かねがね思案していたことがある。それは、中国の人権問題と日中友好など交流の兼ね合いをどのようにしたものか、という私にとってちょっとしたジレンマである。例えば、中国における人権状況を批判する見解を私は理解し支持する気持ちがあるが、論調や姿勢が厳しすぎるとどこまで関与してよいか躊躇する。
亡命者や取り締まりを受けた団体が海外で展開する運動は、遠慮なく声高に中国を糾弾して、エスカレートする傾向がある。You-tube で盛んに批判的な映像を流す地下教会の情報は、2,3本も見ると相手をこき下ろすアジ演説を見ているようで、一方的な感じを免れない。
確かに、指摘されているような事実があるかもしれない。しかし、メディア戦争を見ているようで、そのようなYou-tubeばかり見ている西側の視聴者が持つ中国の印象は、決してバランスの取れたものとは言えないであろう。公認の教会の発展ぶりが視野に入らないからである。
例えば、隣近所の家族の粗さがしをして、負の面ばかり強調したら、その家族とよい関係が築けるだろうか。国や団体の場合、改善すべき所に気付いたとしても、まず現執行部を尊重しなければならないし、窓口はやはり代表者を相手にしなければ話は進まない。
最近、在日中国人で亡命者と連携し人権問題で運動している文筆家劉燕子(リユー・イェンズ)さんと知り合いになった。非暴力を貫いて、良識的な姿勢の好人物であるが、どこまでコミットできるか今私は慎重である。自分が警戒されるようになっては、中国へ旅行することも困難になりかねないからである。(杞憂かもしれない。私の言動やサイトは警戒に値しない)。
もちろん劉さんが、「中国における人権蹂躙に日本人がもっと関心を向けてほしい」と言っているように、われわれは隣国に関心をもって今起こっていることを知ることが必要である。
[付記]
私は今チベットにおける信仰の自由侵害について「殺劫(シャーチエ)」と言う本を紹介されて読んでいる。また、ノーベル賞受賞が決定したが服役中の劉暁波(りゅうぎょうは)の功績について知らなければと思っている。更に薄熙来事件のその後、盲人の人権家陳光誠の去就についても強い関心があってTwitter などで追っている。それに家庭教会についても詳しく知る必要を感じている。
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