mail address-- jiro_nmn68@ h o t m a i l.com
* 関連サイト exmormon.org Details on Groberg and Kikuchi, 1978-1982, by laozi (nli), April 10, 2015. Sources Jiro Numano, Journal of Mormon History.

2 モルモンフォーラム(以下MF)誌になかった新しい内容
1) デルバート・H・グローバーグの博士論文。グローバーグは伝道部長を解任された後、ブリガムヤング大学で本人の伝道の取り組みについて博士論文を書いていた。「ある教育生産性モデルの概観」(Toward a Synoptic Model of Instructional Productivity)と題し1986年に学位を取得している。当然自己の取り組みを肯定的にとらえ、積極的評価に終始していて事柄によっては正当化の印象を受ける。拙速伝道を批判的に観る者にとっては見当違いの意外な代物(学術論文)としか思えないが、彼に近い友人や内情を知らない者の間では好評で、彼の伝道を成功と表現する者がいたようである。このような論文はBYU以外ではあり得ないとある帰還宣教師が言っていた。論文前半は日誌風の経緯記録で彼の意図が記述され、彼の考えが手に取るようにわかって今回の記事に大変参考になった。
例えば伝道の対象を十代に集中しバプテスマを施すには、親の承諾が必要というのが障碍になるとわかると、教会付きの弁護士に相談し自らも調査して成人は18歳からと解して問題ない、親の承諾不要という考えに到達する。これはもちろん日本の民法の記載にも日本社会に浸透している慣習にも反している。
後にグローバーグに近いある米国人会員が、日本の指導者にグローバーグ論文を和訳してはどうかと相談したが、東京南伝道部を管理したこの邦人指導者はその意義はないと回答している。
2) 拙速伝道を実施した当事者にも取材。「モルモン歴史ジャーナル」誌の編集員は「それは誰か、名前は、彼らは何と言っているのか」と典拠と客観性を求めて厳しい。場合によっては柔かくほのめかすということも善しとしない。それで当のグローバーグ、菊地長老にもメールでやりとりすることになった。伝道の方法で従来の形をあれほど短縮・省略したのは妥当だったのかと問うと、前者は「伝道部長を務めた期間を通じて指導基準にもとったことはない」、規範から極端に逸脱した例が伝えられているがと聞くと「不適切なことが行われたということが言われるが、いずれも真実に基づかない噂でこじつけにすぎない。私には馬鹿げたことにしか思われず南伝道部は何ら関知しないことである」と回答してきた。菊地長老は回答を拒否したが、「当時の一連の事象は津波のように生起し過ぎ去った」と述べた。
当時の他の伝道部長にも意見を求めたところ、東京北のマイケル・ロバーツからきっぱり「われわれの伝道部では拙速という形容詞が当てはまるようなことは一切行っていない。そのような訓練はしていないし、親の許可なしに若者にバプテスマを施したということもない」という回答を得た。彼は南太平洋の地域で地域幹部を務めていた。
3) 東京南伝道部のアメリカ人帰還宣教師の声。MF誌では日本人の情報だけであったがアメリカ人帰還宣教師の声を入手し紹介した。アメリカにも拙速伝道時期の記憶がトラウマとなり精神に異常をきたした例が含まれていた。また、長期にわたってバプテスマを得られなかった姉妹宣教師が会報に星印をつけてリストに記され、大変辛い思いをしたことを証言していた。
4) 会員権剥奪の処罰を受けた福田則昭元地方部長の文書。彼は性急なバプテスマの急増で生じた問題について問いただすため、書簡を地方部長会三名の署名で送付していた。継続して追求した地方部長は数次の会談や呼び出しを経て教会法廷でこの処罰を受けた。教会運営の一種民主的な安全弁(safeguard)がないがしろにされたのであった。
5) その後刊行された書籍の参照。
① 菊地良彦「福音をのべ伝える--スペンサー・W・キンボール、伝道について語る」1987年 [Yoshihiko Kikuchi, “Proclaiming the Gospel: Spencer W. Kimball Speaks on Missionary Work,” Bookcraft, 1987]
② エドワード・L・キンボール「歩幅を広めよ--スペンサー・W・キンボール大管長伝記」2005年 [Edward L. Kimball, “Lengthen Your Stride: The Presidency of Spencer W. Kimball” Deseret Book, 2005]
この二冊によって様々な発言の期日、場所などを確認することができた。
アンダーソン編集長は記事が糾弾するような調子になるのを避け客観的な記述を目指すよう求めながらも、この記事は重要な記録であり投稿を歓迎すると終始励ましてくれた。
モルモン歴史学会からこの記事が掲載された「モルモン歴史ジャーナル」2010年秋季号が4冊余分に送られている。希望者があれば贈呈したいと思います。メールで送り先を添えてご連絡ください。
mail address-- jiro_nmn68@ h o t m a i l.com
* 関連サイト exmormon.org Details on Groberg and Kikuchi, 1978-1982, by laozi (nli), April 10, 2015. Sources Jiro Numano, Journal of Mormon History.
