ゆくさおさいじゃした

子どものこと,鹿児島のこと,手作りのことなど。。

にがごりの佃煮

2007-06-27 | ☆手作り☆


いよいよ,にがごい,ゴーヤーの季節!
あちこちから頂いて,毎日毎日苦瓜三昧の日々がやって来ます。
酢の物,天ぷら,チャンプルーに飽きて,何か他のレシピを…
と教わったのが,「にがごりの佃煮」

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

にがごり 1kg (大3本ぐらい)
砂糖 300g   
酢 1cup
醤油 1cup
削り節  小袋4つ(しいたけ,桜エビでも可)
ごま   少々

にがごりは湯通しして絞ってから30分ほど煮る。


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産後の食事の支度や買い物が心配だったので,妊娠中に
生協の個別配達や出来上がりおかずの宅配
を手配しておいたのですが,おかげでだいぶ助かっています。
これでも足りないときは,仕事帰りに主人に買ってきてもらえばOK!
早速醤油が切れたので,買ってきてもらって佃煮が完成しました。



息子の体重の増え方が今ひとつ…
と言われていて,1カ月健診まで毎週体重チェックに行くのです
が,先週は17.5g/day 体重増。30gは欲しいところ…なんだそう
です。私が見る限り,元気で (途中で寝てしまうけど)
おっぱいも吸う気満々なので
あまり気にしないようにはしているのですが,やっぱり心配です。
「なんとか母乳だけでいけませんかねぇ…」としつこく言っていた
ので,今回まではミルクを足さず,様子を見ることになりました。

まわりの人が,「うちもそうだったよ。大丈夫!」
「そのうち体力がついてちゃんと飲めるようになるから,
このまま母乳をあげなさい!」
と言ってくれるので,それが支えです!

明日が体重チェックの日。来週はもう1カ月健診!早いなぁ。

生まれました! ~出産顛末記~

2007-06-14 | ☆日記☆
6月5日(火) 20時32分 2415gの男の子が誕生しました!
赤ちゃんはまだ入院中ですが,体重も順調に増えていて
そろそろ退院の予定です。早く一緒に暮らした~い!
私は,わが子を思いながら3時間おきの搾乳と1日1回授乳のために
病院通いをしています。

母乳オンリーで育てたかったのですが,産後私が薬を飲んでいたこと,
未熟児なので,体重を増やさないといけないという理由から
はじめのうちは混合になってしまいました。
臨月にならないうちに(早産)生まれた赤ちゃんを
未熟児と言うそうです。
我が子は,未熟児にしては結構体重もあったし体もしっかりしてたので
保育器から出たらもう大丈夫なんじゃないの?
と素人考えだったのですが

「体重はあっても,産み月になっていない『未熟』な状態。
臓器が未熟なんですよ。小さく産まれても産み月に生まれて
いれば,ちゃんと成熟しているし,小さい体も
その子の個性だからね。」

と言う先生の説明に納得。

予定日は7月10日だったので,そろそろ手作りグッズを
完成させないとなぁ
とか,髪を切りに行かなきゃ。と思っていた矢先の出産でした。

6月3日(日)妊娠34週5日
外出先で出血して,そのまま病院→入院
切迫早産という診断で,子宮収縮防止剤の点滴をしながら
まずは,35週越えを目標に
(34週までの出産だと大学病院送りになってしまう)
次の目標は37週まで持たせること。
「少し長い入院になりそうですよ。あははは。」
なんて,看護師さんたちと談笑していたのも束の間。
だんだん血圧が上がり始め,血圧を測ったり,モニターをとったり
まわりが慌ただしく動き始めました。
「これ,お腹がかなり張ってるんだけど分かりますか?」
と聞かれても,いつもこんな感じだったので張ってるとか張ってないが
分からない…

6月4日(月)妊娠34週6日
今までの妊婦検診の経過(尿タンパクが出ていた)
昨日,今日の血圧から判断して,立派な「妊娠中毒症」(しかも重症)
と診断されました。
(今は「妊娠高血圧症候群」と名称が変わっています)

「『アルコール中毒』を治すには,体からアルコールを無くさないと
いけないでしょ。だから『妊娠中毒』(高血圧による悪影響)
を治すには,妊娠を終わらせないといけない。
このまま妊娠を継続させるのはかえって危険だから
早産になりますが,出産の方向でいきましょう。」
陣痛促進剤,血圧コントロールの点滴に替わりました。

ええ~~~っ?!
もう,産まないといけないんですか??
パニックになって,その日の夜は泣き明かしてしまいました。
当直の若い女性の先生が
「もし,中毒症になる体だと分かっていたなら,ここまで体がもった
ことが良かったと思おう!体もよくがんばったよ。
あと2時間経てば,35週0日に入るからここで産めるよ。」
と,枕元でやさしく話をしてくれました。

6月5日(火)妊娠35週0日
昨日の夜から陣痛促進剤の点滴が始まりましたが,すぐ陣痛がつく
とは限らないし,個人差が大きい,という助産師さんの話。
夕食(18時)の頃になってもまだ痛みも全然ないし,
今すぐ生まれることはないだろう,と
主人と母は食事をとるために一旦病院を離れることに。
しかし!その頃からだんだん腰が痛くなり始め
出血も量が多くなってきました。
不安になって「この出血,胎盤が剥がれたとかじゃないですよね?」
と看護師さんに確認すると
「子宮口が開くときにある出血で,おしるしのようなものですよ。」
と言われたので,「そうなんだ…」と思っていたら
モニターを見ていた先生が
「破水だ。この波形は★■○,いや□◎★……
帝切!主治医を呼んで,人を集めて!!」

それから病院中の先生と看護師さん助産師さんが集まってきて
あれよ,あれよという間に手術室に運ばれていきました。
胎盤が剥がれ始めていたのです。

緊急帝王切開で,麻酔を打って麻酔が効くまで10分ほど待たないと
いけない…でも,一刻も早く赤ちゃんを取り出さないといけない
というジレンマの中,本当に幸いなことに子宮口が8cm開大
になっていたので,切開を止めて,吸引分娩をすることになりました
陣痛も吸引も痛かったですが。とにかく酸素を吸うことだけに
集中していたので痛みをあまり覚えていません。
後処理をし始めた頃に麻酔が効いてきました。

主人が病院に帰ってきた頃には,もう生まれていました。
その日の夜は,興奮と不安で涙は出るし,しゃべりまくるし
麻酔のせいであくびばかりしてるのに,このまま眠ったら
目が覚めないんじゃないかと本気で心配して
必死で眠気に抵抗していました。

実は二人の命が危なかった,と出産後数日経ってから
主人に聞かされました。

主治医の先生にも「この病院でよかったよ。」
と言葉少なに言われました。
母子共に元気なうちに対応がとれる
早めに危険な状態を見極めることができる
医者はいない。だから,この病院でよかった。ということでした。
他にも,その場に医師が3名もいたこと
(ぎりぎり)35週に入っていたこと
赤ちゃんが息をしたこと(肺が完成していなければ危険)
子宮口が8cmまで開いていたこと(子宮口の開きがすごく早かった)
などなど幸運が重なって,今,無事に親子共にいることができるんだ
と思うと感謝の気持ちでいっぱいです。

這えば立て,立てば歩めの親心
成長するにしたがって,もっとこれができるようになって欲しい
という欲や悩みが出てくるものだと思いますが
「生まれてきてくれてありがとう」という気持ちをずっと忘れずに
持ち続けていたいと思います。