情熱の薔薇

天幕旅団主宰:渡辺望が傾ける様々な情熱。

「沈思黙考」の情熱

2009-03-31 17:34:25 | Weblog
一旦、難しいなあと思ってしまうと、それはとても難しい問題になってしまう。

本来はとてもシンプルな話だし、大した事ではないのだが。

言葉にしてしまえば楽なのだが、そこには、迷いとか遠慮とか言ったしがらみが介在して、物事をひどく複雑に歪めてしまう。

いいものはいい、ダメなものはダメ。
はっきりと口に出して、もっと短絡的に、シンプルに物事が運べば、誰も悩む事はないんだがなあ、と思ったり。

だが、そういうわけにはいかないのがもどかしいところだ。

「空気の境目」の情熱

2009-03-29 22:45:42 | Weblog
電車で乗り過ごす。

ホントによく乗り過ごす。


電車に乗ってる時間は寝ている事が多く、はっと気付いたら目的地をとうに過ぎている。

すとん、と眠りが襲ってきて、時間をばっつり切り取っていく。


昨日、今日と、稽古場へ向かう山手線でたまたま座れる。
座ってしまったが最後。
気がついたら駒込だ。
池袋で降りるはずだったのに。


二日とも駒込で目が覚めたのは何故なのか。

そういえば、小田急線で寝過ごす時も、大概、新百合が丘だ。


電車で目が覚めるきっかけは、空気の変化なのだ、と聞いた事がある。

ある駅を境にして、土地の持つ空気が変わっている。
脳がそれを敏感に感じ取って目覚めるのだと。


巣鴨と駒込の間にはどんな境界線があるのか?

