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[ノート] 教会政治(運営方法)の面から見た類型

2011-02-03 17:30:56 | キリスト教
 中国のキリスト教会が急速に発展しているが、一体どのように運営されているのか三つの類型がどのように適用されているのか観察してみたいと思っている。そのためのノートである。同時にモルモン教会がどの型に当てはまるのかも見てみたい。



 以下、藤原導夫氏の説明「神の権威と教会政治」を短くまとめてみた。現在のキリスト教会は「監督制度」「会衆制度」「長老制度」の三形態に分類することができる。

1 監督制教会政治  
 聖書的根拠は次のようなところに求められる。「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」(マタイ16:18)ここに発する使徒の職務や権威の継承をもとにしている。初代教会では「監督」が教会を指導育成している例が見られるが、そのようなところからも範を採っている。実際には、ローマ・カトリック教会、ギリシャ正教会、聖公会、ルター派の一部、メソジスト派やその系列にある教派の一部などがそうである。
 この制度組織の構造はピラミッド型であり、権威は上から下へと流れくだるような性格を帯びる。教職者の人事などもそのような権威構造の中で決定されていく。
 モルモン教会も顕著な監督制の教会運営といえる。

2 会衆制教会政治
  監督制度の対局にある。聖書的根拠の一つは「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい」(Ⅰペテロ2:5)である。マルティン・ルターはすべての人が直接に神と交わりを持つことができ、執り成しの務めを託されているとした。「万人祭司説」である。会衆派の信徒理解はそのような見解に支えられている。そして、権威は限られた教職者にではなく、信徒の集合体としての教会に属するとされる。それゆえ会員すべてが出席する総会で事は確定され運ばれる。
  各個教会の独立自治(ローカルチャーチ・オウトノミー)が最も重んじられ、各個教会の判断や決定こそが最終のものとされる。したがって牧師の人事などに関しても各個教会独自の判断によって裁定されていく。バプテスト派、フレンド派、クエーカー派や単立教会など。
 モルモン教会は中央集権制が強く、会衆制の対極にある。しかし、大会(総大会、ステーク大会、ワード大会)は教会の人事、方針、宣言発表などについて会員全員に提示され、総意を得て運営されていく面をもっている。(ステーク大会の目的)。上記の総会に相当する。各個教会の独立自治(ローカルチャーチ・オウトノミー)についてもワードレベルにおいては制約があるものの相当程度該当する。例、ワード部内の人事、聖餐会の運営、諸活動の実施など、具体的には各ワードに任されている。

3 長老制教会政治
  聖書的根拠は、「使徒の働き」15章にエルサレム会議の様子がつぶさに記されており、使徒たちや長老たちの協議を通して、異邦人には割礼の必要のないことが確定されたことがあげられる。 ユダヤ教の長老制度をも視野に入れている。
  特定の代表者が選ばれて宣教や教会運営や直面する問題などに取り組む。しかも、問題の性格によってはより高次のレベルの教会組織にそれを持ち寄って最善の解決策を諮(はか)る。長老制度においてはこのようなところにも範をとり、「長老」たちを選んで説教や教会運営を託したり、このような代議制のもとに協議・合議を重んじて事を運ぶ在り方が具現化されている。長老たちに務めや権威を託してその指導に服するのである。
  長老たちの会議は「小会」(各個教会レベル)「中会」(地域教会レベル)「大会」(全教会レベル)と段階的に構成されている。会衆制が各個教会の完全な独立自治を採るのに較べ、長老制は各個教会の自律を認めつつも、それを越えたより広範囲における教会の長老会議による共同監督権を行使する(コーポレイティブ・リーダーシップ)ところに特徴を持つ。このような教会政治形態を採っているのはスイスの宗教改革者ジャン・力ルヴァンの流れに連なる改革派や長老派諸教会である。

 牧師などの人事について言えば、会衆制では各個教会が自主的に招聘するのに対し、長老制では中会がそれを扱い任命する。監督制においてはその組織体の最高位者が任命する。監督制度は中央集権的であり専制君主的暴政に流れる恐れがあり、会衆制度は民主的ではあるが衆愚政治に陥る危険をはらんでいる。長老制度はこのような両制度の中間に位置するような特徴を帯びている。

 モルモン教会ではステーク会長会が上記の中会に相当し、ワードの監督を任命する点が似ているといえる。

 藤原氏は結びで次のように言っている。「いずれにしても、私たちはこれらのタイプのどれかに属しつつ教会生活を送っているのである。実際にはこれらの三類型が明確なかたちをとって機能している場合もあれば、混合しあっているような場合もあるであろう。そしてまた絶えず変化もしている。」

 中国のキリスト教会では千人を下らない会衆が毎週集まる。一体どのように管理運営しているのだろうかという疑問が生じる。昔、キリスト教の種が蒔かれた頃の伝統が継承されていて、一様ではないと思われるがこの課題も負って観察を続けていきたいと思っている。

Source:
藤原導夫「神の権威と教会政治」

参考 本ブログ 2009/5/19 ステーク大会の目的は?


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