先日書きました田村慶子さんの作陶は私の心に大きな波紋を投げかけてくれたように思います。
正直、そのひたむきな、形の追求に動かされました。
人の生死観と心の流れが、自然に生まれてくるような、
それでいて、火に焼かれる激しさを内に秘めている覚悟がある。
そんな造形に嫉妬を感じたほどです。
眼で焼き物の表面をさわっていくと、
自分の心の中に、心のかたちが生まれていくのが分かります。
その時、私の心に写し取られた形は、全く違和感がない私の心だということがわかるのです。
受容によって作者の表現が自分のものとなって動き出す。
伝わるというのは
心から心へ波紋を呼ぶということ。
それぞれの閉ざされた心の空間に、受容者が己の形を創っていくということなのでしょう。
優れた作品は、何の抵抗もなく観るものに波紋を受け渡すということなのかもしれません。
そのもっとも大きな特徴は
「私はこうだ!」という力みがなく、自然体を実現していることでしょうか。
それを、私の言葉に翻訳しますと。
「宇宙につながる思考」が体現しているということなのかもしれません。
冒頭で嫉妬と書きましたが、
私が自分で気付かないところから、嫉妬が生まれたようです。それは、自作に対しての心の乱れから自覚出来ました。
その乱れというのは、いつまでたってもうだつの上がらない自分というような思いにつながる雑念です。
そしてその心の流れのまま身をまかせていると、その雑念が苦悩を生みだしているのをリアルタイムで観ることが出来ました。
そしてその雑念をたどっていくと、すべてが己につながって行くのです。
つまり、それは己につながる思考そのものだったのです。
己を見つめると
自然に答えが見えてくる。
その答えは。
作品そのものにありました。
無心でそれを眺めたら、
作品が私を宇宙に連れて行ってくれる。
すると不思議なことに
心の乱れが消えている。
私の思考が、宇宙につながる思考に切り替わったのです。
すると嫉妬は微塵もない
私は私の自然を生きたらいいのだと、思えるのです。
心が伝わるというのは
こういうことなのだろうかと。
さえずりや
立体空に
拡がりぬ
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