情熱の薔薇

天幕旅団主宰:渡辺望が傾ける様々な情熱。

「バードとスワン」の情熱

2015-06-09 15:59:02 | お題でエッセイ
お題でエッセイ、です。
今回のお題は、「バードとスワン」です。

映画のお話です。
最近やってた「バードマン」と少し前に公開していた「ブラックスワン」。
作品の結末にかなり言及していますので、
2作品見てない人は、今回はスルーして下さい。

それでは、どうぞ。

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「バードマン」については、思うところが結構ある。

総じて、ブラックコメディという括りになるのだろう。
というか、作り手としては笑ってもらうように意図して作ったのではないかと思う。(ホントにそうかどうかは当人ではないからわからないけれど。)
けれど、僕はあんまり笑えなかった。
それは、映画的に面白くないとかそういう事ではなくて。
作り手が意図したギャグを、ギャグとしては受け止められないというか。
客観的に見て笑い飛ばすことの出来ない、
文字通り「笑えない」場面が目白押しだったからだ。

演劇を作る人たちの話なのである。
画面の向こうで起こることは、他人事には見れなかったのだ。
役者が全然言う事聞かない、だとか。
プレッシャーでどんどん追い詰められていく、だとか。
あの、予告編でも流れてたパンイチのシーンだって、
どうすんだよ、本番中だよ、舞台止まっちゃうよ!というハラハラの方が圧倒的で、パンイチで街を歩く面白さみたいなものは一切感じられなかった。
ブラックに笑い飛ばしてください、という場面場面がことごとく、
「痛い」シーンの連続で、見てて辛い映画だったのでした。

で。
ここからが一番引っかかるところ。
日本とアメリカでは、舞台興行の形態が違うのだろうから、
僕の違和感は的外れだとは思うのだけれど。
やっと迎えた初日でああいう事になり、絶賛を浴びてラストシーン。
「舞台って、初日で絶賛されたらもういいモノ?」と。

至高の演技を目指して稽古を重ねる。
悩んだり挫折しかけたり、あらゆる苦難を乗り越える。
そして最高の初日を迎えて絶賛を浴びる。
ここまではわかるけれど、舞台ってそれで終わりではないのでは?と。
二日目、三日目も、アタリを出して、常にベストであり続ける。
そして千秋楽の幕がおりて初めて、めでたしめでたし、では?と。

同じ感想を持ったのが、少し前の「ブラックスワン」。
奇しくも鳥つながりのこの映画も、同じ事を思った。
あれだけ悩んで気が狂いながら稽古して、
初日でベストの演技が出来たらもういいです、みたいな。
千秋楽で死ぬならまだわかるけど、初日でしょ?と。

至高の演技・ベストな舞台、がワンステージだけできたらそれで満足なのか?
なんだかそういうことではないような気がずっとしている。
ベストが常に出るように、全ステージ100点が出るように、
そのために稽古をするのではないのか。

芸術に対する考え方というのは、人それぞれあると思うので、
芸術論をテーマにすえた作品というのは、見方も人それぞれであろう、と。
僕には疑問を残した、「バードとスワン」でした。

「タイトル会議」の情熱

2015-05-27 10:01:26 | お題でエッセイ
お題でエッセイ、です。
今回のお題は、「タイトル会議」です。

夏興行のチケット予約受付中。

天幕旅団 ♯10
「僕の中にある静けさに降る、騒がしくて眩しくて赤くて紅い雪」
2015/7/9(木)~7/13(月) @SPACE雑遊
ご予約は、https://ticket.corich.jp/apply/65213/002/

それでは、どうぞ。

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僕の場合は、だけれど。
ひとつの作品を作るとき、まずタイトルが一番最初に決まる。

次回の作品の題材はこれで、こういう感じの物語にしよう、っていうざっくりとした構想があって、それを書き始めるよりも前に、宣伝とか諸々の都合でまず、タイトルを決めなくてはならない、ということになる。
実際の上演の、半年前ぐらいにはタイトルを決めて、宣伝を始める。

実際に脚本を書き始めるのはタイトルよりも後なので、
決めたタイトルが脚本執筆の方向性を大きく左右する。
執筆の刺激を与えてくれるタイトルを付けられると、筆の運びが軽やかになったりするものだ。
なので、タイトル決めはとても重要である。

天幕旅団を旗揚げして、今度の作品で10本目。

♯1「エメラルドの都 ~sentimental happy days~」
♯2「天幕版 東海道四谷怪談」
♯3「SUPER☆STAR」
♯4「僕の中にある静けさに降る、騒がしくて眩しくて赤くて紅い雪」
♯5「弔いの鐘は祝祭の如く」
♯6「波よせて、果てなき僕らの宝島」
♯7「星降る闇にピノキオは、青い天幕の夢を見る」
♯8「Heavens ~夜と夜と音楽~」
♯9「夜よ、水際に揺らぐノートルダムの夜よ」
そして、♯10、
「僕の中にある静けさに降る、騒がしくて眩しくて赤くて紅い雪」の再演。

