前回の記事を投稿した金曜日の夜に、テレビで「かりそめ天国」を観ていたら、漫才師の「U字工事」さんが、湯西川温泉では鯉のぼりを出さないという話をしていて、なんとタイムリーなことだと思いました。
朝食後に、ロビーでコーヒーを出してくれるとのことで行くと、テーブルの上に苔玉が置いてあり、窓際では苔玉を売っていました。
Hさんは、「人字草(じんじそう)」の苔玉を買うと言っていたので、私も真似して買いました。
写真はお借りしましたが、かなり立派な門ですよね。
階段を昇って行くと、存在感のある顔の狛犬がいました。
後ろを振り返って見ると、山並みが美しいですね。
説明文を読んでもイマイチわからなかったので、調べてみました。
古い神社でしたが、ここにもご挨拶してが大事だったようです。
確かに戦国時代は、男の子は殺され、女の子は政略結婚のために使われていた感じですから、鯉のぼりは男の子がいると、宣伝しているようなものなのでということでしょうか。
さて、11月10日の朝は、前日とは違いとてもいい天気でした。
妹の旦那さんのHさんは、地図をチェックしてどこに行こうか決めているようでした。
前日は、雨だったしどこにも行っていませんでしたからね。
妹に私が、
どこに行くの?
と聞くと、
知らない。いつもミステリーツアーなのよ。
と、言っていて、私もいつもついて行くだけなので、Hさんに任せればいいのねと思いました。
朝食は、前日と同じの個室でしたが、おかずも沢山あって、ご飯もとても美味しくて、つい食べ過ぎてしまいました。
朝食後に、ロビーでコーヒーを出してくれるとのことで行くと、テーブルの上に苔玉が置いてあり、窓際では苔玉を売っていました。
Hさんは、「人字草(じんじそう)」の苔玉を買うと言っていたので、私も真似して買いました。
ユキノシタの仲間で、花の形が漢字の「人」に見えるからだということですが、かわいらしいですね。
ロビーには、蓄音機とかオルガンの骨董品が置いてありました。
Hさんは、紅葉で有名な瀬戸合峡(せとあいきょう)に行こうとしていたらしいのですが、なかなかたどり着かなかった時に、「栗山東照宮」という門を見つけて、行ってみようということになりました。
写真はお借りしましたが、かなり立派な門ですよね。
しばらく行くと駐車場があり、民宿村のような感じの集落になっていました。
奥の方に、赤い鳥居が見えたので、そちらに向かって行きました。
階段を昇って行くと、存在感のある顔の狛犬がいました。
東照宮です。
立看板に、説明文が書いてあります。
後ろを振り返って見ると、山並みが美しいですね。
説明文を読んでもイマイチわからなかったので、調べてみました。
幕末の1868年から1869年に掛けての、戊辰戦争の時に、新政府軍は幕府軍を追い詰めていました。
鳥羽伏見から、最後は函館まで行って戦っていたのですから、大きな戦争ですね。
そこで、日光東照宮にある、徳川家康の御神体が焼かれてしまわないように栗山村の方がずっと隠して守っていたそうです。
先祖代々守っていたのですが、昭和45年に発見されて、そこから栗山東照宮を建てることになったようですよ。
その当時は、かなり話題になったらしいですが、もう50年前なので、私を含め知っている人は少ないですね。
東照宮の階段を降りたところで、Hさんが
あれ?赤い鳥居はまた別の神社なのかな?
行ってみよう。
と言って左手の方に向かいました。
古い神社でしたが、ここにもご挨拶してが大事だったようです。
なぜなら、駐車場から栗山東照宮の山道は、2キロくらいあるようですが、あり得ないくらいの葉っぱが降ってきたからです。
眷属さんなのか、喜んでいただいたようですね。
続きます。
びっくりしました。本物?本当?もしや、かってに………むらおこし的な………
いやいや、新たなる発見ですね🤗
「青天を衝け」を、ずっと観ていたので、明治維新は本当に大変な戦乱だったのだと思いました。
新政府軍は、薩摩と長州が主体だったので、遠いところから攻めてきたのですね。
徳川家を敵としていたのですから、大事な御神体を隠したというのは、納得出来ますけどね。
栃木生まれのあなたが知らないくらいですから、私はまたひとつ勉強になりました。