世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

残像(5)走ることが・・

2018-03-19 | 記憶の切れ端

 

小学校時代、僕は走ることに劣っていた。

幼児のころ罹ったひどい百日咳の予後が響いて、体力が充分でなかった。

記憶にあることで言えば、

4年生になったころでも運動場を一周する走りができなかった。

後年、高校生になってその頃の僕を知る友達に会ったとき、

すっかり登山好きになっていた僕を見て、非常に驚いていた。

心肺力に劣っていたと思うが、

敏捷な動きとか、鉄棒やマット運動などは人より得意だったので、

劣等感を持つようなことはなくてすんだ。

しかし、持続的に走れるようになったのはずっと後になってからだ。

 

身体の弱い子のクラス

小学生の前半、僕は身体が弱い子のクラスに入れられていた。

6クラスあって、内1クラスがそうなっていた。

同じクラスのほかの友達の体の具合がどうだったのか全く覚えていないし、

特別にそうした意図のクラスでなかったかもしれない。

とにかく、ぼくはそう思い込んでいた。

そして思い出すのが、太陽灯の部屋だ、

正しくはどういう名前が付いていたのだろうか。

学校の一隅に六角形の形をした建物があって、窓はなく中は8畳ほど、

壁に沿ってぐるりと座れるように

なっていた。座ると間もなく電灯が紫色の光りに変わるのだ。

その紫光線に満ちた中で30分ぐらい座るのだ。

僕をいれて数名が週に2回ほど定期的にその光線を浴びていた。

あれはオゾンか紫外線だったのだろう、どんな効果があったのか、

親がオプション費用らしいものを払っていたのか、

なぜあんな設備があの小学校にあったのか、不思議でならない。

このことは一部の生徒しか経験していないので、

かつての同級生で記憶している人がいないだろう

 

太陽と布団と屋根の上

僕の家は二階屋で、表を国道に面し、

真裏は庭と祖母が手を入れている小さな畑があった。

庭に張り出した台所の屋根は、

二階から布団を出して干すのに具合のいいスペースだった。

めいっぱい陽射しを吸い込んでいる屋根の上のフトンに、僕はよく大の字になった。

フトンに顔を沈めると、太陽の温かさを吸った匂いがほんわりと包んでくれる。

堪らなく気持ちがいい。

なんと優しく、安らぐ時間であることか。

大の字を空に委ねると、遠い青い空と白い雲の流れに気持ちが溶けこんでいく。

もう頭は呆然として、思考は消え、ただただほんわりと浮遊する

 

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