パラグアイ日系移住の歴史は70年。私が住んでいた移住地は45年なので
子どもの頃に移住した人は,そこで育ち,親になっています。
私が日本語学校で教えていた9年前の生徒たちは,その子どもたちで
両親とも日系1世の日系2世がほとんどでした。
ということは,おじいちゃんおばあちゃんも1世。家族みんな日系人(日本人)
なので,スペイン語が苦手な子が多かったなぁ
例えば,お母さんがパラグアイ人,お父さんが日系1世でも子どもは日系2世
と呼ばれますが(本人たちは1.5世とも言ってましたが)
児童生徒数の1割もいなかったと思います。
日本語学校は各日本人会が運営している私塾のような存在ですが
9年前は両親共に日系1世という家庭が多かったからでしょうか
日系人(日本人会に入ってる人?)は全員通っていました。
日系4世,5世の時代になっているブラジルを見ると,先祖は
日本人だけど,自分はブラジル人だから日本語学校には行かない
という人がパラグアイに比べるとだいぶ多いようです。
とは言っても,就職に有利だとか,家族の薦めで日本語を勉強し日本に留学する人も多いです。
世代が変わると,日本語を学ぶ動機も変化していきますよね。
パラグアイでは,まだまだ
日系人が日本語学校に通うのは当たり前,という感覚のようでした。
日系「移住地」と呼ぶのは,自分たちの「手」でジャングルを切り開いて
自分たちで住むところを,畑を,家を,学校をつくってきたからだと思います。
最初から,住む「街」が用意されていた訳ではありません。
南米のどの国に移住した人も,大変な苦労をされています。
中でも,ドミニカ移住訴訟で注目されたドミニカ移民に関しては,移住した「土地」
がとても農業に向く土地ではなかったのです。
(要勉強です…)
私が住んでいたイグアス移住地は,アマゾン川支流沿いの肥沃な土地に
恵まれ,大豆の単位収穫量は世界的に見てもかなりレベルが高かったです。
JICAの農業試験場もあり,大豆以外にも小麦や野菜,果物(よくメロンをもらってました)
の生産が盛んでした。
「○○移住地」と呼んでいても,行政上は○○市町村なので
もちろん日系人だけが住んでいるわけではありません。
日系人がまとまって住んでいて,日系人口の割合が高い地域ということでしょうか。
私が住んでいたところは,人口1万人に対して日系人千人(10%が日系人)でした。
パラグアイの人口約600万人に対して,日系人は約7千人。
パラグアイ人口の1%強ですが,農業を通じて国に大きな良い影響を与えていることは
間違いなさそうです。
近年は,日本語を勉強したいというパラグアイ人が増えてきて,日本語学校に
非日系コースができたのが,私が赴任する前(10年ぐらい前)でした。
最近は非日系のためのコースも増えたようです。
日本語学校の授業料は,JICAボランティアの生活費(任国の公務員初任給程度)
をベースに考えると,その1割ぐらい(当時生活費は360ドル,授業料は1カ月30~40ドルぐらい)
だったので,日本語学校に通わせる余裕のある家庭は,パラグアイの中では裕福な家庭だった
と言えると思います。
日系人は,パラグアイの中で見ると裕福な部類に入ります。日系人にも,もちろんいろんな人がいて
謙遜ではなく「いやぁ,うちは全然…」なんて言っている人も,パラグアイの中ではお金持ちです。
そういう面では,パラグアイの中の日系社会は,世界の中の日本を見ているようでした。
■ パラグアイ日本人会連合会 イグアス移住地紹介のページ
■ イグアス農業協同組合
子どもの頃に移住した人は,そこで育ち,親になっています。
私が日本語学校で教えていた9年前の生徒たちは,その子どもたちで
両親とも日系1世の日系2世がほとんどでした。
ということは,おじいちゃんおばあちゃんも1世。家族みんな日系人(日本人)
なので,スペイン語が苦手な子が多かったなぁ
例えば,お母さんがパラグアイ人,お父さんが日系1世でも子どもは日系2世
と呼ばれますが(本人たちは1.5世とも言ってましたが)
児童生徒数の1割もいなかったと思います。
日本語学校は各日本人会が運営している私塾のような存在ですが
9年前は両親共に日系1世という家庭が多かったからでしょうか
日系人(日本人会に入ってる人?)は全員通っていました。
日系4世,5世の時代になっているブラジルを見ると,先祖は
日本人だけど,自分はブラジル人だから日本語学校には行かない
という人がパラグアイに比べるとだいぶ多いようです。
とは言っても,就職に有利だとか,家族の薦めで日本語を勉強し日本に留学する人も多いです。
世代が変わると,日本語を学ぶ動機も変化していきますよね。
パラグアイでは,まだまだ
日系人が日本語学校に通うのは当たり前,という感覚のようでした。
日系「移住地」と呼ぶのは,自分たちの「手」でジャングルを切り開いて
自分たちで住むところを,畑を,家を,学校をつくってきたからだと思います。
最初から,住む「街」が用意されていた訳ではありません。
南米のどの国に移住した人も,大変な苦労をされています。
中でも,ドミニカ移住訴訟で注目されたドミニカ移民に関しては,移住した「土地」
がとても農業に向く土地ではなかったのです。
(要勉強です…)
私が住んでいたイグアス移住地は,アマゾン川支流沿いの肥沃な土地に
恵まれ,大豆の単位収穫量は世界的に見てもかなりレベルが高かったです。
JICAの農業試験場もあり,大豆以外にも小麦や野菜,果物(よくメロンをもらってました)
の生産が盛んでした。
「○○移住地」と呼んでいても,行政上は○○市町村なので
もちろん日系人だけが住んでいるわけではありません。
日系人がまとまって住んでいて,日系人口の割合が高い地域ということでしょうか。
私が住んでいたところは,人口1万人に対して日系人千人(10%が日系人)でした。
パラグアイの人口約600万人に対して,日系人は約7千人。
パラグアイ人口の1%強ですが,農業を通じて国に大きな良い影響を与えていることは
間違いなさそうです。
近年は,日本語を勉強したいというパラグアイ人が増えてきて,日本語学校に
非日系コースができたのが,私が赴任する前(10年ぐらい前)でした。
最近は非日系のためのコースも増えたようです。
日本語学校の授業料は,JICAボランティアの生活費(任国の公務員初任給程度)
をベースに考えると,その1割ぐらい(当時生活費は360ドル,授業料は1カ月30~40ドルぐらい)
だったので,日本語学校に通わせる余裕のある家庭は,パラグアイの中では裕福な家庭だった
と言えると思います。
日系人は,パラグアイの中で見ると裕福な部類に入ります。日系人にも,もちろんいろんな人がいて
謙遜ではなく「いやぁ,うちは全然…」なんて言っている人も,パラグアイの中ではお金持ちです。
そういう面では,パラグアイの中の日系社会は,世界の中の日本を見ているようでした。
■ パラグアイ日本人会連合会 イグアス移住地紹介のページ
■ イグアス農業協同組合