今回再演する「紅い雪」は、とにかく長いタイトルだ。
そもそも、長いタイトルをつけようと思って考えたような記憶がある。

当事の自分が脳内でどんなタイトル会議をしていたのか想像してみると、
意識していたのは多分、ひとつは、その年にちょうど劇場公開していた映画だ。
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」。
作品内容ももちろん素晴らしくて、大好きな映画だけれど。
このタイトルが、すごく秀逸だなあと思っていた。
見る前から色んな想像を喚起してくれる気がして。
そういう雰囲気のタイトルをつけようと思っていた。

もうひとつは、クラムボンの「Sooo,Quiet」という曲。
これはなんか、テーマ曲というか、作品を書く上で指針となった曲で。
淡々と、時間がただ静かに過ぎて行くような。
執筆をしながら、エンドレスリピートで聞いていたような気がする。

んで、この二つが合わさってつけたタイトルが、
「僕の中にある静けさに降る、騒がしくて眩しくて赤くて紅い雪」です。
今夏、再演です。

「時よ、止まれ」の情熱

2015-05-16 07:47:15 | お題でエッセイ
お題でエッセイ、です。
今回のお題は、「時よ、止まれ」です。

これは、三年前の夏にやったお芝居の時に、チラシに掲載した文章です。
過去に綴ったモノは、時が経てばどんどんと埋もれて忘れていってしまうなあと思い、掘り起こし。
実はその三年前の作品を、今夏再演するものですから、この機会にチラシの文章も、再掲。

ちなみに、本日5/16 午前10時からチケット予約開始。
よろしければ是非、見に来てくださいませ。

天幕旅団 ♯10
「僕の中にある静けさに降る、騒がしくて眩しくて赤くて紅い雪」
2015/7/9(木)~7/13(月) @SPACE雑遊
ご予約は、https://ticket.corich.jp/apply/65213/002/

それでは、どうぞ。

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♯3「時よ、止まれ」

天幕旅団を旗揚げる前、劇団をやっていた。
大学の劇研の同期で結成した団体で、2010年の活動休止まで丸十年、
僕らは稽古場で、劇場で、共に時を過ごし、色んな作品作りをした。

まだ学生の時分、旗揚げ公演の初日。
準備も整い、外では受付も始まっていた。時間になればお客さんが入場を開始する。
刻一刻と近づく本番。ここから全てが始まるのだ、というある種気負いのようなもの。
その高揚感はとてつもなく大きく、僕らはいつまでも楽屋に戻ろうとはせず、
走りこみをしたり、台詞を暗誦したり、舞台と客席をうろうろしていた。
僕らは、緊張していた。というか、緊張しすぎて舞い上がっていた。

その曲をかけたのは、ホントに偶然だった。
舞台の仕込をしながら聞いていたCDが、たまたま残っていたから。
THE BLUE HEARTSの水色のジャケット。
音響ブースに駆け上がって、プレイボタンを押した。
身体の中からこみ上げてくるこの抑えようのない熱のようなものを、
とにかく一度発散しておかないと、本番前にショートしてしまうのではないか、
そんな気がしていたのだ。
「永遠なのか、本当か、時の流れは続くのか?」
スピーカーから流れる歌声に合わせて、声の限り僕らは歌った。
外で並んでいるお客さんにも絶対聞こえているような、大音量だった。

以来、僕らは本番前にその曲を聴くのが決まりごとのようになった。
劇場の中を大音量で満たし、そして、歌う。
準備が遅れて開場直前までリハーサルをやっていたりした時を除いて、
劇団の公演ではほぼ全ステージ、僕らはその曲を聴いた。
初めて参加する客演さんは、それを見て驚き、まるで儀式のようだ、と形容した。
確かにそれは、僕らの中でもはや儀式と読んでもいいような、
欠かすことのできない特別な意味合いを持っていた。


2010年の夏、活動休止公演の時も、僕らは変わらずその曲を聴いていた。

この曲が終われば、お客さんが入場し、そして、本番が始まる。
やがて、幕が下り、舞台セットをバラし、なにもなくなる。
僕らが過ごした時は、泡沫の夢のように消えるのだ。
身体の中が、芯から熱くなっていくようだった。

劇場の中には大音量で、聴き慣れた歌声が響いていた。
声を合わせて大声で歌う者、ストレッチをする者、小道具を確認する者、
各々が開演前の時を過ごす。全てはいつも通りの風景だった。
スピーカーの向こうの美しくて真っ直ぐな声は歌い続ける。
この曲がいつまでも終わらなければいいのに、僕はそう願い続けた。


「いつまで経っても変わらない、そんなモノあるだろうか?」
変わらないモノを求めて、終わらないモノを求めて、永遠を求めて、
僕は今も、そんな風に思いながら、作品を作っている。


「好きな髪形・嫌いな髪形」の情熱

2015-05-04 10:51:45 | お題でエッセイ
「お題でエッセイ」です。
テーマを決めて、思うことを徒然に綴ってみます。
あ、週刊、ぐらいの間隔の予定です。
第二回のお題は、「好きな髪形・嫌いな髪形」、です。
それでは、どうぞ。

