デメテルの次に話してきたのは、キクリヒメでした。
キクリヒメです。
Iさんに、伝えて欲しいことがあります。
はい。
ヒミコのことです。
ヒミコは今は、白山の仕事をしていますね。
ギリシャに行くと言っているので、お願いしたいのです。
ギリシャの脛(すね)に傷持つ神のところに行ってください。
どこに行けばいいのですか?
○○○の神殿に行ってくれればいいです。
行くだけでいいので、伝えてください。
お願いします。
宝の人達が繋がって嬉しいです。
キクリヒメは、何だか必死な感じだったので、Iさんにそのままを伝えました。
ヒミコさんは、Iさんと一緒に東尋坊に行った方で、北陸の白山の世界遺産の登録に向けての仕事をしているそうです。
東尋坊では、まさかの本多忠勝の話になってしまい、ヒミコさんの先祖の方が、加賀百万石の前田家の家臣になっていたらしいという話に繋がっていきました。
私は、そもそも「本多忠勝」を知らず、回りの人に聞くと知っている人が多くて、結構有名な武将だったのだと、認識をしました。
「徳川四天王」と言われていたのですね。
前回、Iさんがギリシャに行っていた話を記事にしましたが、その後すぐにヒミコさんも仕事でギリシャに行くようになったそうで、だからキクリヒメが言ってきたみたいですね。
それについては、Iさんが「東大徒然」で、記事にしていました。
抜粋すると、
よくよく考えれば、東大の有名な「赤門」や上に記した「心字池」とは、
江戸時代、加賀藩主「前田氏」が作ったもの。
東大の土地も、元は前田氏の所領だったもので、要は、加賀前田氏の江戸での滞在地。
そして前田氏の加賀藩とは「東尋坊徒然」で記した通り、
ヒミコさんの故郷であり、今も住んでいる場所。
藩主の前田氏は彼女のご先祖様が使えていた御方。
ここで僕とヒミコさんの頭には「東尋坊徒然」で記した色々な事が駆け巡り出しました......
不思議な流れ......
ナニカを小さく抑えるための?流れ......
そして、ラインでの会話をもう少し記せば、
僕が、近くギリシャに行くのだけど......と話すと......
「え、私もギリシャです!」
抜粋終わり
🐷東大徒然
二人が、打ち合わせもなく行っていたのは、東大の中にある、「地震研究所」だったそうで、やっぱり不思議な流れを感じてしまいます。
そして、6月7日にも、キクリヒメは話してきました。
キクリヒメです。
昨日は、(伝えてくれて)ありがとうございました。
いいえ。
ギリシャの○○○の神殿にいる神は、私の友達なのです。
神殿にただ行けばいいのですか?
行ってくれればいいです。
問題は、ありませんよ。
ヒミコは、がんばってくれると思うのでありがたいです。
東尋坊の禍(まが)が無くなったからですよ。
ヒミコの先祖のことですが、前田家の家臣になっていたのは、本多政重でしょう。
本多政重の父の本多正信の代に、尾張から加賀に来ていたのですよ。
本多忠勝は、とても慈愛のある人でした。
ヒミコの先祖の友達だったのです。
🐷東尋坊徒然 6
友達は、大切にしたらいいですよ。
友達が助けてくれるのは、輪が出来ていくからです。
M子さんは、中心になっていればいいですよ。
北極星のようにね。
回りに回る人達と、距離感が大事です。
いつも一緒にいる訳でもないし、いつも話している訳でもないのに、会えば分かり合える人達が、増えればいいのです。
かつてのことがわかってくれたから始まりましたね。
十津川のタコのことが、わかる人がいるとは思いませんでした。
鹿島のナマズと熊本のボア・コンストリクターのことがわかってくれたからですね。
我が国は、宝の国なのですよ。
それがわかっていない人が沢山で、残念です。
ドンクという妖精が来ていますよ。
話したらいいです。
キクリヒメが言っていたことは、私はブログを始めてから様々なお友達が出来て思うことです。
大体の方が、ブログを初めから読んで下さっているので、しばらくぶりにお会いしても、日記のような話なので、私が詳しく説明しなくても、わかってくれるので、助かるのですね。
最後にドンクという名前が出てきましたが、少し前にクシナダヒメが、言っていた話に繋がっています。
Iさんが、ギリシャのアテネのパルテノン神殿に行った時に、蝶の写真を送ってくれましたが、それがドンクだったということだったのですね。
続きます。
キクリヒメです。
Iさんに、伝えて欲しいことがあります。
はい。
ヒミコのことです。
ヒミコは今は、白山の仕事をしていますね。
ギリシャに行くと言っているので、お願いしたいのです。
ギリシャの脛(すね)に傷持つ神のところに行ってください。
どこに行けばいいのですか?
