久しぶりの友人から電話があった
年賀状の返事もなくどうしていることかと
案じてはいたものの ご無沙汰続きになっていた
元気そうな声は直ぐに涙声に変わった
「一年前から、ホームで暮らしているの
淋しくて淋しくて、、、、
退屈でテレビを見ているだけなの」
我家から近い所のホームなので
翌日、会いに行くからと約束して
お土産に好物だったパフェを買って訪れた
職員さんに案内されて
恐る恐るドアを開けるとそこには
他の人かと見間違えるほど顔も姿も変って
痩せ衰えた友人ががベッドに腰を下していた
持っていったパフェも食べたくないと口をつけない
あの元気なあなたは何処へ行ってしまったの
食事とお風呂以外は部屋に閉じ籠って
しんと静まりかえた廊下に散歩する気力も失せている
日柄一日ベッドの端に腰を下して
本や新聞を読むこともなく 当然家事の心配はなく
所内のお仲間との付き合いはない
テレビを見るだけの暮らしが
いかに精神的肉体的に老化衰えを進めていることか
それぞれ家庭の事情もあり
私などが口出しすることは出来ないが
お連れ合い亡き後、舅姑に尽くし懸命に生きてきたのに、
あなたはここで生きるしか方法はないの
施設庭の草花の何と淋しく侘しいことか
決して他人ごとではない、やがて来る自分を見るようで
帰り道、霞んで見える富士に涙する
年賀状の返事もなくどうしていることかと
案じてはいたものの ご無沙汰続きになっていた
元気そうな声は直ぐに涙声に変わった
「一年前から、ホームで暮らしているの
淋しくて淋しくて、、、、
退屈でテレビを見ているだけなの」
我家から近い所のホームなので
翌日、会いに行くからと約束して
お土産に好物だったパフェを買って訪れた
職員さんに案内されて
恐る恐るドアを開けるとそこには
他の人かと見間違えるほど顔も姿も変って
痩せ衰えた友人ががベッドに腰を下していた
持っていったパフェも食べたくないと口をつけない
あの元気なあなたは何処へ行ってしまったの
食事とお風呂以外は部屋に閉じ籠って
しんと静まりかえた廊下に散歩する気力も失せている
日柄一日ベッドの端に腰を下して
本や新聞を読むこともなく 当然家事の心配はなく
所内のお仲間との付き合いはない
テレビを見るだけの暮らしが
いかに精神的肉体的に老化衰えを進めていることか
それぞれ家庭の事情もあり
私などが口出しすることは出来ないが
お連れ合い亡き後、舅姑に尽くし懸命に生きてきたのに、
あなたはここで生きるしか方法はないの
施設庭の草花の何と淋しく侘しいことか
決して他人ごとではない、やがて来る自分を見るようで
帰り道、霞んで見える富士に涙する
それが他人事ではない わが身に迫っている事ですもの
知人は施設から2か月で出てしまいました
施設が悪いわけじゃあないんですよね
人の心って周りの人の都合で変わるものじゃないですもの
101歳になる叔母は入院した後施設に移ることになりました
同居の息子夫婦が体調を崩してしまったので
その時叔母は「お家がだんだん遠くなる・・・・」って
歌ったんですって
心しているつもりでも現実はもっともっと厳しいのでしょうね
読書ばかりでは身が持ちませんしね。
やはりなにか刺激が欲しいでしょうね。
自分のことが、自分でできなくなる時・・そこで決断の時がくるんでしょうね。寝てても出来ることってなんでしょうか?
容ちや方法は違えどもやがては向かう時期がいつの日か・・・いえ
他人事ではなく先かも知れないし
迫っているかもしれませんもの、
昨日数年ぶりに集った歳下の友人二人
一人の人は高齢の母の介護話を・・・
聴いて貰っただけで今日は嬉しかったと別れ際に言っていました。
全く同じ方を知り、誰もがその方を目標にと
社交ダンスの仲間は
まるで「お姉さま」としての気持ちでいました。
数年前、ブログにもしましたが
(省略・・・)自宅で倒れている彼女を発見
病院を転々・・・までは息子・嫁さん方も
お見舞いに喜んで下さったのですが
ある日、何処へ行かれたのかも・・・
(省略が沢山です)
毎回、彼女の家の前で待ち
サークルに行くのも一緒・オシャレな彼女。
88歳になられたでしょうか?