改宗者は、伝道熱心な先輩会員に影響され殆ど教義を知らないまま専任宣教師になるように促されると大学や専門学校を中退し、社会人は会社を辞めて専任宣教師になり期間後数年は、専任宣教師になって多くの祝福を得た他の会員も専任宣教師になるべきだと強烈な証を述べてましたが、現実を突き付けられ殆どが不活発となってます。
帰還宣教師にとって任期中のバプテスマの数はとても重要で、数が帰還宣教師のプライドとなり人間関係がギクシャクするので不活発となる人もおります。
教育部の教育方針も担当役員のスピーチも伝道目的なら手段や場所を選ばない強行伝道を奨励する内容が多分に含まれており、強行された側や周囲の迷惑の度合いが高ければ高いほど価値ある伝道行為と褒める始末でした。
「我ら死すとも」などを見せて伝道を強調されれば若者は簡単に操られましたが、強く影響され学業や仕事を棄権してまで伝道に従事して後に病んでしまった者は、何の保障も支援もないままです。
神殿推薦状が支援を受ける必須条件では反感を煽るだけです。神殿推薦状を持たない者が何を言おうと「信憑性のない噂話かサタンです」と簡単に片付けられ相手にされないのが現状です。
地方では、今でも指導者を迎える際は大名を迎えるように恐れを以て恭しく迎える慣例が残ってますが、自浄されるには上位者に盲従するのを止めさせてからでないと始まらない気がします。
狂乱のバプテスマや拙速伝道や売名的活動などに疑問や疑念はありましたが、尋ねただけでステークやワードや支部で危険人物とされ、処分は下らないが居辛くなるのが推測出来たので皆黙ってました。
大規模な拙速伝道が終わっても、信者の個人的拙速伝道は変わってません。
管理者様は現役信者でありながら恐れを抱かないのか?不思議な方です。
>管理者様は現役信者でありながら恐れを抱かないのか?不思議な方です。
古株であり高齢者なのでそうなのかも知れません。米国のリベラルな会員仲間の影響もあると思います。不思議というか変わり者(少数派)の現会員です。
教会の監督から、菊池長老は伝道で非常に成功したと聞いた、と言うような事を聞いたことがあります。
〉〉神殿推薦状を持たないものが何を言おうと「信頼性のない噂話かサタンです」と簡単に片付けれ、相手にされないのが現状です。
某モルモンコミュニティサイトでこのことを話したら、「その人は活発会員ですか?」「批判家はどこからでも話をもってきますから」といって信じません。
熱心な会員にとっては拙速バプテスマなど批判家のでっち上げにしか移らないようです。
しかし、当時苦労した良識的な指導者や会員は記憶の中で深刻な問題が多かった時期と理解していると思います。
教会の中でも情報管理あるいは操作が作用しているのを感じます。
残念ですが、当時を詳しく知っていて殺到する苦情に対処すべく奔走した地方の指導者の多くが20年は休会状態で復帰してません。
中央幹部の決めたことに心の中であっても疑問を抱くのは大きな罪と思っているふしが見受けられ、活動参加と献身と引き替えに救済される考えに振り回されるのを厭うようになっては、他の指導者の冷たい視線が刺のように感じられ、上位指導者や幹部に従う者が優位に立ち非難の声すら出てきます。疲れてしまい、権威主義の世界から目を転じたらモルモン世界に魅力が感じられなくなっても何の疑問もありません(今となっては)。
脱会など考えもしない頃でしたので、元指導者の拒絶反応に愕然としました。
カトリックの教皇無誤謬説撤回や十字軍の遠征謝罪も知らず、そのような情報に触れることも情報規制に関する中央からの閲覧禁止令に抵触するとして神経質になっている古い信者もおります。
今は当時と状況が違うのだから省みてはならないと言わんばかりです。
地域ごとに出来てしまう暗黙の了解や、文字通りのローカルルールが作用しているのは否めません。
毎週たくさんの一度も見たことのない方々がバプテスマを受け、次の週にはもう来ないといった状態でした。今では信じられないような数のバプテスマがありました。
父はいつも難しい顔をして苦しそうでした。
なぜなら、毎月頭にバプテスマ者数前月比何%UPの目標を立てたかを伝道部長に報告しなければならず、そのステークの各ワードが何%UPを目標にしたか、前月は目標を達成したか、何人受けたかの一覧表が出されてたからです。
その紙は会員全員に配られてたのか、監督の家だからあったのかは定かではありませんが、父はその目標を立てることに抵抗を感じ、また目標達成に苦しんでいました。
父と母はいつも言い争いをしていました。
母は信仰をまだ持たない人を数のためにバプテスマするのはおかしいと言い、父はそんなことは分かっている!と言っていました。
