
種子から新たな命が誕生する
描くべき対象は本願を思いついたときからすでに決めている
そして私のもっとも苦手なもの
ふわっとして、暖かく穏やかな透明感をもつ胎児の姿だ。
私の筆力では、あの姿を描くことはできない。出来れば避けて通りたいのだが、そういうわけにもいかなくなった。本願を描くためには欠くことのできない姿なのだ。
直接目にすることはできないが、
胎児の映像は最も身近に、わが子の姿を目にしたのが最初だった。
妻のおなかで、気の遠くなるようなドラマが展開している。
たった2つの細胞が人として成長していくというこの真実を私たちはどうとらえたらいいのだろう。その存在そのものが本願を現している。
どのように言葉を使っても、言いつくせない心をえぐられるような真実。
それが胎児の崇高なドラマだ。
そこでは愛という言葉さえ片鱗の花びらに過ぎない。
胎児は無駄に消えた何兆個もの精子のドラマの上に成り立っている。
愛にある裏側の厳しさは計り知れない。
「浄土」本願、2作目はそんな思いで描き進めた。
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