(エンドウの花、10月に種まきしたものが12月には花が咲き始めました。暖冬・・・寒波・・)
理念思考、図の中心に位置する思考です。その特徴は言葉による思考です。互いの意思疎通をはかり、考えを伝え、思いを言葉に託して表そうとします。実生活で正確にコミュニケーションがとれるのも言葉であり、言葉での思考は自分の考えをすっきりさせてくれるものです。
何より、科学や思想、文化など、人間社会そのものが言葉で成り立っています。理念思考は、社会をつくる人間の必要不可欠の思考ということが出来ます。
しかし理念思考は、言葉の限界をそのまま引きずっています。誰もが共有する言葉は便利ですが、個人の内にある心は言葉にならないのが常ですね。
自分の思いを言葉にして伝えると、内心ではちょっと違うんだけど・・・という思いがよく起こります。それでも発した言葉は独り歩きしていきます。厳密に考えると、言葉は100%虚構性があると見なければなりません。心の真実は言葉にならないのだと思います。
そこで、人は感情に走ります。論理が破たんしたら感情が動き出すのです。心の真実をそのまま体で表現するわけです。言葉での理解は得られませんが、真実そのものですね。しかし感情的な態度は、コミュニケーションに向きませんね。
そこで人は、言葉の破綻を理性的に受け止めます。それを冷静に表現しようとして二つの思考が生まれます。
ひとつは、言い表せない真実をそのまま、たとえば、「神」と名付けた箱に入れて理解しようとる思考です。この思考はまだ言葉を使う思考であり、閉鎖的ですが、論理性があります。これを宗教的、神秘的思考と呼びます。
もう一つの方法は、完全に言葉を使わないで真実を表現しようという思考です。芸術や、愛情表現など、感性をそのまま使うもので、感性的思考と分類しました。文学や芸能等は、言葉を絵の具のような感覚で使っていると考えれば、同類ですね。
思考はこのように、分類できますが、実際には一つの動きだということですね。この総合的な思考の流れが、私たちの日常をつくりだしているわけです。そこに喜びと苦悩が生み出されるのです。(面白いと思いませんか?)
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