世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

NATOだって・・

2024-09-12 | 日本人の性分

📌

もう一つのNATOのこと・・

外国から見た皮肉では、日本人や日本社会は何事につけてNATOであるらしい。

No-Action,Talk-Only という意味という。

議題に出す認識はあるが、積極的には踏み出さない社会と皮肉られている。

そして今一つ、too little, too late とも・・

事に当たって、出遅れて効果が薄く、しかも対応の質量が小さいということだ。

軽口だろうけど、案外にマトをついている。

 

私たちの生活周辺でも何事も当初は、

周りの気配を見た挙句に、様子見が良策とされがちだ。

なかなか、先陣をきらない。横並びの安心や前例を選んでしまう。

それらの方策にも利点はあるが、昨今の激変し続ける国際環境では、

こころもとないこと夥しい。先進事例を例外と見るべからずである。

情報や技術の平準化と増幅によって、着想と具現化が世界中で煮えたぎっている。

先進性を先取りできずとも、流れに棹差すような鈍ではいられない。

 

 

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極めつきの幻

2024-09-12 | 「鰯の頭も信心から・・」

📌

いちばん身近で究極の幻想が宗教であろうと思う。

レトリックが達者になると、宗教者になれる。

宗教はレトリックの総本山である。

達者なレトリックと詐欺師の違いは紙一重である。

 

どの宗教もその黎明期と異なり、学派や分派が派生すると、

伝える言葉も儀式も過度に装飾されていく。

宗教者は言うだろう、世界中が我が宗教に帰順すればいいと。

自分たちの信仰の価値観こそ、人や社会の生きる道だと。

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マウントする

2024-09-12 | 「鰯の頭も信心から・・」

📌

人の道を説き、愛や慈しみを語る宗教の歴史の実態は、

専ら権威と排他を増幅させてきただけである。

どの時代をとっても戦争の土台、残虐の歴史を含んでいる。

信仰の清らかさを謳う舞台裏は、単に傲慢と差別と憎悪の博物館である。

それでも人々は、信仰する。清らかな幻想に救われたいのだ。

 

神が存在するかしないを、考えてみようとは思わない。分からない。

だが、人間の顔をした神や神の子がいたという、その言い方は馬鹿臭い。

神の子出現前の万年を超えて存在した人々を、

人間の基本を持たない夥しく未開な存在だとするのだろうかと、問いたい。

 

宗教者たちが、自らを気高い伝承者らしく装うのが滑稽である。

宗教行為に、仰々しい舞台を設けて、いちいち儀式を重んじるという事が、

既に、伝承はそうした演出がなければ説得力を持たないという事を示している。

 

人々は、求めるものがたくさんあり過ぎて、誰かから知恵を借りたい、頼りにしたい、

慰められたいといった気持ちが、絶えなく生じて、一生拠り所を求める生き物である。

それに応えてくれる賢者がどの時代にも出現して、人々はその声に耳を傾ける。

そういうことはあるだろう。

 

だから、その言葉を伝承したい者達が出て来ても不思議ではない。

だが、それが必然としてシステムとなり、団体の布教活動となる。

彼らは断固とした自己肯定で、影響力を広げようとし始める、それが使命だと。

だが、歴史を辿れば、それは分派を生み出し、

まもなくして枠外を異端とする排他主義に陥り始める。

その宗教活動は政治的に動き出し、専制国家を超えるような戦略を展開して、

世界に諍いと陵辱の種子を撒き散らしている。

 

それが人々の基本的な弱点を補う賢い言葉であっても、

その言葉が生まれた時代の状況が土台になっている。

人の精神の有り様は遺伝的にコピーされ続けているから、その言葉の力が依然として、

一部では有効であろう。

であっても、一方で自分たちで戸惑ってしまうほど、スケール違いの破壊と創造の状況を

人々は作り続け、積み重ねている。

社会の力動は、幾層も複合してお化けのように掴みどろろを見えなくしている。

 

宗教は、支配欲の強烈さが潜在しているシステムなのである。

人々は、善意を持って、敬ってすっかりその暗示にかかってしまう。

頼りになる進言をいつも待っているからだ。

マザコンから自立できない大人たちが多いから、宗教団体には、いつも好都合な環境が

待っている。

 

宗教者たちは人々をマウントしたがる。現実世界で生活していないにも関わらず、

宗教者は精神的に優位にあると勘違いしはじめる。

なにごとであれ、神の言葉の伝承者として見通し出来ると思ってるようだ。

が、マウントされる側に、問題があるのがそもそもの前提である。

苦しみが多くて報われないと、人々は思いがちである。

悲しみに耐えられないと、誰かに訴えたがる。

自分は清い生き方をしていると、確かめたがる。

いつも神に許しを得ていると、思いたい。

人々の依存心は、宗教の美味しい食材である。料理のしがいがあるに違いない。

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もっともらしいおママごと

2024-09-12 | 「鰯の頭も信心から・・」

📌

宗教の儀式は、どう見ても大人のおママごと。

僧侶や信者になって、お祈りごっこをする遊び。

信心ばかりでは生活できないので、何かの折に纏めて信心ごっこをすること。

 

