世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

残像(10)遠足のウンチ堪え

2018-03-19 | 記憶の切れ端

 

 野屎の経験はいくつもあるけど、

そんなときは大体、手近な草の葉っぱで拭いていた。

当時、遊びに行く時に紙を携帯して遊んでいるような準備のいい子供などいやしない。

草の葉っぱできれいに拭けたかどうかは怪しいが、やるだけのことをしたと、

それなりの始末に納得していたのだ.

毎日の排便ルーティンが定まっていない少年にとって、

突然やってくる強制的な排便感には敵わない。

しかも、遠足の途中にその気配が迫ってきた時ほど参ったことはない。

漏らすなんてみんなに知れることは、恥ずかしくて生きていけない思いだ。

長めの細い石を拾ってポケットに入れておくと良い・・なんていうおマジナイを

試しても、効果があるはずもなく、もう泣きそうな顔で、そろそろ歩くばかりだ。

お昼弁当を開く休憩に、いち早く人に隠れて草むらに走ることになる。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 残像(11)竹馬 | トップ | 残像(9)勝子先生 »

コメントを投稿