情熱の薔薇

天幕旅団主宰:渡辺望が傾ける様々な情熱。

「いかれ具合」の情熱

2009-06-29 11:54:26 | Weblog
副都心線の新宿三丁目駅では、アリスがお茶会やってました。

稽古場でも、連日、パーティーのようなわちゃわちゃした感じの作品が立ち上がっています。

登場人物達が、ほぼみんな、いかれているのがなんとも見ていて愉快です。

あと二週間で本番です。
売り止めの回も出てきました。
ご予約はお早めに。

「熟」の情熱

2009-06-25 17:02:32 | Weblog
稽古の前に下北駅前で台本を読み返し、演出について思いを巡らす。

普段は台本が遅いので、新作の場合は台本書き上げたら本番、と言うことがほとんど。

けれども今回は再演。

台本の改訂もできたので、ここから演出を詰めていくのだ。

アイデアを一杯詰め込んだ、ぱっつんぱっつんな芝居にしたいのだ。


近頃、マクドナルドにホントよくいる。
ネットが繋がるのと、充電ができるから。

眼下には、本多グループの芝居の看板。

結構みんな、足を止めて見ていく。
あそこにチラシ貼れるようになりたいなあ。

「恥ずかしさ」の情熱

2009-06-17 17:15:04 | Weblog
小道具を探しに渋谷を徘徊してたら、シアターコクーンで「桜姫」が上演中なのに気付き、当日券にふらふらと並んでしまった。

特設舞台で、アクティングエリアが客席に大きく張り出していて。
たまたま席の都合で、役者さんにめちゃくちゃ近いところでの観劇となる。

南北戯曲と長塚戯曲の共通項はドロドロしていることだ、とか。
ラスト近くで見せる勘三郎さんの人間くささの熱、とか。

見どころはたくさんあったけど、特に発見だったのは、串田さんの演出のスタンス。

醒めた視点が常にある、というか。
「演じている」という感覚を常に観客に提示しているのだ。
見世物として、舞台上にいるから登場人物として演技をする。けど、舞台を降りたら・衣装を脱いだら、ただの「役者」なんです、と。

その「やらされてる感」がすごく共感できて。

演技って、すごく恥ずかしいことで、役になりきって演じるなんて行為は、僕にはなかなかできない。
役になりきってる人の演技を見て、「うわ」って思う事もよくある。

串田さんの演出には、その演劇に対する「照れ」みたいなものが感じられて、すごく心を掴まれた。

面白かったなぁ。

「近い」の情熱

2009-06-05 08:38:02 | Weblog
最近、トイレが近い。
なぜだかわからないけれど、近い。

近い、というと語弊があるかもしれないが、トイレに行く回数が増えた気がする。

脚本を書いている期間は、まあ、パソコンに向かっている時間が長いので、それと共に何らかの水分を取る事が多い。(大体コーヒー。)

問題はこの後で、コーヒー一杯飲んだら、暫くして必ず、その分トイレに行きたくなる。

これがなんでなのかわからないのだけれど、以前は、そこまでトイレに立っていた記憶がないので、確実になにか変化が起きているのだ。

汗をかいてないのだろうか。
身体が水分を摂取してないのだろうか。

謎だ。

「境目」の情熱

2009-06-01 23:50:18 | Weblog
劇場に足を運ぶ。

そこでは、演技、が行われていて、観客はそれを見る。

それはもう、大前提として誰もがそのつもりで劇場に行く。

演技、というベースはある上で、上手いとか下手だとか、リアルだとかそうぢゃないとか、様々あるわけだ。


劇場ではない空間で行われるお芝居って時々あって。

で、先日見に行った。

それは大前提として「お芝居」なんだけれど、空間が、お芝居ではないように錯覚させる。

開演前、イスに座って始まるのを待つ間、完全にお芝居を見る感覚を失っていた。

だって、そこは、日常はお芝居が行われる空間ではないのだから。

で、役者さんが出て来て一言目を言った瞬間。
「あ、これは演技だ」って思ってしまったのだ。

そこに、リアルと演技の境目を見たのだ。

貴重な体験をした。