世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

残像(11)竹馬

2018-03-19 | 記憶の切れ端

 

 

一時、竹馬乗りが盛んにになったことがある。

当時そんなものは売り物ではなく、誰のものもお手製であった。

大人に作ってもらった子もいたが、ボクの家は女ばかりで手を貸してくれるはずもない

し、工作ごとが嫌いじゃなかったので、自分で作った。

身の丈よりずっと長い丸竹を2本と足の乗せ場に使う竹と藁縄があればよかった。

足のせ用には、長さ50センチほどの竹を割って真ん中を炙りながら両端がくっつく位に

曲げ、間に余った竹を挟んで荒縄をぐるぐるに巻く、その足場が下に滑らないようにし

て、出来上がりだ。

竹馬乗りはすでに上手に出来ていたから、足場は自分の胸ぐらいに高くした。

裸足で乗る。

何かを台にしないと竹馬にのれないし、転べば高い分痛い思いをするのだが、

これに乗ると目線がとても高くなり、どこを歩いも新鮮だった。

いろんな場所を歩き、少し走ってみたり、ひと通り上手く動き回れるようになって、

竹馬乗りに飽きるまでにそう日にちはかからなかった。子供はすぐ飽きる。

 

ゴム鉄砲と水鉄砲

これも自分で作った。見様見真似でも構造が簡単だし小学生といえ大した苦労なく製作できる。ゴム鉄砲は、割り箸と輪ゴムを材料に、ピストル様の形に組む。

先端と引き金部に弾となる輪ゴムを張渡し、引き金を引く。それで 3、4mは飛んだものだ。

この工作で肥後守を使っているときに、

刃先が滑って右手人差し指の第二関節のあたりを2センチほど削いでしまった。

剥けた皮を慌てて被せて押さえたが、どくどくとした痛みがしばらく続いた。

母親によって、人差し指は赤チンを塗った包帯ぐるぐる巻いたぶざまな姿に変わった。

この時来てくれた医師が注射を打ってくれたのだが、

普段は注射を怖がらない僕なのに、この時ばかりはひどくイヤがった。

いま射さんとする注射器に空気が混じっていたのを見てとったのである。

空気を注射すると人間は死ぬと誰かが言っていたのを思い出したのだ。

と言って、そのことを医者にも母親にも言い出す勇気がなく、

ただただ、無図がるばかりで母親を困らせてしまった。

が、結果は何事もなく終わった。その程度の空気では何の支障もないということは、

ずっと後になって知ったのだ。

 

水鉄砲作りはもっと簡単だ。長さ30センチほどの竹の一方の節を落とし、

もう一方の節の真ん中に箸の先端ほどの穴をあけると、筒の完成である。

次に押し出し棒の先端に、筒の水が漏れ出さない太さにボロきれなどを巻いて留めれば

これも完成、

筒に水を入れて押し出すとイイ勢いで線状の水が飛び出す。

どれも簡単とはいえ、作る過程があってこそこういう遊びは面白い。

傷だって戒めになる。出来の良し悪しを見せあっては自慢したり、

出来のイイ他人のモノを羨ましく思ったりするのだ。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 残像(12)材木屋でのかくれんぼ | トップ | 残像(10)遠足のウンチ堪え »

コメントを投稿