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著者の山形孝夫は、比較宗教学的あるいは宗教史的方法の成果を取りこまなければ、聖書学は学問としての普遍性と説得力を失うことになる、と言う。

一つの例として、創世記のヤコブ物語の中に出てくるヤボク河の組み打ちについて説明している。カナン入国を前にして岸辺で何者かと格闘するというあの場面である。この場面の説明はいろいろ読んでも疑問が残り説得力に欠ける。著者は、デンマークの宗教史家ペデルセンを引いて、実はヤコブの越境という不法行為を水際で防ごうとカナン側の守護神が迎撃した、(カナンの土地所有者が組み打ちをしかけた)、そしてヤコブが相手から祝福を取りつけたというのは、越境の許可を求め共存関係を確認したのだ、という。この解釈だとなるほどと思えると言う。私もずっと分かりやすく納得しやすいと感じる。

ところでこの本の書名は「治癒神イエスの誕生」であるが、他の病気治しの神と競合関係にあったことや、イエスの場合、不可触禁忌の対象にあった病人が社会的制裁を受けていたのを癒し、社会復帰させた(救済した)のだ、と社会的側面から説明し始める。当時力を持っていたアスクレピオスが外科的手術で名をなしていたのに対し、イエスは精神的疾患を治癒した例が多いこともあげ、イエスが勝利を収めたと言う。

ただ、癒しが生じたことについては、結局は神の力があらわれた顕現(エピファニー)の物語と解釈するしかない、本当に病気を治したかどうかは、いくらつきつめても謎にとどまるかもしれない、と率直に認めている。ともあれ山形氏の研究成果をまとめ文庫版にしたもので読む価値がある。

昔、1976年「思想」誌6月号で「治癒神イエスの登場:初期キリスト教成立前史」を大変興味深く読んだ記憶があり、あい前後して吉田敦彦「エフタの娘とイサク:聖書説話の神話的構造」(現代思想1975年11月)やリーチ「神話としての創世記」(現代思想1979/11)、James G. Frazer, “Folklore in the Old Testament” (太陽社。1980年。人類の創造、人類の堕落、カインの印、大洪水)などをじっくり読んで神話学からのアプローチが重要であると気付いたことであった。

神話研究は緻密かつ広範囲にわたる目配りがなされて、ある物語や章節の持つ意味が解析され、あるいは構造が示される。取り上げられた項目について、聖書など古典の理解が大幅に進められる。ただ、それはまだ断片的に見える、つまり聖書の内容を全部連続して説明してくれるというわけではない。それでも得られている知見を適用しないコメンタリーはお粗末に見えてしまう。(ついでながら、山形氏の最近出た類書について。聖書全体にわたって一般の読者対象に説明しようとすると、内容が希薄になってしまう恐れがあるのは残念である。詳細な考察過程が省略されるからであろう。)

山形孝夫「治癒神イエスの誕生」2010年 ちくま学芸文庫


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