人が善良であるためには、神や宗教が必要と考える人は、

心理の均衡が保てず弱々しいのではないかと私には見える。

立ち続けるために、杖がないと不安になってしまうのだ。

自分で立てる能力を育てずに、初めから終わりまで柱に寄りかかっている。

その安心が堪らなく気持ちが良いらしいのだ。

 

しかも科学の明解さを示されても、大胆に無視してしまう分からず屋である。

白を白と認めない狭量さ。その上に排他の度合いはいつも諍いを産んでいる。

全ては科学性によって生かされている事を知らずに生きているだけだ。

神を信じることは人間にだけできることだ、と優越に思ってるに違いない。

崇めれているその神とは、先人が妄想し、脚色したフェイク話を伝聞したに過ぎない。

史実にしては矛盾だらけである。

そうであっても信じたい、信じてしまう人々なのだ。

 

被暗示性がまことに強いと思う他ない。

神が与えたルールブックがないと、人は善良になれないと思っている。

 

人が善良であるために、荘厳な建物や芝居がかった儀式にひれ伏す必要などこにもない。

思考停止のなかでの自慰行為である。

 

忌まわしい事に、現実世界はそうした宗教がさまざまな諍いを生み、

人類に残酷な悲劇史を産む動機のひとつになっている。

人々の錯覚が次々とと盲導へ突き進んでいる。

宗教に依らない善良と安心の方が、ずっと純粋に気高い。

 

 

 

 

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強権の方便

2024-09-12 | 国々の正義・・・

 

📌

北朝鮮を見ても,中国を見ても,

社会主義的体制は、その前提として一括統制、排除、専横で成立つ政治だよ。

仮に国民は不満でも,窮屈でも黙ってしまうからね。それが狙いさ。

支配者が社会をマウントするために、強烈な統制が威力ある武器なのさ。

内を向かっても,外に向かっても排他一本でゴリ押しする官僚構造なんだよ。

見方を変えれば、統制を強めることでやっと社会を動かしてるだけよ。

強固であればあるほど、一般庶民は発想も行動も箱詰めにされる。

民主社会も弱点が多いが言論や行動の規制が、強権社会よりはるかに

少ないだけでも得点だよ。

世界の実状は、しかし強権政治の国が数多くある。

 

📌

久々に共産党の委員長が交代した。

知るかぎり、日本の共産党はこの70年ほどずっと投票率は7%前後のようだ。

70年も国民に余りアピールできていない証左であろう。

7%分の投票は実際の政治場面で影響力を持てない死票同然とも言える。

 

この党はこの80年の間委員長が3人しか変わっていない。

今度でやっと4人目だよ。

優秀なスタッフが党内にたくさんいると思われるのに。

実状はカリスマを温存して,いかにも纏まった組織を演出しいる。

内部批判があれば,すぐに駆除されていると思わざるを得ない。

それだけ見れば、非常に閉鎖的、排他的な団体なのかな。

そんな政党が政治の主役になったら、一般市民はとても息苦しくなるさ。

だから庶民の味方を装って,

今のまま外野席からヤジる一面的な教室政党でいいんじゃないの。

 

習わなかったかな、政治は詰まるところ、最大多数の最大幸福なんだよ。

その道筋がどうあるかが政治であって、現実をひとつひとつ改善していくことさ。政党も政治も企業もどんな組織も、小数の幹部が権勢を駆使する。

しかもその奥には、密かな独善的な権勢欲が潜在しているものだ。

組織内の特有の価値が正義になる。権勢はそのエンジンになる。

組織内で発動される正義は,一般人の常識とはかけ離れたものになりやすい。

 

なんであれ,政党は明確な基軸と方策の提案力が生命である。

対立する勢力への批判は,政治活動のほんの一部に過ぎない。

批判を常道とするだけでは,国民大多数への説得力を持たない。

自らの提案の基軸と具体策に説得力が無ければ,批判が生きてこない。

仮に政権を取っても,社会の実態はなかなか改善しないものだ。

現実の社会は根深い矛盾だらけで、一政体の政治家の意気込みだけで溶けるようなものではない。

社会に潜む生活感や価値観には根強い歴史の積み重ねがあるので、

その現実は複層していて利害も矛盾だらけである。

もともと、イデオロギーで社会の運営が出来ると思うのが、大間違い。

何主義であれ、強権か、より民主的運営かのどちらかしかないのである。

しかも、民主主義はいわば歴史上の新参者である。

長い間,強権こそ世界史の主役であった。

 

思うに、素晴らしい政体というものはないと思う。

比較として、許容できるか否かである。

社会の各層が成熟していると、強権には敏感に反応する。

逆に,情報に疎い国民を誘導するのは楽なのである。

情報を独占し、オープンな情報流通をさせない戦略が手っ取り早いのだ。

強権は、統制力で望む結果を早く上げたい。

民主的な運営は、意見の調整が命なのでその妥協点を得るまでに時間がかかる。

 

後進的な政体は、社会の構築を急ぐあまりに、極端な統制力を発揮したがる。

統制と人の自由が摩擦を生み、あらかたは暴力が主役となっている。

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