世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

残像(3)長浜のあんしゃんの家

2018-03-19 | 記憶の切れ端

 

 

福岡県八女郡の祖母の兄の家に落ち着いた。

隣町に自宅があったが、満州に移住している間は貸家にしてあり、

明け渡しに数ヶ月かかったようだ。

祖母の兄一家はこの地で標準的な農家で、牛馬、犬もいて、みそ醤油も自家製で、

土間には大きな筵織り機があった。

当時の農作業で使われた機具類が殆どそろっていた。

到着した頃は、ボクには九州弁が全く理解できず、

祖母や母が自由に話す姿を不思議に思った。

 

牛、馬、犬、納屋と蛇

はじめて馬の手綱を持ったとき、僕が、歩くといつまでも馬が付いて来るので、

ボクは次第に恐くなって慌て始めた。泣き顔になっていたかもしれない。

そんな光景を見て祖母の兄はボクをからかい、面白がっていた。

何かの拍子に叱られて納屋に閉じ込められた。蛇がいるぞと脅された。

納屋の中は、

土臭く、黴の匂いのような、もろもろ乾燥したような特別の空気が感じられた。

祖母の兄は寡黙だったが、いつも優しい目をしていた。

 

月とリヤカー

自宅に引っ越した後も、祖母は食料を得るためにたびたび兄の家を訪れた。

祖母とその兄は仲が良かった。

行くたびにボクと妹は祖母の引くリヤかーに乗っていた。

今思えば、3キロちょっとの道のりだが、小学一年前後のボクには遠かった。

帰りはいつも夜で、眠たさもあり、空にある月がいつまでも離れないので、

帰り道をいっそう遠く感じたものだ。

 

市場の花屋

父は出征したままシベリアに抑留されていたので、

生計のために母は露店の花屋を始めた。

町の中ほどにある神社の境内が急造の市場になると、その一角で小さな花屋を続けた。

あの困難時代になぜ花屋だったのかわからない。花の卸屋に知り合いでもいたのか? 

花の売れ行きはわからないが、母はきわめて社交的で楽しく市場生活をしていたように思う。

この市場はボクの遊び場でもあった。

ある初夏、神社の樹木に毛虫が異常発生し、無数の毛虫が地上をも這い回り、

とても気味が悪かったことを記憶している


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