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♯2「好きな髪形・嫌いな髪形」

本番が近づき、稽古も佳境になってくると、
役者から「明日美容院行こうと思うんですけど、髪切っていいですか?」
とか聞かれることが多くなる。
「切っていいですか?」とか「こういう髪形にしようと思うんですけど」ならまだいいが、
「どういう髪形にしましょうか?」と聞かれたらもうお手上げである。
そういう時は、「なんでもいいよ。・・・似合えばね。」と言う事にしていた。
最近は、実希が衣装・メイク、ビジュアル全般を担当してくれるようになって、
「実希と相談して」と言って任せられるので、とても楽になった。

髪形にしろ衣装にしろ、自分にはとにかくファッション的な感覚がないと思っているので、
そういう部分の決定はホントに苦手である。
今回はこういう作品だから、というコンセプトとか方向性については決められるので、
打ち合わせの段階での話し合いは出来るのだけれど。
ぢゃあ、こういうのありますけど、と持ってきて、
役者に着てみてもらった時のA案とB案のどっちがいいか、決めてしまっていいかどうかすごく困る。
自分のファッション感覚に自信がないので、ホントに自分の好みで大丈夫?と思ってしまうのだ。

もしかしたら、目が悪いせいかもしれない、とか思ったりもする。
普段あんまり見えていない、というか、見ていないからかもしれない。
移動中とか、眼鏡をかけずに裸眼で歩いているものだから、
人の顔も装いも、ぼんやりとしか認識していない。
知り合いとすれ違っても声をかけられるまでわからないのだから、
ましてや、行き交う見知らぬ人々の髪形も服装も、ほとんど認識していないのだ。
なので、あんまり気にしていない、というか、気にならない。

因みに、自分の髪形で言うと、長めなことが多い。
床屋に行くのがどうにも苦手なため、頻繁に足を運ぶことができないからだ。
切ってもらっている間の、店員さんとの会話がどう広げていいかわからないのだ。
なので、ギリギリもう邪魔で無理だ、と思うまで我慢をしてから切りにいく。
最近は、近所で無口な床屋を見つけたので、少しは行く回数が増えたけれど。


実家で見つけた、大学生の僕。
学内にテントを張って芝居をしていた頃の写真。
このころはずっと長髪でした。
ヘンな顔をしてるのは、多分、自分なりのアントニオ猪木だと思います。


一番短かったのは、四谷怪談をやったとき。
坊主頭は涼しくてとても楽だった。

「キャラクターのTシャツ」の情熱

2015-04-27 23:14:38 | お題でエッセイ
「お題でエッセイ」です。
テーマを決めて、思うことを徒然に綴ってみます。
第一回のお題は、加藤晃子からの出題。
「キャラクターのTシャツ」、です。
それでは、どうぞ。

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♯1『キャラクターのTシャツ』

先月のことだが。
映画シリーズ35周年の記念で、タワーレコードがドラえもんとコラボしたTシャツを発売した。
どうしても手に入れたいと思っていたのに、
発売日から数日の後に店舗に足を運んだところ、
既にLサイズの大きなモノしか店頭には残っておらず。
諦めきれずにネット上で在庫を探して、Mサイズを発見。
本当は、Sサイズが一番いいのだけれどと思いつつ、
Mでもいいから欲しい、と注文し、やっと入手した。
赤字で大きく「No music,No life」と書かれたそれを着ていると、
3人に2人は、「タワーレコードの回し者?」と聞いてくるが、
着ている本人はえらく気に入っているのだから、いいぢゃないか、と思っている。

いつ頃からドラえもんが好きだったのかと聞かれることも多いのだが、
多分、生まれた時から、なのではないか、と答えることにしている。
本棚には単行本と大長編、全巻揃っているし、
幼い頃はアニメも毎週欠かさずに見ていた。
けれどもっと前、それこそ、物心付く前から、
おそらく僕は、ドラえもんを知っていたはずなのだ。
ただしそれは、少し変わった色をしている。
小さな赤い、ドラえもんだ。

手のひらぐらいの大きさのぬいぐるみを持っている。
今でも枕元に飾って大事にしている。
だいぶ擦り切れて汚れも目立つのだが、僕の宝物だ。
これは、祖母が手作りしてくれたものだ。
いつ貰った、とかそういうことは覚えていないのだが、
気がついた時にはそれは僕の手元にあって、以来ずっと持っている。
だから多分、僕と同じぐらいの年齢なんぢゃないかと思うのだ。

赤い身体をしている理由は、ホントによくわからない。
ミニドラ、なんていうキャラクターが登場するよりもずっと前に作られたモノだ。
たまたま赤い生地しかなかったのか、白黒の漫画を参考に作ったから色がわからなかったのか、
そんなところではないかと思う。

小さな赤い、ドラえもん。
これが僕の原体験だ。