愛媛県議会議員選挙も終わり、やっと平常どおりの生活に戻れました。
選挙で遅れていたこと、後回しにしていたこと、・・・こんなにも遣り残していたのか。
これに取組みたいと取り寄せていたものも、時間が経ってしまうと、いまいち気分が乗らないものです。
思った日が、思いついたときが吉日ですね。
愛媛新聞に親鸞が連載されており、毎日楽しみにしていますので、
今日は菊谷隆太先生の親鸞聖人に学ぶ「生きる意味」からを。
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仏教に『語殺』という言葉があります。
言葉は人を殺す、ということです。
「あの時、あの人から、
あの場所で、
あのように言われたことは、
もう10年以上経っても
忘れられないんです。」
と目の前で泣かれたことがあります。
仏教では『舌刀』とも言われます。
舌は刀となって、
人を殺す、という意味です。
言った方は自覚がなくても
言われたほうは死ぬまで忘れられないものです。
ずっと苦しみ続けている。
別れた男性が、破局後に
自分のことを会社の同僚に
悪く言っていることが
回りまわって、聞こえてきたそうです。
「今まで付き合っていた時間がすべて否定された感じがする」
とその女性は言っていました。
■悪口は、聞かされる人も
嫌な気持ちにさせます。
今までそんなこと思っていなかったのに、
悪口聞かされているうちに
自分まで悪口言われていた人に
負の感情を持つことになる。
あるいはまた
「自分もいつかこんな風に言われるんでないだろうか。」
と悪口言っている人に
疑心暗鬼になる。
汚染された海に魚が住めないように、
悪口だらけの職場や家庭には
健全な人間関係は育まれないのです。
■さらに悪口の罪について
文豪トルストイの言葉も
胸に刺さります。
“悪口は言われた人も、
聞かされる人も傷つけるが
いちばん傷つくのは
非難をあびせている当人である。”