しかし、伝道部長がたびたび訪問しては目標について言及し、達成するように説教していくのです。
私たちユースの子どもたちも、集会終了後に集められ、今月何人の友達に伝道します、などと発表させられ、多い数の目標を言った子供は「すばらしい!」と賞賛されました。私はこんなことおかしいと思っていたので、「私は数を目標にしません。なぜなら大切なのは数じゃないと思うからです。」といっては渋い顔をされました。
その後、隣の人と組みになり、福音を話す練習をさせられました。
伝道部長が残したものは、たくさんの心の傷とたくさんの不活発会員でした。
父は、若い子がたくさん教会に入ったために起きた、保護者からの非難の電話に対応させられ、不活発会員となった人々をフォローするのにつかれた補助組織の会長たちから
非難され、疲れきっていました。
目標が達成できなくなり、だんだんとバプテスマの予定者数と実際のバプテスマ数に開きがでてきた時、心配になった私は父に、大丈夫なのか?叱られないか?と尋ねました。
父は変な顔をしてちゃらちゃらとした様子で「その時はできませんでした!って言うさ!ハハハ」と目をひんむき、乾いた声で笑いました。私は父の様子に心がザワザワして怖かったです。
その後父は鬱病で寝込むようになり、会社をよく休み、私たち家族の経済状況は悪化の一途をたどります。その後ずっと今に至るまで実家は激貧です。
あの狂乱はなんだったのでしょうか・・。
当時、来なくなってしまった同世代のメンバーの名前を眺めながら、なんだか悲しくてよく泣いていました。
父の状況を思いながら、伝道部長を恨めしく思っていました。
家族の幸福が私の一番の望みだったのに。まるでノルマにおびえる営業マン家庭、でした。
幸せではなかった当時の教会の様子です。
どこの地方かは言えません。
すぐ私の家族、父が誰かわかってしまいますので・・・。
今まで長い間当時のこと、その時の気持ち、ずっと黙っていましたが、このような場所もあったと知っていただきたいと思うようになり、投稿させていただきました。
乱文ご容赦下さい。うまくまとめられませんでした。
気持ちの整理がついてないのかもしれません。
すみません・・。長文読んでいただきありがとうございます。
投稿の勇気と時間をとってくださったことに感謝致します。ご自身と実家の家族の方々の幸せを祈念致します。(強く生きていってください。)
高校生が多い教会で、教会に行くのが楽しかったし、本気で神様について考えていたので、HTとか熱心にやるべきだと思っていました。ですからたくさんの会員記録から探して、ただの高校生だったのに教会員の家を訪問して周り、あまりに福音の理解なしに教会員になった人の多さに驚き、バプテスマをした宣教師を憎みました。教えないでバプテスマをするなどもってのほかだと。
実際に不真面目な宣教師はたくさんいます。ただ2年間を過ごせばよいと思っている宣教師がいるのは事実です。私は、この拙速伝道時代以降にも問題のあるバプテスマを何件も見ました。
私は、監督をしたことが数年ありますが、このバプテスマはすべきではないと感じても自分自身の力でバプテスマを阻止することが、できませんでした。あきらかにふさわしくないままバプテスマを行ったのです。
今でもふさわしくないバプテスマは、行われています。このバプテスマをやめさせたら、宣教師がきずつくからという理由で、ただのイエスマンにバプテスマを施しているのです。ですから日本の活発教会員はずっと増えないのです。
いい加減、日の光栄、神権、神殿などという雲の上の話ばかりでなく日常生活のことを主題にしなければ、教会は衰退への一途をたどることになります。
ほとんどの日本人が、日常生活に関心があるのです。
ぼちぼち教会の中にそのような光が見えてきているようです。がまだそうでない方も大勢おられます。
完全な福音には、現代の日本人のニーズを満たすものがあるはずです
分かっていて正せないのは辛いことですね。どのように誰に意見を言えばよいのか、自分が意思決定できる地位につけば正す機会が出てきますが、それでも伝道会長の側に決定権があり、教会の現在の流れや雰囲気があり、どのように変えていけるか難題に囲まれているようなところがあります。勇気が要り、共通の意見を持った同士が要ります。
義理や人情でなく、本質から見る体制が、また現実的かつ実際的判断を宗教組織内でも下せる良識が求められると思います。
私も元暴走信者の若者(狂乱初期)でしたが、あの頃と同じ雰囲気で暴走している若者や日の浅い信者の暴走は目に余るものがあります。
伝道手法が少し変わっても、伝道する会員も拙いままです。菊池氏は今なお尊崇対象です。