彼女に会いたくても、お嫁さんのことば。
「もうダンスのことも忘れているし、
人の判断も付かないと!」
だったら、不幸になった所でしか
会えないのでしょうか。涙がとまりません。
自分の望みのことさえも言えず
きっと悔しい思いをされていると思いますね。
松風さん、お友達を彼女と重なりました。
彼女は、何不自由のない
生活を送っていたのです。
このような人生を送るとは
ご本人も思わないでいたでしょう。
人生の残りは
自分の意思表示が
叶えられたら嬉しいですね。
松風さん、コメントにならずに
すみませんでした。(>_<)
高齢者施設を理屈ではすべて理解しているつもりで
我が身もやがてはと考えていました
親しい人のあまりの変わりように愕然としました
何もしなくてもいい、
掃除も洗濯も食事の準備もいらない楽に暮らせる所、
安易な考えではとんでもないことになりそうです
誰も悪くはないのです
施設の職員さんは優しくいい人ばかりと
話してくれました
「幸せすぎて罰が当たりそうよ」ともいいました
その言葉がなんとも哀しくて寂しくて
いたたまれない思いです
101歳の叔母さまをお訪ねになってください
会話は大切です
70才の時、一人暮らしの身を考えて
パソコンを覚えました
誰も訪ねてくれずとも、外歩きが不自由になっても
ネットで世間との交流が出来ると飛びつきましたが
施設に入って諸々の義務からは解放された
揚げ句の果てに気力さえ失ってしまったのでは
パソコンも役に立たないのです
人間、何か一つは義務とわずかな責任感を
持って生きなければいけないようです
嫌でも家事に励みましょうかね
どうも長生きでいいことは皆無に近いようです(~_~;)
私も近い将来
施設のお世話になるつもりでいました
わたし自身も気楽になって子どもたちもさぞ安心する
ことだろうと安易に考えていましたが
どうも改めなければと思うようになりました
お友だちは杖を使って歩けるのですが
体力より気力の低下で老いぼれ(禁止用語ですかね)
ていました
言葉も頭の働きも衰えていませんから
余計にわが身の不幸を嘆くのでしょう
嫌でも面倒でもせめて家事ぐらいは
自力で頑張らなければなりませんね
さて、もうひと頑張りしましょうかね
どう、お返事すればいいのか迷います
世間には幾十万の方々が
施設でのお世話を受けていらっしゃるのですもの
私の友人一人の問題ではないのですね
お世話になることは仕方ないことですが
勿論病院ではありませんし
法的な制約はあるのでしょうが
施設側の体制にも問題があるのかもしれません
そんなことを考える日になりました
小さな義務と少しの責任を持って生きなければなりませんね
歳をとること これは並大抵ではありません!
私もお返事にならずごめんなさい
ここに書くと長くなるのでやめますが、
体験的に、施設に入らず一人で暮らしていけることが理想です
今は心の問題はともかくも不便無く暮らしていますが先もずっと、何とか元気に暮らしていきたいと願うばかりです
パソコンがあっても気力が無くなれば開けなくなるでしょうから…
気力だけでも失わないでいたいものです
これって意識してできるものでしょうか…?
松風さんはいろいろお出かけになって楽しく時を謳歌して暮らしていらっしゃるようにお見受けします
お手本にと思いますが…引き籠りで駄目ですね~(ღˇ◡ˇ*)♡
わたしは安易に考えていました
体が不自由になったら高齢者施設に入ろうと、
とんでもないということが解った友人との面会でした
気力の衰えは何もすることがない、、、、、
それが問題なのですね
面倒でも嫌でも自分で出来る仕事がある
老後を生きていく中でそれは最も必要なことではないかと思ってきました
何処まで実行できるのか見当もつきませんが
今のところは不自由なく動けることを喜んでいます
何が幸せなのか・・・施設に入れるだけ幸せと思ってもそれが幸せなのか・・・
あまり先の事は考えず今で精いっぱいだから・・・
私の場合環境は違うけど松風Ⅱさんの生き方をお手本にと思っているんですよ。
私ももし1人になったら、こういう所に入るのでしょうか、
今を大事に生きて行きます、なる様にしか成りませんから。
ホームから富士山は見えるのでしょうね。
政府の方針に沿ったわけでもありませんが、
最後までは無理でしょうが、可能な限り自宅でと
結論下しました。
ホームへ入れば不安は解消されましょうが、
心身の老化は進むと思います。
明日のことはわかりませんが、
90歳まで頑張ろうかと思っています。
あと4年ですが、その間に徐々に自分に言い聞かせ、
納得したいと思います。
お友だちを訪ねるまで私は
気楽に考えていましたが
病気で動けなくなるまでは家で頑張らなければと
気持ちを切り替えたのです
いろいろ考えさせられる出会いでした
入居条件は数多いと思いますが
部屋代だけで8万介護料5万近く
その他食事 入浴補助 入居金など
どれだけの金額がかかるのでしょうか
友人は息子さんが補助している様です
お金の問題だけでなく精神的な問題が
大きいのですね
私は公的福祉のお世話になりながら
我家で生きていたいと願っています
いつもどうにかなる
好いか悪いかどちらかだと
物事をいい加減に考えているわたしですが
友人に会いこれは真剣に考えなければと
思うほど衝撃的でありました
人間生きている限り気力が必要ですね
病気以外はどんな境遇になろうとも
頑張る気力があれば
福祉のお世話になることもできる時代です
私もぎりぎりまで一人暮らしを続けていきたいと
願っています