気になるところだ。

「あらかじめ」の情熱

2009-03-27 23:38:22 | Weblog
ものすごく満足をして劇場を後にする。


カンパニーデラシネラ新作公演
「あらかじめ」
at:青山円形劇場


最近、「好きな劇団は?」と聞かれると、劇団ぢゃないんだけど、、、演劇でもないんだけど、、、と言いつつ、このカンパニーの名前を挙げる。

ダンス?というか、マイム?というか。
でも、ストーリーもあって。
セリフもしゃべったりして。


その描き出す世界は、夢、がモチーフになる事が多く、見ているうちに、なんだかふわふわした感覚に囚われて行く。

まさに、村上春樹ワールドだ。


身体表現の生み出す様々な「悪夢」。

面白かった~。




んで、終演後、宮益坂の中腹にあるオムライス屋さんへ。

フリフリのエプロンをつけた店員が居る、完全に女性向けなお店。
一人では入れないわ。。。と思いつつ。

オムライスとハンバーグのプレート。



食器をよく見ると、


ウサギだ。
アリスだ。

なんかテンション上がる。


なんだかアリス関連のモノには過剰に反応してしまう昨今。

公演準備もいよいよ本格化。

「カオス」の情熱

2009-03-25 23:50:15 | Weblog
上手く回る稽古場ってなかなかないなあと思う今日この頃。

稽古場をプロデュースしていくのはやはり演出なわけで。
その舵取り如何で、稽古場はいかようにも転がっていくし、ひいては、作品の出来に影響する。

だから、演出は、常に正しい目を持っていなければならないし、求める理想像に達するために、「今」何をするか、を考えていることが大事なのだ。

役者として参加していると、余計に客観的な目を保つ事ができてしまうので、色んな粗が見えてしまう。


現場ごとに、ルールやしきたり、信念があったりもするし、外の人間は従うしかないのはわかっているけれど。

なにかできないか、と思って、結局なにも出来ないのはとてももどかしい。

「スパイラル」の情熱

2009-03-23 00:13:29 | Weblog
芝居を見に来てくれたお客さんに書いてもらう、アンケートというのがある。

終演後に、今見た芝居の感想とか意見とか、思いの丈を綴ってもらう。

作家にしろ演出家にしろ役者にしろ、それは自分達の作って来たものに対する評価であり、以後の芝居作りにおける参考に大いになる、べきものだと思う。


が。

最近、このアンケートに書かれた言葉を過信する人々に、ホントに危機感を覚える。

「アンケートも、概ね好評で」と言う言葉で、自分の作った芝居を『成功』と位置付ける演出家に立て続けに出会い、戸惑う。

言葉は悪いが、馬鹿ぢゃないか、とさえ思う。


身内のお客さんが多い小劇場の芝居で、辛辣で的を射たアンケートって、そうそう出会うことはない。

そもそも、ほとんどのお客さんが出演者の誰かの知り合いなわけで、アンケートに綴られる言葉は、労を労う言葉が主になる。

「お疲れ様でした」的な意味を多分に含んだ「面白かったです」だ。

それを、「好評」と受け止める事の恐ろしさよ。
それで満足なんかしちゃったら、何もよくなんかならない。

小劇場の負の連鎖だ。


終演後の言葉などに惑ってはならない。

劇場の、上演中の、その「空気」で判断すべきだ、と切に思う。

「化学変化」の情熱

2009-03-21 23:40:19 | Weblog
久々のWS。

二日間を、なんだかとても楽しく過ごす。


一日目は、ほぼみんな初参加。

最初は緊張が見えたけど、徐々に雰囲気を掴んでくれた様子。

みんな結構理解が早いなあと思ったので、割と難しめなワークをやってみる。

いつもはできるまで結構時間がかかるのに、サクッと成功したりする。
ミラクルだ。


二日目は、ヤマトWSにはわりかし慣れたメンバーが多く。

役者さんではない人も何人か居たりして、素敵な化学反応が起きる。

演技、というよりは、もっと間口を広げて、「コミニケーション」について考えるような内容にしてみる。


ワークへの取組み方、反応、受信・発信、どれをとってもみんな、それぞれで。
それが合わさった時に生まれる空気は、とてもスリリングだし、素敵だ。

ホントに面白い。

「説明不足な徒然」の情熱

2009-03-19 00:37:16 | Weblog
既にそれは起こってしまった事であり、終わった事なのだ。

ただそれを、認識したのが今、事実だと認めたのが今というだけのこと。

今何をじたばたしても、遅い。

そこには迷いなんてない。
「相談」ではない。
単なる「報告」だ。

僕に入り込む余地などない。
表情を見ればわかる。


まあ、そういうこと。
それだけのこと。

「ふたつめ終わり」の情熱

2009-03-17 08:32:41 | Weblog
さて、客演ふたつめ終わりまして。

ふたつめは、前回が終わってから三週間で本番。
初めて参加するカンパニーで、こんなに短期間で芝居を作ったのも久々。

二月のは大人数の芝居でしたが、今度のは六人芝居。
当然、個々のしゃべる分量も多くて。
更に、経済学の用語やらがたくさんあり、台詞がなかなか入らず、台本が手放せない日々が続く。


「演出家の言葉」について多くを考える現場だったように思う。

言葉の量は多いのだが、そこから情報を汲み取るのが難しく、何を求めているのか、何を目指しているのかがなかなか分からず、苦労をした。

役者にとっては、演出家の発信する情報は大事な道標なわけで。
それは少な過ぎても多過ぎても、道に迷ってしまうものなのだ、と再認識する。
(ただし、それは課程の話。迷ったからといって、最終的に進む道が見つからないとは限らない。それは、「効率」という言葉に変換されるような問題だ。)


「舞台上で、演じる事を楽しむ。その楽しさを伝える。」という事を繰り返し言われる。

「演じた結果、楽しかった」と、「楽しもうとして、演じた」には、埋めようのない溝があると思うのだけれど。


さて、ふたつめが終わればみっつめの稽古が始まっている。

まずはまた、環境に慣れることからだ。

「杏仁」の情熱

2009-03-15 23:58:24 | Weblog
客演ふたつめ終わり。

帰りがけ、なにか自分にご褒美をあげて甘やかそうとコンビニに。

普段買わない、高いデザートとか買っちゃうと思いながら物色。

物色。

物色。。。

食指を惹かれるもの見つからず。


結局、いつも買うような低価格デザートに落ち着く。


貧乏性。。。

「またもや麻布十番」の情熱

2009-03-13 23:32:27 | Weblog
さて、小屋入り。

つい先月も同じ劇場に居たのに、と思いつつ。

けれども今度は人数が少ないので、舞台も楽屋も広く使える。
自分の鏡前があるのなんて久々。

仕込むものも大してないので、サクッと終わるかなと思いきや、意外とあれやこれやかかる。

それぞれが、もっと自分の役割をちゃんと理解すればいいのになあと思う。


先月とは、装置も役者も違うのに、なんだか全体を覆う空気みたいなものな共通項を感じる。

それはきっと、劇場そのものの持つ空気なんだろうなあ、と勝手に思う。

さーて。