世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

残像(4) ばあちゃんのまんじゅう、船焼き

2018-03-19 | 記憶の切れ端

 

戦後しばらくの間、子供のおやつなど気の利いたものなど有る分けない。

根っからの百姓女だったばあちゃんは、

腹を空かした孫たちにあれこれおやつを作ってくれた。

さつまいを輪切りに小麦粉の衣を着せて蒸かした芋まんじゅうや、

薄めに溶いた小麦粉に少し塩味をつけ、フライパンに薄く円形に伸ばしただけの、

ふな焼きと呼んでいた。具がない素朴なクレープだ。

 

ばあチャンのおっぱい

ボクは小学校の低学年の頃まで、

ばあちゃんのおっぱいをしゃぶっていたような記憶がある。

甘えん坊ではなかったはずで、なんでそんな大きくなってもと

自分のことながら思い出すたびに不思議に思える。

幼年時に欠かせない肉親との接触欲を祖母の胸で満たしていたのだろう。

 

ばあちゃんのキュウリと小菊

小学校低学年の頃だったと思うが、ボクの右肘にイボが出来た時、

ばあちゃんが庭の隅の畑からキュウリをモギって二つに切ると、

一方の切り口をボクの肘のイボにしばらくこすりつけた後、

切ったキュウリをもとの通りくっつけて、畑の土にキュウリの頭を少し出す格好で埋め

てしまった。こうするとイボが取れるというのだ。もちろんイボは取れなかった。

別には、

丸坊主のボクの頭髪の色が薄めだと言って、庭のひな菊を何本かひねって来ると、

その葉をちぎってもみ始めた。

ばあちゃんは、べちゃついたその葉っぱと汁をボクの頭にたっぷりと塗り付けた。

うーん、これも効果があったとは思えない。

ほかにも、ばあちゃんが知っていたおまじないがたくさんあったようにおもう。

 

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