○○○の神殿に行ってくれればいいです。
行くだけでいいので、伝えてください。
お願いします。
宝の人達が繋がって嬉しいです。
キクリヒメは、何だか必死な感じだったので、Iさんにそのままを伝えました。
ヒミコさんは、Iさんと一緒に東尋坊に行った方で、北陸の白山の世界遺産の登録に向けての仕事をしているそうです。
東尋坊では、まさかの本多忠勝の話になってしまい、ヒミコさんの先祖の方が、加賀百万石の前田家の家臣になっていたらしいという話に繋がっていきました。
私は、そもそも「本多忠勝」を知らず、回りの人に聞くと知っている人が多くて、結構有名な武将だったのだと、認識をしました。
「徳川四天王」と言われていたのですね。
前回、Iさんがギリシャに行っていた話を記事にしましたが、その後すぐにヒミコさんも仕事でギリシャに行くようになったそうで、だからキクリヒメが言ってきたみたいですね。
それについては、Iさんが「東大徒然」で、記事にしていました。
抜粋すると、
よくよく考えれば、東大の有名な「赤門」や上に記した「心字池」とは、
江戸時代、加賀藩主「前田氏」が作ったもの。
東大の土地も、元は前田氏の所領だったもので、要は、加賀前田氏の江戸での滞在地。
そして前田氏の加賀藩とは「東尋坊徒然」で記した通り、
ヒミコさんの故郷であり、今も住んでいる場所。
藩主の前田氏は彼女のご先祖様が使えていた御方。
ここで僕とヒミコさんの頭には「東尋坊徒然」で記した色々な事が駆け巡り出しました......
不思議な流れ......
ナニカを小さく抑えるための?流れ......
そして、ラインでの会話をもう少し記せば、
僕が、近くギリシャに行くのだけど......と話すと......
「え、私もギリシャです!」
抜粋終わり
🐷東大徒然
二人が、打ち合わせもなく行っていたのは、東大の中にある、「地震研究所」だったそうで、やっぱり不思議な流れを感じてしまいます。
そして、6月7日にも、キクリヒメは話してきました。
キクリヒメです。
昨日は、(伝えてくれて)ありがとうございました。
いいえ。
ギリシャの○○○の神殿にいる神は、私の友達なのです。
神殿にただ行けばいいのですか?
行ってくれればいいです。
問題は、ありませんよ。
ヒミコは、がんばってくれると思うのでありがたいです。
東尋坊の禍(まが)が無くなったからですよ。
ヒミコの先祖のことですが、前田家の家臣になっていたのは、本多政重でしょう。
本多政重の父の本多正信の代に、尾張から加賀に来ていたのですよ。
本多忠勝は、とても慈愛のある人でした。
ヒミコの先祖の友達だったのです。
🐷東尋坊徒然 6
友達は、大切にしたらいいですよ。
友達が助けてくれるのは、輪が出来ていくからです。
M子さんは、中心になっていればいいですよ。
北極星のようにね。
回りに回る人達と、距離感が大事です。
いつも一緒にいる訳でもないし、いつも話している訳でもないのに、会えば分かり合える人達が、増えればいいのです。
かつてのことがわかってくれたから始まりましたね。
十津川のタコのことが、わかる人がいるとは思いませんでした。
鹿島のナマズと熊本のボア・コンストリクターのことがわかってくれたからですね。
我が国は、宝の国なのですよ。
それがわかっていない人が沢山で、残念です。
ドンクという妖精が来ていますよ。
話したらいいです。
キクリヒメが言っていたことは、私はブログを始めてから様々なお友達が出来て思うことです。
大体の方が、ブログを初めから読んで下さっているので、しばらくぶりにお会いしても、日記のような話なので、私が詳しく説明しなくても、わかってくれるので、助かるのですね。
最後にドンクという名前が出てきましたが、少し前にクシナダヒメが、言っていた話に繋がっています。
Iさんが、ギリシャのアテネのパルテノン神殿に行った時に、蝶の写真を送ってくれましたが、それがドンクだったということだったのですね。
続きます。
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